気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

アンフォルメル - パリの実存的な抽象

末永照和(監修)『20世紀の美術』(16)

前回クイズ(次の彫刻の作者は誰でしょうか? 参照)の答えです。

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(A)バーバラ・ヘップワース、(B)アルベルト・ジャコメッティ、(C)パブロ・ピカソ

美術愛好家でなければ、たぶんヘップワースやジャコメッティに馴染みがないでしょうね。でも、こういう作品をみていると、「彫刻も悪くないね」と思えてくる。

 

バーバラ・ヘップワース(Barbara Hepworth、1903-1975)

第2次大戦前のイギリスで現代彫刻家として注目されたのは、ヘンリー・ムーアとバーバラ・ヘップワースである。…女性のヘップワースは、いっそう内なる生命の形象化としての、洗練された抽象形態をめざした。ブランクーシやアルプの抽象彫刻、ガボ構成主義も彼女なりに消化している。 

 

アルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti、1901-1966)

シュルレアリスムに接触しながら特異なオブジェや彫刻を制作した重要な芸術家に、スイス生まれのアルベルト・ジャコメッティがいる。…原始彫刻、キュビスム彫刻に影響を受けた後、1920年代の終わりに数年間シュルレアリストのグループに入り、「象徴的機能のオブジェ」に触発され、彼の重要作品が生まれる。…ジャコメッティは間もなく、現実から遠ざかったことに挫折し、シュルレアリスムから離れて人物の研究に戻った。10年間にわたる苦しみを経て、彼が彫刻家としての新しい展開を実現するのは第2次大戦後のことである。…ジャコメッティは、戦後間もないフランスの彫刻界において最も高い評価を受けた彫刻家である。彼の作品は、戦争の傷跡と言うよりも、戦争を経験した後の人間観、思想や哲学と呼応している点では注目すべきであろう。

 

パブロ・ピカソ(Pablo Picasso、1881-1973)

画家として彫刻や立体作品に最大の作品量と多様な表現を残したのは、パブロ・ピカソの他にはいない。「道化師」「フェルナンドの頭部」などパリに定住した初期の作品、ゴーギャンやプリミティヴ芸術の影響の見られる1906-07年の木彫、キュビスム時代の実験的な彫刻、1928-30年フリオ・ゴンザレスのアトリエでの作品群、1930-35年のボワジュルーでの作品群、「羊を抱える男」などを生む40年代、「雌山羊」などを生む1950-51年のヴァロリス時代、さらに多様な表現を試みる晩年の作品群など、ほとんど全生涯にわたっている。

 

作品の評価は、作者名とは関係ない。だから、正解であろうが、不正解であろうが、どちらでもよい。重要なことは、作品Aを観て、例えば「内なる生命の形象化」と感じることができるかどうかである(別に言語表現できなくてもよい)。名前は、検索ワ-ドとして有用であるにすぎない。

 

今回は、第7章 抽象表現主義からミニマル・アートへ のうち、アンフォルメル(パリの実存的な抽象)である。

ジャン・フォートリエ、ジャン・デュビュッフェ、ヴォルス(本名:ヴォルフガング・シュルツェ)に代表されるラール・アンフォルメル(不定形芸術)とは

幾何学的抽象とは対照的に不定形な厚塗りのマチエールや、画家の身体的動き(ジェスト)が残す手跡の錯綜に重点を置く抽象絵画であり、何よりも戦争体験など無秩序な現実に投げ込まれた自己の生を問い続けるものであった。それは戦後アメリカの「抽象表現主義」あるいは「アクション・ペインティング」と同時代的に呼応していた。

21世紀を生きる「私(たち)」が、これらアンフォルメルに感じるところがあるとすれば、それは「無秩序な現実に投げ込まれた自己の生」を感受しているからかもしれない。

なお、マチエールとは

本来は材料,素材を指す言葉だが,特に絵画では,作品表面の肌合いをいう。用いられている絵具の材質感や厚塗り,薄塗りなど絵具の層の違いから受ける重厚さや滑らかさなど,画家の個性や技法で作品の肌合いは異なる。マチエールの良しあしが作品の完成度に寄与する点も大きい。(ブリタニカ国際大百科事典)

アンフォルメル(不定形芸術)については、読書ノート:大岡信抽象絵画への招待』でふれた。(検索窓でブログ内検索してみて下さい)

 

フォートリエ(Jean Fautrier、1898‐1964)

フォートリエの「人質」シリーズは、対独レジスタンス運動の体験に基づいていると言われる。例えば[人質1944]では、私たちは、ひび割れた厚塗りの壁のようにぐじゃぐじゃに押しつぶされた顔を見つめることになる。実存主義哲学者ジャン・ポール・サルトルによって「極限状況」と言い表される、ぎりぎりの生存状態に置かれた人間の様相が非常にも凝視される。そこでは、これまでもっぱら世界や風景を見る側にあった人間が、人質=物体のように見られる立場に立たされている。物質的な痕跡による記号化によって、自己は、捉えきることのできない不定形にして不可解な混沌として目に映る。だが、私たちがフォートリエの人質を離れて凝視するときに、その悲劇的な状況がなぜか引き締まった美しさを帯び始める。このようにフォートリエは、不定形な形態へと人体を抽象化しながらも、あくまで人体へのこだわりを保とうとした。彼は実存的な生に関わらない既成の具象絵画を避ける一方、物を見ることと現実に根差すことの大切さを充分に承知していた。

「見られる人体」は、ぐちゃぐちゃになり、不可解な混沌となる。…ここに「引き締まった美しさ」を見るのは、既に人体を離れているのではなかろうか。

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デュビュッフェ(Jean Dubuffet、1901‐85)

さまざまな物質のマチエールと引っ掻いたような行為の軌跡によって児童画に似た原初的なイメージを描き出す。

デュビュッフェの作品に、魅力的なものはない。

 

ヴォルス(Wols、1913-1951)

ヴォルスの[絵画1946-47]は、微視的な線状の反復によって特徴づけられる。微細な手跡の密集にほのめかされる実存的な生の不条理性は、1939年ドイツ人であるためにフランスで収容所に入れられた彼の実体験と無関係ではあるまい。パウル・クレーの影響を思わせる1本1本の繊細な線は、単なる抽象的な構成要素ではなく、丹念に反復して自然観察する彼の視線と、自己を凝視する彼の視線の表れだろう。迷路的な視線の複雑さは、1939年以前に彼が写真の仕事をしていた経験によって培われた眼差しの鋭さと結びつけられるかもしれない。

 

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フォートリエ、デュビュッフェ、ヴォルスの共通性は、現実凝視の放棄ではなく、その深化や内在化だという点にある。無秩序な現実のうちに生きることを制作の原点とし、描く行為とマチエールの可能性を探る「アンフォルメル」の主張は、…しかし、「アンフォルメル」という名称はで個々の画家を厳密に区分けすることは難しく、幾何学的抽象に対する「抒情的抽象」とか、批判的な言葉を使用した「タシスム(汚点主義)」など、別の名称が用いられることもある。

「無秩序な現実」、「実存的な生の不条理」、それは「戦争の世紀」に生きた人々の心情であったのかもしれない。21世紀の現在、いまなお「戦争の世紀」が継続していると感じたり、あるいは「目に見えない力」に翻弄されて「生」を確認できないと感じていたりするならば、これらアンフォルメル(不定形芸術)の作品は、リアルなものとして迫ってくるのだろう。

それは分からないではないが、それでも私は、そのようなディストピアではなく、ユートピアを描いた作品(洗練された造形美)が好みである。