浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

幻のSTAP細胞(補足2) 定義により「STAP細胞」は存在した

本題(STAP細胞問題は、「理系の問題」ではなく、「文系の問題」である)に入る前に…

 

私は、当初の疑問(1.小保方は、不当に研究者人生を断たれたのではないか? 2.笹井は、なぜ自殺しなければならなかったのか?)に一応の答えを出した。それは笹井の死までを追えばそれで済む。しかし、その後 2014/12/19に「STAP現象の検証結果」が公表され、2014/12/25に「研究論文に関する調査報告書」が理研理事長に提出された。この2つは、私の結論(小保方は魔女狩りにあった)に影響を及ぼすものであるか、を検討しておこう。

 

言葉の定義の問題

ここでまず小保方バッシングには「言葉」の問題があることを再度強調しておこう。

小保方は、STAP細胞を次のように名づけた。理研の資料によると、(幻のSTAP細胞(2)参照)

分化したリンパ球のみを分離した上、酸性溶液で刺激することで、2日以内に初期化が開始し、多能性マーカー(Oct4::GFP)の発現が認められた。7日後にはそれらの細胞は、細胞塊を形成した。

小保方研究ユニットリーダーは、このような細胞外刺激による体細胞からの多能性細胞への初期化現象を刺激惹起性多能性獲得(Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency; STAPと略する)、生じた多能性細胞をSTAP細胞と名付けました

小保方が「STAP細胞」と名付けたと、はっきり書いてある。誰か他の者が「STAP細胞」を定義したのではない。誰か他の者の「STAP細胞」の定義を曲解したのではない。小保方は、これを「プリンセズ細胞」と名付けてもよかったし、「VO細胞」と名付けてもよかったのである。

理研資料の「Nature論文の概要1」の右端にSTAP細胞塊と書いてある。これが小保方定義のSTAP細胞の塊である。

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2014/12/19に理研が発表した「STAP現象の検証結果」の説明資料の図に「STAP細胞誘導の概略」というのがある。

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右端の細胞塊には名前がない。これは「緑色蛍光陽性細胞の出現が十分には得られなかった状況下において、再現性をもって自家蛍光と区別し、多能性細胞特異的分子マーカーの発現と対応づけることは出来なかった。」ためであるようだ。そして僅かだが出現した細胞塊は、「STAP様細胞塊」と呼んでいる。そして小保方定義の「STAP細胞」は(ほぼ)なかった、と結論づけている。

さて、ここから「言葉の使い方」の話に入る。

まず第一に言えることは、論文を書いたときのもととなる実験においては「緑色蛍光陽性細胞」が出現したのであり、小保方はそれを「STAP細胞」と名づけたのである。検証実験で「緑色蛍光陽性細胞」がほとんど出現しなかったからといって、かって「緑色蛍光陽性細胞」が出現した(=小保方はそれを「STAP細胞」と名づけた)という事実は消えないのである。「STAP細胞」がもともと存在しなかったのではない。この違いを無視してはならない。極端なことを言えば、小保方がマジックを使って「緑色蛍光陽性細胞」を作りだしたのだとしても、定義により「STAP細胞」は存在したのである。「STAP細胞が否定された」のではない。「STAP細胞がなかった」のではない。…かって小保方の魔法により、小保方以外の者は「緑色蛍光陽性細胞」を見せられていたのだろうか。そんなことはあるまい。今回、小保方が「STAP細胞」をほとんど作りだせなかったとしたら、それは何が以前と違うのかと考えれば良いのである。それをSTAP細胞が否定された」とか、「STAP細胞はなかった」ということは、小保方は嘘つきだ、小保方は詐欺師だ、小保方は魔女だというイメージを与えるのである。…マスコミがそういう報道をするのである。小保方の「STAP細胞はあります。私自身STAP細胞は200回以上作製に成功しています」は、間違っていないとは書かない(言わない)のである。また「STAP現象の検証結果」においても、STAP細胞の文字を消したり、STAP様細胞と言い換えたりする必要はない。そんなことをせずSTAP細胞といっても、ほとんど出現しなかった等といっておけばそれで済む話である。理研は「STAP細胞はもともと存在しなかった」とどうしても言いたいのだろうか。

第二に、マスコミは、「STAP細胞既存の万能細胞である胚性幹細胞(ES細胞)だった可能性が非常に高い。(日経)」「調査委も「STAP細胞がなかったことはほぼ確実」と報道したとの見方を示した(毎日)」などと報道した。「研究論文に関する調査報告書」は、そういう言い方をしているのだろうか。「STAP細胞やSTAP幹細胞由来のキメラはES細胞由来である可能性が高い。」と言っていたのではないか。正しく「STAP細胞」という言葉を使っているし、STAP細胞=ES細胞なのではなく、「STAP細胞ES細胞由来である可能性が高い」と言っている。何故マスコミはこんな言い方をするのだろうか。上に述べたことと同じだが、「STAP細胞はなかった」ことにして、小保方は嘘つきだ、小保方は詐欺師だ、小保方は魔女だと言いたいのだろうか。

 

ここでちょっと余談…本を読まずに独断的書評

捏造の科学者 STAP細胞事件」(毎日新聞科学環境部 須田桃子)が売れているらしい。読む気にならない本である。

Amazonで「内容紹介(宣伝?)」を見ると、こんな具合である。…(略)

私がこのブログを書く前だったら、面白そうだと思って買ったかもしれない。しかし、マスコミというものが、特に科学担当記者というものが「デュープロセス」も知らぬ、「正義のブリッコ」であることを知ったからには、「独断と偏見」に満ちた本であることが想像され、全く読む気になれないのである。しかし、この本が全く価値がないかと言えばそうではない。反面教師として読む価値がある。

(余談の余談)先日テレビを見ていたら、須田さんが出演されているのを拝見しました。小保方さんに負けず劣らずのチャ-ミングな方とお見受けしました。

 

ついでにもう一つ。読む気にならない本の2冊目である。

21世紀の資本」(トマ・ピケティ著)という本である。Amazonによれば、経済学分野のランキング1位である。先日テレビでも紹介していた。「内容紹介(宣伝?)」を見ると、…(略)

728ページの大著で、厚さ5cmもある。こういう本が売れるとは大したものだ。事実(データ)に基づかない議論は空虚だが、この程度の内容なら「新書」で十分ではないか。「格差」があることは誰でも知っている。日々の生活で実感している。その「格差」をどういう切り口で分析し、具体的にどうすれば良いのかを示さなければ、単なる学術書にすぎない。「格差」には様々な側面がある。私のおすすめは「ルポ貧困大陸アメリカ」(堤未果)である。ここに描かれたような「事実」を踏まえて書かれているのだろうか。この「21世紀の資本」を買った人は、枕にしかならないことを思い知るだろう。肩こり・首こりにならぬことを願う。

 

次回は、本題の STAP細胞問題は、「理系の問題」ではなく、「文系の問題」である について書こう。

 

2015/1/18 一部語句追加修正しました。橙色の部分。(記事の「中核部分」の追加修正ではありません)