気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

幸福メーター

児玉聡『功利主義入門』(2)

児玉は、次のように述べている。

体温を計るために体温計という便利なものがある。それと同じように、幸福を計るための「幸福メーター」があって、額にしばらく当てると当人の幸福度が測定できるのであれば、功利主義者にとっては大助かりである。しかし、残念ながら幸福そのものを直接計る機械はまだない。(第6章)

しかし、本当にそのような機械はないのだろうか。「体温計」をイメージするから無いと思うのであり、ダイレクトに「あなたは幸せですか」と聞くならば、答えが返ってくる。そのような「アンケート調査」は、簡単な機械とみなせるだろう。現に「国民生活選好度調査」では、そのようなアンケートが行われている。そして統計的に有意な数だけのデータを得るなら、国民全体の主観的な幸福度が推定できる。

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  (平成21年度国民生活選好度調査)

こういう質問のしかたが適切かどうかはさておき、上図を見ると、「どちらでもない」と「やや幸せ」に山がある。そして、7点以上を「幸せ」とみるならば、40歳を過ぎると「幸せ」と感じる人が少なくなっている。ここではこの内容に立ち入るつもりはない。

経済や政治の分野では、長い間、GNP(国民総生産)あるいはGDP(国内総生産)が一国の幸福メーターになると考えられてきた。しかし、先進国では1960年代以降、GDPの増大が国民の幸福の増大につながっていないという指摘がなされてきた。…衣食住のニーズを満たすためにある程度お金があることは、幸福であるための必要条件だ。しかし、それだけで人が幸福になれるわけではないことは、多くの人が実感しているところだろう。そこで最近、政府が政策の方向性を決める際の参考にするために、より信頼のおける幸福メーターを作ろうという試みがなされている。例えば内閣府は「幸福度に関する研究会」を2010年に発足させた。その研究会が2011年12月に出した幸福度指標試案はインターネットで読むことができる。(第6章)

そこで早速読んでみた。研究会報告のはじめに「幸福度指標を策定する意味」が書かれている。それを引用してコメントしようと思ったが長くなるので止めた。今日のところは、世界各国で「GDPを単一の指標とすることなく、国や社会の目標(社会進歩の定義)を問い直そうという動き」が活発であることを確認しておくにとどめよう。