抽象的な思考は、常に彼の感性と共にあった。…古い瓶の「取っ手」を見つめることから、すでに哲学が始まっている。橋を渡り、扉を空け開くことによって哲学が発動する。デカルト以来、感覚を貶め、感覚的なものへの禁欲を自己に課してきた哲学のなかで、多彩で豊穣なイメージの世界を切り捨てることができもしなかったし、しようともしなかった哲学者であった。
「多彩で豊穣なイメージの世界」を切り捨てれば、人間の哲学の大きな部分を切り捨てることになるのではないか。何よりもそのような哲学は「面白くない」。形式論理学を面白いと感じる奇特な人もいるようだが、それだけでは「それで?」と言いたくなる。
哲学の普遍主義は、多くのユダヤ系哲学者たちの情熱の的となったようだ。少なくとも、カント哲学が代表する「純粋哲学」、つまり文化的・歴史的背景を越えて、人間一般の名において思索することは、宿命的な民族の刻印をおされたユダヤ系哲学者の多くがめざしたことであった。
ドイツ哲学とか英米哲学とかそういうことは関係ない。「人間一般の名において思索すること」、これこそ哲学の普遍主義である。国名を冠すれば政治学になるだろう。
カントは確立されつつあった近代科学について認識の問題を立てた。認識は、これから獲得されるべき確実なイメージで捉えられていた。それに対し、ジンメルや彼の同時代の新カント主義の哲学者にとっては、科学的認識はすでに厳然たる「認識の事実」として現存する客観的な知識である。科学的な知識とは、制度化されてしまった知識のことである。教え学ばれる知識体系であり、その成立の過程については、哲学者はもはや直接的なかたちで参加することはない。
「科学的認識はすでに…現存する客観的な知識である。教え学ばれる知識体系である」というのは、あまりに一面的な見方である。「客観的な知識、教え学ばれる知識」と同時に、「探究され、獲得される知識」があることは当然である。(世紀末の「知の閉塞的状況」があったのかどうかわからない)
知的・学問的な営為は、もはや時代を先取りしていく先導的な役割を果たすことができない。むしろ、因習的に抑圧的に働く。そのようなときには、知識の思想は、知識を解体されるべきものというステイタスで考えようとする。知的営為を追認し、正当化し、「基礎づけよう」という試みは、たとえそれが「純粋」で「普遍的な」立場からの試みであっても、すでに知識の抑圧構造に加担しているのである。
…ジンメルが行ったのは、知識のゲリラ戦的な解体作業であった。それが、ジンメルのほとんど悲劇的ともいえる徹底した相対主義の思想であり、ほとんど無節操とも映る折衷主義であった。
「正当化」の試みが、「抑圧」に加担することになるという指摘は、私には「なるほど」と頷かせるものがある。但し、「抑圧」という言葉は強すぎるので、「改変しがたい規準」という程度に理解しておきたい。…ジンメルの相対主義が具体的にどのようなものなのか興味深い。
ドイツ的なもの、北方的なもの、暗く深い森の思想が、普遍的なもの、東方的なもの、砂漠と風の思想とに対立しつつ混在している。ジンメルの思索は、そうしたいくつかの風土的な対立軸によって支えられている。
「物質の全体が重さを持たないと同様に、認識の全体は真であることはない」という、ジンメルが折にふれて書き留めた信条がある。部分と部分との関係においてしか、わたしたちの理論は働かないのだと。全体を捉えようとすることは、生きた部分の抑圧につながってしまう。複雑に絡み合ってしまうこと、整理も整備もつかないままで関わり合い、もつれた交差関係に入り込むこと-それは、思考の障害ではない。むしろ思考の前提である。
私は「暗く深い森の思想」がどのようなものであるか知らない。しかし、この言い回しは気に入った。
普遍的なもの、東方的なもの、砂漠と風の思想、これがほぼ同じなのはどういう意味か。
全体を捉えようとすることが、なぜ生きた部分の抑圧につながってしまうのか。
そうした折衷主義的な思想傾向は、ジンメルの懐疑的な精神、さまざまな題材と背景に合わせてしなやかに肌の色を変えていく精神に根差している。体系的な精神が、ひとつの全体の展開を終結することで初めて自己を全うする精神、つまり死して完成する精神であるとすれば、懐疑的な精神は、終結すべきものを知らない精神、生きて反応する精神である。それと同時に、出自を持たない、由来のわからない精神、土着的なすみかを失った精神でもある。ジンメル的な精神は、反ユダヤ主義が政治プロパガンダとなりつつあった今世紀初頭のドイツでは、いかがわしいうさんくさい精神であった。(以上引用はすべて、第1章ベルリンの哲学者 より)