気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

女を愛するのに、男は物差しで女のからだを測りはしまい (ピカソ)

大岡信抽象絵画への招待」(1)

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http://serialliarsandsleazebags.blogspot.jp/2012_01_01_archive.html

芸術の発生

芸術はその起源において魔術的な道具であった。人類はさまざまな脅威に満ちた自然界で生きぬく過程で、身振り、画像、音声、言葉といった表現手段を見出し、これによって自然界を模倣し、自然をいわばたぶらかし手なずけることを発見した。自然物に手を加えて作りだした弓矢やナイフのような直接の労働の道具に劣らず重要な、魔術的な道具の発見がそこにあった。これらは、人間の意識を自然界から独立させ、はじめて「主体」として、自然という「客体」に直面することを可能にさせたのである

人間はこうした原始的な魔術の段階から進んで、しだいに自然の諸法則を見抜き、因果関係を発見し、社会集団的な記号、言葉、概念、慣習のような、秩序をもった意識的世界を構成していった。魔術は、宗教、科学、芸術などに分化していったのである。

 言い換えれば、宗教、科学、芸術などに分化以前の渾然一体となったものが「魔術」といって良い。そう考えると、一見「科学的言説」とみえるものが、実は「魔術的言説」であることが多いことに気づく。「私は~と信じる」「私は~と感じる」の「~」の部分だけを取り出せば、例えば「地球は太陽の周りをまわっている」は、科学的言説であるように見える。しかし、私がそう主張するとき、私にはそう主張する科学的根拠は何もない。誰か偉い学者先生がそう仰っているので、オームのように物まねしているだけである。つまり、正確に言えば「私は、地球は太陽の周りをまわっている、と信じている」のである。これは、ある意味「宗教」である。宗教と科学の渾然一体と言っても良いかもしれない。かくして地動説に確信を持てない私が、太陽が地球をまわる抽象画を描いたとき、これは宗教、科学、芸術の渾然一体といって良いのではないか。つまり、これは「魔術」である。

ちょっとニュアンスは違うかもしれないが、大岡は次のように述べている。

しかし、芸術そのものは、この発生状態における原始的、魔術的なるものの世界から無縁になることはできなかった。じっさい高度に文明の発達した現代にあっても、人類はその存立を脅かすさまざまな脅威に立ち向かうにあたって、一方では宗教や自然科学に精神的、物質的な支援を求めるとともに、他方では広い意味で芸術的といっていいさまざまな人間的営みに心の安定を求めてゆく。その心の動きには、古代人が魔術に傾倒したのと相似たものが少なからず見出されるのである。

20世紀芸術の意味と役割

しかし、ある作品を見るとき、こんなことを考えながら見ているわけではない。

ふつう美術作品が愛される最も一般的なあり方は、ある作品をある人間が心ゆくまで見つめ、その結果、それ以外のどこからも得られないある特別な高貴な感動や喜び、あるいは言葉にならないほどの、何かしら周囲までが一変してしまったようなものの見方の変革が得られたとき、その作品は確実にある美的・世界観的機能を彼に対してはたしたということである。

観衆は、近代絵画に何を見たか?

近代絵画がそれ自身の発展の筋道にしたがって、色彩や形態の純粋化の方向を追究し、そこの高度な「均衡」や「澄明」を発見しようとするとき、観衆はほかならぬそれらの中に、「混乱」や「野蛮」を見出すという矛盾が生じてきた。これは現在にいたるまでかわらない、近代・現代美術の、基本的な問題点である。

なぜそのようなことが生じるのか。…すぐれた芸術作品は、造形的な「秩序」や「均衡」や「澄明」の実現であると同時に、つねに作者自身の魂、精神状態の独自な表現でもある。そして後者の要素が加わるかぎり、そこにはもっとも内的で独自な、つまり究極においては狂気の領域にさえ接している、その芸術家固有の精神状態が表現されているのである。…マチスにとって最も快い均衡が、観る者にとっては理解しがたい無秩序と映る場合も当然生じ得るのである。

世界観の表現としての現代美術

写実主義がギリシアあるいはルネッサンスに代表される人間中心主義思想のあらわれであるのに対し、人間を超えた世界を表現しようとする思想は、象徴主義表現主義、抽象主義、超現実主義、抽象表現主義等々の、単なる肉眼的視覚の領土を超えたところに最も重要な表現目的を想定する多様な美術思潮となって、20世紀美術の歴史を形づくっている。

ピカソは、批評家クリスチャン・ゼルヴォスに語っている。

美の規範をあてはめたからといって芸術ができあがるものではない。芸術は、本能や知性が、規範とは関係なしに感知することのできるものだ。女を愛するのに、男は物差しで女のからだを測りはしまい。人は欲望によって女を愛するのだ。(中略)大切なのは、芸術家のつくったものではなく、芸術家の人間なのだ。…われわれの心をひくのは、セザンヌの不安である。セザンヌのほんとうの教え、ゴッホの苦悩、それはまさしく人間のドラマだ。それ以外はうそっぱちさ。