第2回OECD世界フォーラムは2007/6/30にイスタンブール宣言を出した。
http://www.oecd.org/site/worldforum/41416875.pdf
一部を引用する。
我々の住むあらゆる社会がより一層複雑になってきただけでなく、これまでになく異なる社会が密接に結びついていることを認識している。しかしながら各社会は、それぞれ異なった歴史、文化、経済社会の発展を保ち続けている。
客観的根拠に基づく意思決定(evidence-based decision making)の文化はあらゆるレベルで促進されるべきであり、そうすることで社会福祉は増進される。さらに「情報化時代」にあっては、福祉は公共政策決定の透明性とアカウンタビリティに少なからず依存している。経済、社会、環境に関する成果の統計的指標が整備され、それらが市民に広く普及することは、良い統治(good governance)の促進並びに民主的プロセスの改善につながるのである。そして、討論や合意形成を通じて自分が属する社会の目標に関与するという市民の能力が強化され、また公共政策のアカウンタビリティが高められることになる。
通常、エビデンスは「証拠」、「根拠」の意味に用いられる。ここでは頭に「客観的」という言葉がついているが、「証拠」、「根拠」は本来「客観的」でなければならない、ということだろうか。
言葉の詮索はさておき、この「客観的根拠に基づく(evidence-based)」ということが、討論や合意形成のための重要なポイントであると思う。
どのようなエビデンス(証拠、客観的根拠)を提出するか、それは勿論「何のために」そのエビデンスを提出するのかに依存する。
何のために…それは、例えば「幸福な生活のために」だったり、「自分の行為・主張が正当であることを証明するために」であったり、「犯罪を立証するために」であったり、いろいろだろう。そのような目的に沿ったエビデンスはどのようなものであるべきか。それ自体が議論の対象になる。
あるエビデンス(証拠、客観的根拠)が提出されれば、それが吟味される。評価される。エビデンス(証拠、客観的根拠)は一つとは限らない。どれにウェイトをおくのか。
抽象的に考えていても、うまくいかない。ここはやはり具体的な問題を設定して考えていかねばならないだろう。
今回の記事は、「客観的根拠に基づく意思決定(evidence-based decision making)」という言葉が気に入ったので、ちょっと書いてみたまでです。