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STAP細胞 法と倫理(20) 研究不正の「定義」と研究不正の「認定」における問題点

小林論文の検討(5)

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今回から、日本の研究不正規律の検討である。小林は多くの疑問点や問題点を指摘している。概ね妥当な指摘であるように思われるが、順に見ていこう。

 

Ⅲ  米国との比較からみた日本の研究不正規律の課題

1 日米の研究不正規律成立のタイミング … 省略

2 研究不正の定義に関する論点

(1) 研究不正の定義

日本の研究不正規律が調査や措置の対象とする研究不正の種類は、すべての規程で、捏造・改ざん・盗用とされている。…日本の研究不正の定義は米国の[科学技術政策局]OSTP2000 連邦規律以降の研究不正規律の定義と同じだといわれることがある。しかし、詳細にみると、日米の研究不正の定義は異なっており、その違いは表面的、形式的なものではなく、本質的なものである

 この項目における見出しをあげると、次の通りである。詳細は原文参照。

ⅰ 各種の研究不正規律に見る「改ざん」の定義

ⅱ 文科省2006 指針等における「改ざん」と研究の途中段階での不正行為

ⅲ 日米の研究不正定義の差と影響

 何が異なるのか?

米国は研究計画の申請から研究成果の発表までを対象としているのに対して、文部科学省の研究不正ガイドライン研究成果の発表のみを対象としている。そのため、特に改ざんの定義は異なったものになっている

OSTP2000 連邦規律以降の米国の研究不正の定義においては、改ざんには研究記録の破壊、不作成、研究記録からのデータの削除[省略(omit)]なども含まれる。…文科省2006指針に「省略」はない。…研究申請や研究実行中など研究途中での不正行為の告発は定義上不可能。…この問題は、単なる定義上の問題にとどまらず、後述する研究記録の不存在の考え方や研究不正の認定方法とも関連してくる。…この定義の違いがさまざまな困難の原因になっている。

 文科省2014 指針(2014/8/26) (研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン)も、文科省2006指針と同じ定義なので「省略」はない。

文科省のように、研究不正の対象を「研究成果の発表のみ」に限定するのは、不正の範囲を狭め、不正を見逃すことになると思う。また不正の取り扱いを不公平にするものではないか。とすれば、研究不正の定義を変更すべきということになる。

 (2) 研究不正の認定の要件

米国の事例でみたように、研究不正に関する定義には、誠実性による除外(誠実に実施した上での単純な誤りや意見の相違を研究不正から除外)という条件も付く。研究分野の慣行に基づく除外(研究分野の慣行によって許容される研究記録の取扱いを研究不正から除外)も前提となっている。これらのことから、研究不正の認定に際しては、「研究不正の故意性の認定」と「研究分野の慣行からの逸脱の認定」を要することになる。

この項目における見出しをあげると、次の通りである。詳細は原文参照。

ⅰ 故意性の認定

ⅱ 研究分野の慣行に基づく除外

 故意性の認定について

研究不正の認定の条件としての故意性の認定に関しては、文科省2006 指針で初めて登場し、「被告発者の研究体制、データチェックのなされ方など様々な点から故意性を判断することが重要である。」と明記されている文科省2006 指針以降の研究不正規律の多くはこれを踏襲しているが、…理研2012 規程では記載がない。もっとも、文科省2006 指針は故意性の認定の観点は例示しているが、認定の基準は必ずしも明確に示されておらず、現実に故意性を認定する際には困難が予想される。…東北大2013 規程は「故意によるものであると強く推認される」ことを故意性の認定の条件としており、実質的には「高度な蓋然性」もしくは高い証明力を有する証拠に基づき故意性を認定すべきことを規定している。その際、研究記録の不存在が故意性の高い証明力を有する証拠となりうることを規定している。その結果、研究記録の不存在により、研究不正の故意性の認定が可能になり、文科省2006 指針のような故意性の証明の困難さは回避できることになる。

研究分野の慣行に基づく除外について

研究不正の認定における研究分野の慣行からの逸脱の認定を明確に規定している研究不正規律はない。文科省2006 指針は…調査委員会に被告発者が負う証明責任の程度を研究分野の特性に応じて判断することを求めているが、これが実質的には研究不正の認定における研究分野の慣行からの著しい逸脱の認定に相当すると思われる。日本の研究不正規律における研究分野の慣行からの著しい逸脱の認定の要件は、米国の規律ほど明確でないが、日米に実質的な違いはないと言えよう。

(3) 再実験、再現性をめぐる論点

米国の研究不正規律には、再実験により研究不正を調査・認定するという考え方は登場しない。再実験を研究不正の調査方法として位置付けていることは、日本の研究不正規律の顕著な特徴である。

この項目における見出しをあげると、次の通りである。詳細は原文参照。

ⅰ 再実験について

ⅱ 再現性をめぐる議論

ⅲ 再実験、再現性をめぐる最近の状況

再実験について

多比良・川崎データ捏造事件の経験を経て…文科省2006 指針は、研究不正の調査において、調査の方法の一つとして再実験を位置付け、その機会(機器、経費等を含む。)の保障を規定した。また、被告発者が不正行為の疑惑への説明責任を果たす場合の手段の一つとしても再実験を明示的に位置付けた。文科省2006 指針以降の研究不正規律の多くは文科省2006 指針に準じて再実験の規定を導入している。研究不正の調査に際して再実験をすることには疑問もある。…再現性と研究不正は別の問題であり、再現性が確認されたからと言って、疑念を呈された論文に研究不正がなかったとは必ずしも言えず、また再現性が確認できない場合でも研究不正があったとは断言できないのである。

再現性をめぐる議論

実験の再現性をめぐる議論では…再現性は研究上当然必要なことであるという見解の一方で、再現性を問われると困難なケースが多々あるとの指摘もあり、再現性を根拠とすることに否定的な意見もあった。実は、不正行為の認定基準として…「生データや実験・観察ノート、実験試料・試薬の不存在など、存在すべき基本的な要素の不足により証拠を示せない場合は不正行為とみなされるということでよいか」という論点も示されていた。つまり、研究記録による証明も想定されていたのであり、再現性は必ずしも唯一の選択肢ではなかった。

再実験、再現性をめぐる最近の状況

もっとも、経費負担という現実的な懸念のためか、研究不正規律における再実験の記載が次第に消極的になっていったことも事実である。…文科省2014 指針案も、制約条件付きで認める方向に姿勢を変えつつある。また、ここでは被告発者が不正行為の疑惑への説明責任を果たす場合の手段の一つとして再実験を位置付ける規定はなくなった。…今後は、研究不正の認定と再実験を通じた再現性の確認とは、別の問題だという原点に戻っていくと思われる。

文科省2014 指針では、「告発された特定不正行為が行われた可能性を調査するために、調査委員会が再実験などにより再現性を示すことを被告発者に求める場合、又は被告発者自らの意思によりそれを申し出て調査委員会がその必要性を認める場合は、それに要する期間及び機会(機器、経費等を含む。)に関し調査機関により合理的に必要と判断される範囲内において、これを行う。」とされた。

 

3  研究不正の認定における証明責任、証明力に関する論点

(1) 証明責任の考え方

研究不正の認定において、誰が証明責任を負うのかは重要な問題であり、決して自明なことではない。米国の場合は、措置を課そうとする所属機関や連邦機関に証明責任があるとしている。もっとも、米国の場合は「証拠の優越」により証拠を判断するので、お互いに説明責任を負うととらえてもよいかもしれない。これらの考え方は米国の民事訴訟の証明責任、証明力の考え方とほとんど同じである。

一方、日本の多くの研究不正規律は、被告発者に証明責任を負わせている文科省2006指針は、「①調査委員会の調査において、被告発者が告発に係る疑惑を晴らそうとする場合には、自己の責任において、当該研究が科学的に適正な方法と手続に則って行われたこと、論文等もそれに基づいて適切な表現で書かれたものであることを、科学的根拠を示して説明しなければならない。そのために再実験等を必要とするときには、その機会が保障される。」と被告発者が証明責任を負うことを示し、またこの「説明責任の程度」については「研究分野の特性に応じ、調査委員会の判断にゆだねられる。」としている。また、「被告発者の説明及びその他の証拠によって、不正行為であるとの疑いが覆されないときは、不正行為と認定される。」としている。

日本の民事訴訟においては、原則として告発する側が証明責任を負う。また、被告発者に証明責任を負わせる原則は、米国の研究不正の考え方とも異なっている被告発者の側が証明責任を負うことは自明ではない特別な証明責任のあり方を採用する以上は、それを合理的だとする根拠が必要である

ここで根拠として示されたのは、「先人の業績を踏まえつつ、自らの発想に基づいて行った知的創造活動の成果を、検証可能な根拠を示して、研究者コミュニティの批判を仰ぐ」といった「研究活動とその公表の本質」である。しかし、この根拠が合理的かと言えば疑問がある。…ここで「研究活動とその公表の本質」と呼ばれているものは研究活動の理想像なのであり、現実ではない。このような規範的理由が、被告発者が証明責任を負うことの根拠として十分かは議論の余地があると思われる。しかし、文科省2006 指針以降は、ほとんど議論されることなく、被告発者が証明責任を負うという考え方が継承されている。これは文科省2104 指針案でも同じである。

誰が証明責任を負うのかは重要な問題である。民事、刑事訴訟における原則と異なるということは、当該研究不正が民事、刑事事件となるとき大きな問題になるのではないかと思う。

(2) 証明力の規定

証明責任と表裏一体の関係にあるのが証明力である。証明力については、文科省2006 指針で初めて言及された。…物的・科学的証拠、証言、被告発者の自認等の証拠の証明力は、調査委員会の判断に委ねられる。(自由心証主義)…なぜそのような立場を取るのかは明確には述べられていないが、前後の文脈から日本社会の民事訴訟、刑事訴訟において一般的に要求される「高度の蓋然性」のような証拠の高い証明力の基準を一律に適用してしまうと、研究不正の認定の際に、限りなく不正に近いにもかかわらず「黒」と判定できないグレーゾーンに落ちるケースが多発するのではないかと危惧していたと推測できる。そこで、「証拠の証明力は、調査委員会の判断に委ねられる」と自由心証主義を持ち出し、研究不正の認定において調査委員会に証明力に関する判断を委ねることで「高度の蓋然性」よりも低い証明力を採用する余地を残す趣旨のように読める。そうであれば、米国のように「証拠の優越」基準を設定することもできたはずだが、日本社会では「証拠の優越」は一般的でないので、そこまで積極的に証明力を明示するまでには至らなかったということかもしれない。なお、理研2012 規程では証明力に関する規定がない。それ以外の研究不正規律は文科省2006 指針の規定を継承している。

自由心証主義というと聞こえは良いが、民事、刑事裁判に耐えられない調査委員会の勝手な判断ということにならないか。「疑わしきは罰せず」という大原則はどうなるのか。

 

(続く)