気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

<知>は誰のものか? オープンアクセス そして…

かっては「価値ある情報」が「無料」で手に入ることはありえなかった。希少な財が価格を持ち市場で取引されるのは当たり前だった。それに風穴を開けたのがインターネットだろう。

Wikipedia電子政府の動きについてはある程度知っていたが、それとは別にあることを調べようと思って検索していたら、雑誌論文が入手できることに比較的最近になって気づいた。国立情報学研究所が運営するCiNiiのことである。

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http://support.nii.ac.jp/sites/default/files/cinii/cinii_pamphlet_0.pdf

CiNiiは、「CiNii Articles – 日本の論文をさがす」、「CiNii Books – 大学図書館の本をさがす」の2つの機能を持っています。CiNii Articles は、約1,600万件の論文を収録しており、CiNiiのもつ本文PDFや、他サービスの本文などへのリンクを参照することができます。CiNii Booksは、全国1,200以上の大学図書館などが所蔵する図書、雑誌、古典籍、洋書など約1,000万件のデータを収録しており、目的の本がどこの図書館に所蔵されているかを調べることができます。

水谷は、次のように述べている。

「明らかに正しいこと」であると自分に思われることであって、未だ万人に共有されていない知があるならば、そしてそれを広く流布させることこそが重要なことであり、それが、そもそも誰に帰せられるべき知であるのかはどうでもよいことではないのか。(水谷雅彦「知を所有するとはいかなることか」)

scienceinjapan.orgは、「論文のオープンアクセス化を推進すべき7つの理由と5つの提案」のなかで、次のように述べている。

研究者には成果をできるだけ広く普及させるというモチベーションはあり、…この研究者のモチベーションを考えると、論文出版までの実費的コストさえなんとかした暁には、あとはオープンアクセス化してしまうのが目的を達成するために最適な方法であるのは間違いないでしょう。電子論文の閲覧・ダウンロードを無料化すること、つまりオープンアクセス化するのはあまりにも当然のことであり、しない理由を考えつくほうが困難なのです。しかし、実際にはそこに高い壁があり、現実にはいまだにオープンアクセスではない論文が総論文の半分以上を占めています。(http://scienceinjapan.org/topics/20140326a.html

なお、学位規則が改正され、博士論文がインターネットを利用して公表されるようになったそうだ。

学位の授与等について定めた学位規則(昭和28年文部省令第9号)の一部がこのほど改正され,2013年4月1日以降に授与された博士の学位に係る論文(博士論文)は,原則として従来の印刷公表に代えて,インターネットを利用して公表されることになった。この改正により,基本的には2013年4月1日以降の学位授与に係る国内の全ての博士論文へのオープンアクセスが実現することになる。今回の学位規則改正は,大学における教育研究の成果である博士論文の流通促進に大きく貢献するものと言えるだろう。(http://current.ndl.go.jp/e1418

しかし、オープンアクセス化が進んでも、そのような専門的論文は、たぶん我々のような「愚かな大衆」には理解できないでしょうね。だからと言って「我々には関係ない」というのは軽率だ。世の中には、仲介者としてサイエンスライター(人文社会科学を含む)という者がおり、分かりやすく解説してくれる。サイエンスライターは色々な情報を入手しやすくなるので、間接的に我々「愚かな大衆」にもメリットがあると言えるでしょう。但しその解説は、書籍(主に新書)や雑誌記事に書かれたものがほとんどで有料であった。つまり「広く流布」することはなかった。この状況が改善されなければ、我々大衆には実質的に「オープンアクセス」が実現することはない。その意味では、国立情報学研究所の「市民講座」のようなものが、もっともっと普及すれば、少しは「賢い大衆」が増えてくるかもしれない。でも、まだまだですね。いかに無料の市民講座が増えてきても、受講者の増加には限度がある。だって、我々は「忙しい」んですよ。夜遅くまで働かなければならないし、休みには家族サービスもしなければならないし、スポーツで汗を流したり、カラオケにもいかなければならない。はてさて…