浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

貨幣の哲学

北川東子ジンメル-生の形式』(8)

北川は、ジンメルの「貨幣」について、次のように解説している。

ジンメルにとって近代の本質を決定する現象が、「貨幣」であった。貨幣は、単に所有形態や交換形態の変容をもたらすだけでなく、「生の様式」を決定してしまう。近代の「生の様式」は、「計量的、計算的な背質」を持った物であり、「悟性的」である。「貨幣は、無性格という否定的な概念で表現される、あのきわめて積極的な性質を持つ」ゆえに、すべての物をすべての物と交換可能にする。したがって、物はそれ本来の価値においてではなく、貨幣的価値つまり値段において価値づけられることとなる。

貨幣による価値の一元化は、ある典型的な現象をもたらす。つまり、純粋な手段にすぎない貨幣が、心理的に自己目的化してしまうという現象である。「目的意識は貨幣で停止してしまう」。ジンメルは、貨幣の自己目的化に現代文化の病的現象が典型的に現れていると考える。

ジンメルは、価値論を貨幣論というかたちで展開することで、19世紀的実体思考の終わりを宣告する。貨幣とは「純粋な可能性という価値」であるが、まさにそのことによって、いっさいの価値が単なる「可能性」にすぎないことを暴露するのである。貨幣は、「事物の相対性」の表現に他ならない。

貨幣は古来より存在するので、なぜ近代の本質を決定する現象なのかはよくわからないが、「生の様式を決定する」という言い方は覚えておいても良いかもしれない。「お金」にまつわる悲喜交々については、あらためて述べるまでもない。「辞表出し 帰りにならぶ 宝くじ」(korechan81)。

物はそれ本来の価値においてではなく、貨幣的価値つまり値段において価値づけられる。…私はamazonで中古本をよく買うのだが、100円の本が私には1000円の価値がある本だったりする。他の人には0円の価値もない。ということは、「本来の価値」はどうなのかという話になる。需要と供給により「価格」が決まると習ったものだが、そのような「価格」と「価値」の関係如何という話は、別途ゆっくりと考えたいテーマである。

貨幣の自己目的化に現代文化の病的現象が典型的に現れているというが、貨幣が流通し始めた当初から守銭奴はいただろう。何も現代文化の病的現象とは思われない。

守銭奴」といえば、モリエール(1622-73)の戯曲。そのあらすじは、

舞台はパリ。アルパゴンは金に異常な執着心を示す男で、金のためにクレアントとエリーズに結婚を押し付けようとする。その上クレアントの恋人、マリアーヌと結婚すると言い出した。マリアーヌは母親が病気であり、家が貧しいため、「いやな結婚でも永遠に続くわけではないし、アルパゴンは年寄りだからもう長くはない。アルパゴンが死ねば財産が転がり込んでくるので、そうなれば本当に望む人と結婚すればよい」とフロジーヌに唆され、気の進まない結婚を承知しようとする。(以下、省略)wikipedia

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http://www.sceno.eu/jcdb/bio/Avare/avare.htm

 

ヴェニスの商人」は、シェークスピア(1564-1616)の戯曲。

舞台はイタリアのヴェニスヴェネツィア)。バサーニオは富豪の娘の女相続人ポーシャと結婚するために先立つものが欲しい。そこで、友人のアントーニオから金を借りようとするが、アントーニオの財産は航海中の商船にあり、金を貸すことができない。アントーニオは悪名高いユダヤ人の金貸しシャイロックに金を借りに行く。アントーニオは金を借りるために、指定された日付までにシャイロックに借りた金を返すことが出来なければ、シャイロックに彼の肉1ポンドを与えなければいけないという条件に合意する。(以下、省略)wikipedia

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http://www.bbc.co.uk/arts/yourpaintings/paintings/the-merchant-of-venice-act-iv-scene-1-the-trial-scene-54938