サム・フランシス (1923-1994)の絵をみてみよう。
http://www.ddart.co.jp/sf-308.html
サム・フランシスとは、
20世紀のアメリカの画家。1923年、カリフォルニア州に生まれる。第二次大戦中、飛行訓練中の事故によって入院していた時に絵を描きはじめた。アンフォルメルや抽象表現主義の流れを汲む色彩画家である。
フランシスは1957年、世界旅行中に初めて日本を訪れる。これ以後の彼の作品の、余白を生かした画面構成、「にじみ」の効果を生かした表現方法などには、日本美術の影響が見られる。以後、ニューヨーク、パリのほか、東京にもアトリエを持ち、しばしば来日、勅使河原蒼風、大江健三郎、大岡信、小山富士夫ら、日本の文化人とも交流があった。また、出光興産社主であり、東洋古美術のコレクターとして知られた出光佐三は、フランシスのコレクターとしても知られ、現在も東京の出光美術館には多くの作品が収蔵されている。
大岡は次のように書いている。
私の親しい友人であるアメリカ人画家サム・フランシスは、ある日私と話しながら、次のように言った。
「色彩は絶対のフォルムだと言えないか?」
「絶対」のフォルムとは、絶対的なフォルムという意味ではない。絶対と言う不可知のものが自己自身をあらわすそのフォルムが、即ち色彩じゃないのか、という意味である。「フォルム(形式)」と「色彩」とは、互いに範疇を異にする概念なので、フォルムを色彩によって、あるいは色彩をフォルムによって語ることは、ひとつの矛盾を犯すことである。しかし、絶対という形容不可能なものを表現するには、矛盾命題を述べる他ない。サム・フランシスのこの言葉は、第一義的に色彩で考えるこの画家の思考の奥にひそむ渇望をうかがわせるものとして、私には興味深かった。(第2章)
ここで言う「絶対」とは、絶対者≒不可知のもの≒造物主≒第一者≒イデアなどと考えるとわかりやすいかもしれない。私には何となく「第一者」という言い方がわかりやすいので、これで置き換えてみよう。
色彩は「第一者」のフォルム(形式)である。…まったくの「観念」にすぎない第一者を、人間の目にみえるものして表現するとき、フランシスにとっては「色彩」が最もふさわしいものであったに違いない。しかし「色彩」ではなく、「フォルム(形式)」が最もふさわしいとする人もいるだろう。そう考えれば、とりたてて矛盾ということもないように思われる。
フランシスの「第一義的に色彩で考える思考の奥にひそむ渇望」がどのようなものであるかは分からない。私もどちらかと言えば、フォルムより色彩に親近感を抱くが、フランシスのような極彩色には馴染めない。アンフォルメルや抽象表現主義なら何でも良いというわけにはいかない。