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気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

STAP細胞 より良き未来のために(7) 

STAP細胞問題

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8.マスコミにおける「少数意見」の取り扱いについて -インターネットの可能性

報道が「公平」で「中立」であることはほとんど不可能であるように思えるということについては、「3.報道の中立性を考える」で述べた。しかし、「公平」で「中立」であろうとする意志があれば、つまり力ある者のみのスピーカー(太鼓持ち、イエスマン)にはなりたくないと思うのであれば、「少数意見」をとりあげる手立てを講じなければなるまい。

放送法は、第4条において次のように定める。

第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

一  公安及び善良な風俗を害しないこと。

二  政治的に公平であること。

三  報道は事実をまげないですること。

四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

特に、第四号の「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」は、重要である。「意見が対立していない」と思っていても、それは記者がそう思っているだけかもしれないのである。

ここに、ある丸い物体がある。誰がみても「丸い」。ところがある人はこれを「三角」だという。そして彼は「嘘つき」呼ばわりされる。さもなければ、「思い込みが激しい」とか、「視覚異常」だとされる。彼の意見は無視され、報道されない。ところが、その物体は「円錐」であった。彼以外の誰もが、下から上を見上げて、「丸い」と言っているのであった。

これは何を意味するか。第四号の「意見が対立している問題」は、「異なる意見があるかもしれない問題」とするべきなのである。何でもかんでも疑えというのではない。小説・音楽・演劇等々に疑いの目をむける必要はない。しかし「事実」「事実の認定」「証拠と推論」「判断」「判決」等々には、「異なる意見があるかもしれない」と心得ておくべきである。そういう心得のない者が報道に携わると、一つの視点からの報道に終始することになってしまう。これでは報道記者失格といわれてもしかたがないだろう。

これは、「放送法に定められているから、そうしなければならない」というのではない。放送法に規定があろうとなかろうと、「客観性」「公平性」「中立性」を、報道の価値理念とするならば、報道に携わる者は、当然に少数意見を尊重すべきものと心得えておくべきだろう。

しかし、STAP細胞問題の報道においては、このような報道の価値理念はどこかへ飛んで行ってしまい、「一面的な事実の報道」に終始し、結果として「客観性」「公平性」「中立性」が保たれなかったように感じられた。つまり「できるだけ多くの角度から論点を明らかにする」ための「取材」の努力がみられず、「問題の本質」や「対応策の是非」等に関する報道がされず、理研の発表(とその解説)のみを報道し続けたように感じられた。(マスコミが大好きな「事件」と捉えたとしても、「事件の真実」に迫ろうとするような報道の熱意が感じられなかった。)

問題は、「客観性」「公平性」「中立性」の価値を認めても、先の記事でふれたように、「放送時間の制約」「紙面の制約」があり、「少数意見」をとりあげたくても、とりあげられないという事情は考えられなくもないということである。では、どうすれば良いのか?

次のような例を考えてみよう。

ある組織のあるトピックスに関する記者会見があったとする。報道関係者のみが出席でき、記者のみが質問できる。視聴者/読者は、出席できず、質問できない。仮に、オープンになっていても、場所・時間の関係で出席できない。資料(事前配布や当日配布に限らず)を十分に検討する時間的余裕がなく、的確な質問ができない。そのような視聴者/読者が、後になって(資料を検討したりした後に)「知りたいこと」が出てきても、どこに問い合わせることもできない。そういう質問を受け付ける窓口がない。仮に窓口があったとしても、質問受け付けや回答のルールがなければ、混乱するだけである。

このように考えてくると、方向性が見えてくるように思われる。即ち、「客観性」「公平性」「中立性」の価値を認めるまじめな報道機関であろうとするなら、自らの限界を補うものとして、当該トピックスに関する視聴者/読者の質問に応答する公式の場を設けるというものである。まずは、公共放送を担う日本放送協会(NHK)で考えよう。

日本放送協会は、「NHKオンライン」という公式ウェブサイトを持っている。ここでの機能拡充により、当該トピックスに関する質問を受け付け(質問者の限定をしない。質問却下はその理由を公開する。)、当該組織からの公式な回答を請け負ったり専門家に解説を求めたりする。専門用語についてはリンクを張り、素人向けにやさしい解説をする。文字情報だけではダメ。日本テレビの「世界一受けたい授業」のように面白さを加味したものが望ましい。

いま「ある組織のあるトピックスに関する記者会見」の例を考えたが、これは容易に一般的な「特定のテーマ」(公的なものに限る)に拡張できる。当該テーマに関する質問と当該テーマに関与する者の回答を請け負うものである。よくあるQ&AサイトのAを「責任ある回答」とするものである。なお回答は「唯一の正しい回答」である必要はない。

また公的なフォーラムを検討する必要がある。公共空間でのフォーラム運営には、匿名掲示板の良さをも取り込んだきめ細かいルールが必要である。(公的フォーラムについては、さまざまな議論があるだろう)

このような機能拡充がされれば(技術的な問題は何もないと思う)、マスコミに対する不満が大きく解消されると思われる。またネット(blogやtwitter等)での議論のレベルアップ、良質な議論、納得のゆく結論を得る可能性が大幅にアップするのではなかろうか。

 

(続く)