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気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

精神の流体(イヴ・クライン)

読書ノート アート

大岡信抽象絵画への招待』(5)

造形空間とは何か

造形空間とはいったい何なのか。この問いそのものが造形行為の出発点となり、造形の中に潜む原理的、法則的なものと画家自身の個性とのゆるぎない出会いが真剣に追求されるとき、そこには必ず独特な単純化と、造形空間の新たな局面の発見が生じる。…カンディンスキーは、諸芸術についての旧来のカテゴリー、即ち必ずしも具象的である必要のない音楽や建築のような「抽象」芸術と詩、絵画、彫刻のような「再現」芸術との間の境界をとりはずそうとして、絵画と音楽とを同一次元のものとして捉え、理論的に一体化しようとした。1910年に描かれた彼の最初の抽象絵画は、明らかに、音楽的秩序を絵画の構造の基礎に据えようとしたものだった。

この考えは、絵画というものが視覚以外の五感の諸要素を複雑な形で構成しているものである、という認識にまで発展するはずのものだった。そして事実、今では絵画について音楽用語で語るということはまったく普通の手順になってしまっている。しかしこれは、本当は深く考えるに値する変化なのである。それだけでなく、物象のイメージを超えた「精神の流体」(イヴ・クライン)さえも、造形芸術によって定着できるのだという考え方が、こういう趨勢の上にやがては生まれてくるのであって、私たちがいま「造形言語」というような言葉を普通に使うようになってきた背景もまた、そこに求めることができるだろう。

 絵画という枠にとらわれなければ、造形空間とは例えば次のようなものであろう。ここに潜む原理的なもの、法則的なものとは何か。

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空間造形作家GEN氏による竹と光のオブジェ http://evercandle.com/event/event1.html

 

精神の流体

「言語」は目に見えず、手に取れず、匂いもなく、重さも延長もない。その意味でまったく独特な「道具」であり「材質」なのだが、絵画が精神の流動する姿そのものをとらえようとする野心を持つことは、絵画そのものもまたこのような性質をもつ「言語」に変ろうとすることを意味すると言えるのである。

画家たちの仕事が音楽や文学の領域にたえず浸透してゆき、また絵画の中に哲学的、神秘的な「啓示」の思想が絶え間なく流れ入ってくるのもそのためである。

ヴォルスが折にふれて書いた詩は、現代の画家が、いわゆる言語の世界との同一化を拒絶しているはずの絵画作品とよばれるものを描きながら、つねにある種の世界像の「言語的」形象化に心を奪われている存在であることを強く印象付けるのである。

 絵画、音楽、文学は、いずれも同じ「精神の流体」を捉えようとする。絵画、音楽、文学の相互浸透。…相互浸透は、コラボとどう違うか。

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単純化と複雑化

私が本書で主に取り上げている、いわばリリック[抒情的]な傾向の抽象画家たちは、次元の異なる諸価値を統一するのに、分析的、構成的な方法によることを拒み、いわば律動的な統一、緊張した流動そのものと化して、これをなしとげようとするから、そこには敏感に「本能」と「精神的なもの」との合体が生じ、画面構造もそれを裏付けるかのように、単純化してゆくのである。しかし、事情がそのようなものである以上、この単純さは、複雑な内部構造を含む単純さなのであり、それが排除した造形的な細部は、かえって見えない圧力となって画面を緊迫させるはずである。

こうして、空間そのものの概念が、単純化と複雑化との双方において、多様なすがたをとりはじめる。例えば、イタリアの戦後美術にひときわ目覚ましい栄光をもたらした一人であるルーチョ・フォンタナは、ある空間についての概念を提示するのではなく、まさに「空間概念」そのものを、作品として提示することを試みる。またイヴ・クラインは、イメージから完全に解放された空間そのものをとらえるために、モノクローム(単色)の世界へと突き進む。それはまた、マーク・ロスコ、クリフォード・スティル、バーネット・ニューマンといったアメリカのいわゆる「色画派」の画家が、大画面において追及してきた茫洋たる色面とも呼応しあうものを持っていた。微細な記号的イメージの密集するマーク・トピーの世界にも、やはり、超越的な世界、すなわち自我の単なる自己表現を超えた形而上的で同時に大量の現実感覚を含んだ世界が表現されているのである。

 

ここで名前のあがっている5人の画家の絵を一点ずつC&Pしておく(この選択に特別の意味はない)。いずれにも、大岡の言う「複雑な内部構造を含む単純さ」あるいは「自我の単なる自己表現を超えた形而上的で同時に大量の現実感覚を含んだ世界」がみてとれるようだ。

ルーチョ・フォンタナ(1899-1968):空間主義運動の創始者

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http://labachecaweb.it/cases/2011-12/Giulia.Reali/luciofontana.html

 

イヴ・クライン (1928-1962):モノクローム絵画

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http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/art/features/yves-klein-at-his-very-bluest-1917796.html

 

マーク・ロスコ (1903-1970):シーグラム壁画

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http://www.markrothko.org/images/paintings/black-in-deep-red.jpg

 

クリフォード・スティル (1904-1980)

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 http://www.wikiart.org/en/clyfford-still/1949-a-no-1-1949#supersized-artistPaintings-283767

 

バーネット・ニューマン (1905-1970):十字架の道行

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http://www.wikiart.org/en/barnett-newman/first-station-1958#supersized-artistPaintings-265200