気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

抒情的抽象絵画の魅力

大岡信抽象絵画への招待」(2)

抽象とは何か

抽象絵画の抽象とは何か。大岡は言う。

抽象と言う、人間精神の根源的な能力は、一方では現実世界を見る眼を顕微鏡的にし、他方では望遠鏡的にする。描くという最も単純で普遍的な行為が、画家自身によって微分され、積分される。それは当然、空間と彼自身とのかかわり方を変えるだろう。人間と自然との接触は、一方では地、水、風、空の元素的世界へ画家を導き、他方では都市のあらゆる塵埃、疾病、運動、歓楽、密集と孤独の世界へ彼を駆り立てるだろう。私たちは一枚の絵を見るとき、絵の中にこのような諸要素をじかにそのまま見ることはできなくても、絵がこれらのものの中に包まれ、また絵の中にそれらを包み込んでいることを考えておく必要がある。(第2章)

描くという行為が「微分され、積分される」とはどういう意味か。たぶん顕微鏡的、望遠鏡的と対応しているのだろう。顕微鏡的、望遠鏡的といっても、「静的」なものではなく、「動的」なものであることを言いたいために、微分積分という言葉で表現しているのではないかと思う。

近代絵画の歴史は、本来きわめて抽象的である衝動、徹底的に事物の構造原理の根源にまで突入しようとする衝動が、つぎつぎに形をとって浮上してきた歴史だった。

フォービズムは「色彩」を、キュビズムは「フォルム」を、それぞれ対象から独立して存在しうる「造形言語」として画面上に自己実現させた。シュルレアリズムは、不可視の内面世界に手をのばした。そこで用いられた手段の一つに、心的自動性を表現するオートマティスム(自動描法)があり、…デッサンはここでは、外部の対象をかたどるものというよりは、「自分の中」(ミショー)にひそむ、ある不気味な超自我の世界の開示の手段なのである。(第2章)

 ここで、オートマティスムとは、「フランスのシュールレアリスム運動のなかで提唱された手法。理性や既成概念にとらわれず、浮かんでくることを自動的に次々と速記し、意識下の世界を表そうとするもの」(デジタル大辞泉)である。

ヴォルス(1913 – 1951)にも、デッサンは自然界の本質への不断の接近であり、永遠的なものへの癒しがたい形而上学的渇望の痕跡に他ならなかった。(第2章) 

 

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Wols (Alfred Otto Wolfgang Schulze), Composition V, 1946 (http://giorney.tumblr.com/post/601285113/wols-alfred-otto-wolfgang-schulze-composition)

 

大岡は、この絵を白黒でのせているが、ネットでカラーのものがあったので貼りつけておこう。

私はこれよりも次の絵が好きだ。「細胞」を想起させないのが良い。(大岡の本には無い)

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http://www.book-komiyama.co.jp/bookblog/?p=9685

 

絵画空間を押し広げる

形の彼方にあるフォルムを求める衝動は、「描く」ことの根源へ画家を直面させ、また画面のマチエールに関する考え方を急激に変革させた芸術観と根を同じくしている。…根源追求という衝動は、現象としては必ず既存の秩序の破壊という局面を持つ。…批評家ミシェル・タピエはそれらの中にひそむ「激情」に、「不定形の意味するもの」の存在をかぎつけ、これを「アンフォルメル」運動の火焔にまで燃えあがらせた。…

この大きな変革の流れがはっきりと確立した事実の一つは、眼にみえる形の彼方にひそむもの、心的で同時に超個人的、神話的でさえある世界を、絵画的、感覚的な事実として定着しようとする画家の夢の場所に、「絵画空間」がなったということである。(第2章)

 

アンフォルメル

日本大百科全書(ニッポニカ)は、次のように解説している。一部引用。

主として1950年代に前衛芸術の一動向となった叙情的、表現主義的傾向の抽象芸術およびその運動をさす。この運動は、1950年代から少なくとも1960年代初頭までは国際的な広がりをみせ、多くの批評家、芸術家たちの間に共感を巻き起こした。日本人としては、批評家の富永惣一(1902―1980)、彫刻家の勅使河原宏(1927―2001)、画家今井俊満堂本尚郎などがその一環を担った。そしてヨーロッパ的合理主義、古典主義への反抗という一面のかたわら、東洋の墨蹟や禅の思想との関連という他面をもったことが、いっそう国際的な広がりを強めた。しかし1960年代末以降、しだいに他の前衛的な動向のなかに埋没していったことも事実である。[中山公男]

歴史はどうあれ、抒情的抽象と称される抽象絵画には魅力的なものがある(幾何学的抽象とか構成抽象は、「形而上学的渇望」が感じられず、あまり魅力的ではない)。2つだけ紹介しておこう。

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http://art.ce.cn/ylmb/ylysj/200907/08/t20090708_19488544.shtml

 

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http://art.china.cn/mjda/2009-03/20/content_2802377.htm