気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

「ものを見ている」とは、どういうことか?

ラマチャンドラン,ブレイクスリー「脳のなかの幽霊」(3)

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AB%E7%9B%B8%E9%96%A2%E3%81%97%E3%81%9F%E8%84%B3%E6%B4%BB%E5%8B%95

ネッカーの立方体(Necker Cube)は、スイスのルイス・アルバート・ネッカーにより1832年に考案された、錯視の立方体である。ネッカーの立方体では、立方体を構成する2つの辺が見た目の上で交わるとき、どちらが前部か後部か示されておらず、2つの解釈ができるために錯視が可能となる。(wikipedia)

 

人はものをどのように見ているか(そして脳はどのように知覚に関与しているか)? について、ラマチャンドランは次のように述べている。…あるカクテルパーティで、若い男性に「何かものを見ると、脳の中でどんなことが起きると思いますか?」と聞くと、

(手の持ったシャンペングラスを見て)ええと、僕の眼の中にこのグラスの倒立像ができます。明暗の像が網膜の光受容体を活性化し、そのパターンが画素ごとに電線を通して(つまり視神経を通して)送られ、脳のスクリーンに表示されます。そうやってこのシャンペングラスを見るのでしょう? もちろん、脳は、像を正しい向きになおす必要があるでしょうが。(第4章)

私たちは、網膜に左右逆転の倒立像ができる、そこから視神経を通じて、視覚情報が脳の中枢に送られ、正しい像に構成される、というふうに学校で習った(たぶん)。でも、これで本当にわかったと言えるのか?…ラマチャンドランのこの単純(?)な質問に、正確に答えられる人は少ないだろう。彼は、この若者の答えをこう評している。

彼は光受容体や視覚について、なかなかの知識を持っていたが、脳のどこかにスクリーンがあって、そこに像が表示されるという説明は、重大な論理的錯誤のあらわれだ。もしシャンペングラスの像が内部の神経スクリーンに表示されるとすれば、その像を見る小さな別人が脳の中にいなくてはならない。それにこれでは問題の解決にはならない。その小人の頭の中にも、表示された像を見る、さらに小さい別の小人が必要で、その小人との頭の中にも……と際限なく続くからだ。眼、像、小人と、いつまでもぐるぐるまわるだけで、知覚の問題を本当に解決することはできない。(第4章)

このスクリーン説は、「論理的」錯誤である。…でも、眼の奥の小さな網膜の像が、どうして目の前の広大な景色として見えるのか、不思議ではないか? この小さな疑問を突き詰めていけば、脳科学者になれる(たぶん)。でも哲学者にはなれない(たぶん)。

したがって知覚を理解する第一歩は、「脳のなかの像」という考え方を捨てて、外界の物体や事象記号的な記述について考えてみることだ。…中国に住む友人に、自分のアパートの様子を伝えなくてはならないとき、アパートをそっくり中国に遠距離輸送する必要はない。アパートの様子を書いて送るだけですむ。

では脳のなかの記号的記述というのは、何を指しているのか? 神経インパルスという言語である。人間の脳には、像を処理する領域がいくつもあって、それぞれが複雑な神経ネットワークで構成され、像から一定の情報を抽出するように特殊化している。対象物はすべて、これらの領域の下位セットに(それぞれに特有の)活動パターンを喚起する。…活動パターンは、視覚対象物を記号化あるいは表象している。視覚プロセスの解明を試みる科学者は、脳が記号的記述をつくりあげるときに使う記号体系を解読することを目標にしている。(第4章)

最先端の脳科学は、どこまでこの記号体系を解読したのか興味深い。

脳はこうした判断をするときに、私たちの住む世界が混沌や無定形ではなく、安定した物理的性質をもっているという事実を利用する。これらの安定した性質が、進化の途上で、世界についての一種の「前提」あるいは暗黙の知識として、脳の視覚野に取り込まれ、知覚のあいまいさを排除するために使われるようになった。(第4章)

ラマチャンドランは、「私たちの住む世界が混沌や無定形ではなく、安定した物理的性質をもっているという事実」と述べているが、果たしてそうか。私たち(人間)が、世界を「混沌や無定形ではなく、安定した物理的性質をもっている」というふうに捉えているのではないか。安定しているかどうかは、人間の判断(認識?)によるのではないか。私たちのそういう捉え方が、「知覚のあいまいさを排除するために使われる」というのはその通りだと思う。