浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

STAP細胞 より良き未来のために(1) 

記事下のカテゴリー「STAP細胞問題」をクリックし、最初の「STAP細胞問題 お知らせ」より、お読みください。

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これまでSTAP細胞問題をいろいろ考えてきて、そろそろ「まとめ」に入りたいところであるが、「情報不足」と「能力不足」により、とてもまとめられそうにない。そこで「まとめ」はあきらめて、(「まとめ」らしき)私見を断片的に(順不同に)述べることにする。

 

1 小保方は、「不当に」研究者人生を断たれた

私は、「小保方は、不当に研究者人生を断たれたのではないか?」という疑問/関心から、STAP細胞問題を考えてきた。そして現時点でも、「小保方は、不当に研究者人生を断たれた」と思っている。何故か?

理研調査委員会は、小保方を、研究者にあるまじき捏造・改ざんを行った認定し、これを公表した。これにより小保方は、今後まともな研究機関で研究することはできなくなった。引退してひっそりと暮らすか、自殺するしかない。(小保方は既に精神障害を発症しているのではないかと私は想像している。)

これは、小保方に対する「刑罰」である。これは「動かしがたい事実」であると考える。

さて「研究不正」に限らず、あらゆる「不正」は、その「不正」の内容・程度に応じて、処罰される。「私たちが取り決めたルール」を守らない者には、相応のペナルティを与えなければ、社会は成り立たない。そのルールは、どのような行為をすればどのようなペナルティを科すかを決めている。そしてそのルールは周知徹底されていなければならない。スポーツのルールを考えてみれば、誰でも理解できることだろう。

ペナルティ(罪刑)は、あらかじめ決められていて、周知徹底されていなければならない(法定)。これを罪刑法定主義という(注)。Wikipediaによれば、

罪刑法定主義は、ある行為を犯罪として処罰するためには、立法府が制定する法令(議会制定法を中心とする法体系)において、犯罪とされる行為の内容、及びそれに対して科される刑罰を予め、明確に規定しておかなければならないとする原則のことをいう。

罪刑法定主義の根拠は、以下のように自由主義・民主主義の原理にこれを求めることができる。

どのような行為が犯罪に当たるかを国民にあらかじめ知らせることによって、それ以外の活動が自由であることを保障することが、自由主義の原理から要請される。

何を罪とし、その罪に対しどのような刑を科すかについては、国民の代表者で組織される国会によって定め、国民の意思を反映させることが、民主主義の原理から要請される。

 小保方を研究者コミュニティから追放した(刑罰を与えた)ということは、小保方の行為が犯罪であると認めたということを意味する(「刑法」上の犯罪であるかどうか別として)。犯罪でなければ、そのような重い罰を与える必要がない。だとすれば、立法府が制定する法令(議会制定法を中心とする法体系)において、犯罪とされる行為の内容、及びそれに対して科される刑罰を予め、明確に規定しておかなければならない

では、そのような法令が存在するか?

理研の「科学研究上の不正行為の防止等に関する規程」や「就業規程」は、法令ではない。文科省ガイドラインも法令ではない。

従って、小保方は「立法府が制定する法令」によって裁かれたのではない。「村の掟」により裁かれたのである。

以上の話は、小保方が不正を行ったか否かに関係ない話である。小保方が不正を行ったとしても、法令に定めがない限りは、「不当」に裁かれたのである

これは、自由主義の原理に反し、民主主義の原理に反するものと考えられる。

 罪刑法定主義はどこにいったのか?

(注)罪刑法定主義については、法と倫理(3)(9)(10)(12)(13)(15)でふれた。

 

(続く)