浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

あなたは、「経験機械」につながれたいですか?

児玉聡『功利主義入門』(3)

ロバート・ノージック(1938-2002)という哲学者が考案した「経験機械」という思考実験がある。

これは、脳に電極を差し込むことにより、あなたが望むあらゆる体験をバーチャルに経験できる機械の話だ。この機械による副作用などはなく、使用中も健康状態はモニタリングされ、機械につながれていなかった場合と同じ健康状態が保たれる。そこであなたは上で述べたような「快適な意識状態」を好きなだけ楽しむことができる(例えば、何の心配もなく一生甘酸っぱい恋愛ゲームの世界に浸っていられるという状況)。また、心配性の人のために、数年に一度、現実世界に戻ってくることもできる。さて、このような経験機械にあなたはつながれたいと思うだろうか。あるいは、つながれることが幸福だと思うだろうか。(第6章)

 児玉は、次のように述べている。

オルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」は、科学技術の進んだ未来における究極の管理社会を描いた小説だ。この社会では、人々は不機嫌になると「ソーマ」という薬を飲んで幸福な気分になる。このような社会に疑問を抱き始めた主人公のバーナードと、社会に満足しているレーニナとの間で、次のような会話がなされる印象的な場面がある。

  バーナード「君は自由になりたいとは思わないのかね、レーニナ?」

  レーニナ「わたし、あなたのいうことが分からないわ。わたし自由よ。とてもすばらしい時を過ごす自由を持っているわ。今ではすべての人は幸福なのよ」

この話が書かれたのは1932年だが、抗うつ薬を「ハッピーピル」として使用することは欧米ではすでに始まっているため、この話はもはや絵空事とは言えない。(第6章)

ハッピーピル (Happy Pill)とは;

アメリカでは前向きな気持ちを応援するハッピーサプリとして人気を集めています

身体のリラックス、社交性の向上、精神安定に使われています。ストレス・不安感や神経の緊張、不眠に穏やかに作用するハーブです。完全なリラックスとクリーンな頭脳を同時にゲットできる夢のサプリメントが、最近注目を集めているハーブからなるサプリメントです。心身のリラックス効果、鎮静作用、不眠解消に。…配合成分: 5-HTP (セラトニン前駆体), N-Acetyl L-Tyrosine (脳機能サポート), St. John Wort Extract (抗うつ剤として長年応用), Caffeine (機敏さ高揚), Folic Acid (脳と感情作用をサポート), Arginine AKG (元気の栄養素), B Vitamins (元気の栄養素) 等々 脳内ポジティブホルモン分泌に促進するものです。(http://www.star-line.co.jp/a2/1interdrus/sus_happypill.html)

さて、あなたは、「経験機械」につながれたいですか? どういう体験を望みますか? 考えてみてください。


Norah Jones - Happy Pills - YouTube

 

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ここでノージックがどういう意図でこの思考実験を考案したのかに関わりなく(私はノージックの本を読んでいないのでわからない)、児玉が述べているように荒唐無稽の話ではないものとして、この「経験機械」について少し考えてみたい。

 

 「経験機械」につながれて、即ち、ハッピーピルを飲んで、ハッピーな気分になれればいいじゃないですか。健康に害がなければ。誰にも迷惑をかけてないですよ。暗い顔をしているより、笑顔でいたいですね。この世に生きている限り、辛い時や苦しいときってありますよ。そんなとき、心を落ち着かせ、元気をくれるものとしてサプリメントをとってもいいでしょ。

       脳に電極を差し込む → サプリメントをとる。

  機械による副作用がない → このサプリメントは、健康に害がない。

  快適な意識状態を楽しむ → 楽しく、元気で、幸せな気持ちになる

バーナードは、「君は自由になりたいとは思わないのかね」と言っているが、サプリメントをとれば元気が出てきていろんなことにやる気が出てくるのよね。それって自由を楽しむことができるってことじゃないの?

レーニナなら、きっとこう言うでしょう。

あなたは、どう考えましたか?

 

私は、以下のように考えました。

レーニナちゃん、あなたは一人で生きているのではないですね? 

橋の下で寝泊まりしていないですよね。ネズミを食べたり、野草を食べたりしていないですね。素っ裸で過ごしてはいないですね。人は生きていくのに必要なものを、分業して作りだしているんですよ。いま「私」が生きているということは、私たちがそれぞれの役割をはたして生きている、つまり「私」は「社会」の中で生きているということなんですね。サプリメントは誰かが作っているのですよ。それは私企業かもしれないし、国家(公企業)かもしれない。そこに私企業や国家(公企業)の「意図」が入ってくる。サプリメントは、天から降ってくるわけではない。そうだとすると…。あっ、これはいけない。話がなにか難しくなってきた。もっと、やさしく言えないものか。

「私」が、「私たち」の中の「私」である限り、「私」だけが良ければそれで良い、なんてことは言えないですよね。みんな仲良く暮らしたい。そして趣味であれ何であれ、(人に迷惑をかけずに)自分のやりたいことをやれればいいなあ。

しかし、世の中ままならぬ。趣味を持てるってこと自体が、なにか「贅沢」な世の中になってきたような気がするんですね。…辛い時間や苦しい時間が多すぎない? 趣味を持てる余裕のある人は、たぶんハッピーサプリなんて要らないですよ。そうでない人が、ハッピーサプリを必要とする。これって、やはり「社会」の問題、つまり「私たち」の問題じゃないでしょうか?

しかし、……この私の考えには続きがあります。次の児玉の引用文の後の文章をお読みください。

 

児玉はこう言っている。

仮にわれわれが圧制を敷かれた国家に生きており、市民の多くが不幸だとする。そのわれわれに二つの選択肢があるとしよう。一つは、人々を不幸にする政府を大変な労苦を通じて変革し、幸福になることだ。もう一つは、そのような変革を行わず、政府が支給するソーマあるいはハッピーピルを飲んで幸福になることだ。

大事な点は、自分が望ましい状態にあると感じているだけでは、われわれは自分が幸福だとは思えないというところにあるように思う。ハクスリーが描いた社会で主観的幸福度の調査を行うと、100%の人が「非常に幸せ」を選ぶだろう。しかし、われわれはそのような社会に住む人々を幸福とは考えないだろう。なぜならわれわれは、主観的に満足しているだけでなく、客観的にも幸福でありたいからだ。言い換えれば、幸福感を抱いている状態と、本当に幸福な状態は同一であるとは限らないのだ。

ミルは「満足した愚か者よりも不満足なソクラテスの方がよい」と言ったが、これに倣っていえば、「偽りの世界で幸福感に浸って生きるよりも、真実の世界で不満を感じながら生きていたほうが良い」ということになるだろう。

でも、「客観的に幸福」とは何だろうか。100%の人が「非常に幸せ」と言うならば、それは望ましい社会ではないのか。「幸福感を抱いている状態」と異なる「本当に幸福な状態」とは何だろうか。…児玉は、ハックスリーの世界(「国家」と「私たち」が対立している世界)が、現代社会と似ていることを過大視しているのではないか。

そうではなく、「国家」と「私たち」が対立していなくても、それでも苦しく辛い時期はある。その原因を探り、それを乗り越える。…理性的にはそうなんだろうが、人間は感性的動物でもある。そんなとき、怪しげなハッピーサプリではなく、精神的な(例えば芸術)ハッピーピルが必要なのではあるまいか。

でもこれは邪道かもしれない。芸術は、そんな癒しのためではなく、それ自体でハッピーでありたいと思う。