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気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

富裕層はリベラルアーツを学ぶ (3) カネまみれのリベラルアーツ

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https://www.google.co.jp/search?q=american+dream&biw=1082&bih=932&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAYQ_AUoAWoVChMIhPmXupbrxgIViiSUCh0d7AvX&dpr=1#imgrc=wPZfmehrzw65CM%3A

 

「富裕層はリベラルアーツを学ぶ (1)」(カテゴリー:私たち)で、引用したものの一部を再掲します。

アメリカの政府高官や大学関係者は、専門知識の習得だけに専念させても、イノベーションは起きないことに気付き始めました。無数の学問に触れながら、自分の人生にとって重要なものを生み出すプロセスが重要であると考え始めたのです。リベラルアーツ・カレッジでは、歴史・政治・文学・美術・サイエンスなどを学び、創造性豊かな発想が生まれるように工夫されています。リベラルアーツは古代ギリシャで、労働に従事しなくてもいい「自由な人間」が学ぶものでした。働くための技能を学ぶのでなく、根本的なものの考え方を学ぶ学問です。こうして養われる教養の効果は、リベラルアーツ・カレッジ出身者の活躍を見れば納得できると思います。(http://zuuonline.com/archives/3874

「富裕層はリベラルアーツを学ぶ (2)」(カテゴリー:私たち)からも、ピックアップしましょう。

上田:一見役に立たない「教養」を学ぶ時間をどんどん削って、専門科目だけを徹底的に習得させると、たしかに学生たちは「できる人間」になります。でも、この「できる人間」とは、あくまで「決められた枠組み」で「できる人間」のことなんですね。価値観が多様化して、「枠組み」そのものをどう決めるかという時代には、実はこうした「決められた枠組み」の中だけで「できる人間」や「専門家」は、新しい時代には対応できない、新しいアイデアが出せない「使えないやつ」となってしまうのです。…「決められた枠組みで、決められた問題を、いかにエレガントに素早く解くか」という力だけでは、「いまの社会では何が問題か?」というように、問題そのものを自分で設定しその答えを自ら探していく、という状況には対応できないんですね。…そんな「解なき時代」に必要なものはなにか。それが「教養」です。既存の枠組みでは、役に立たないかもしれない。けれども、未来に必須の新しい思考体系をもたらしてくれるかもしれない。それが「教養」です。

桑子:リベラルアーツのリベラル=自由、とはまさにそういうことです。与えられた問題の解を出すのではなく、自ら自由に問題を設定し、新しい解を探していく。

上田:全体に閉塞感があると嘆く前に、まずは面白いことをしてみようと動けばいいのではないでしょうか。

池上:特に海外で向こうの人々とお付き合いするようになり、たとえばパーティなどで接待をしないといけなくなったとき、いかに自分に話題がないか、いかに自分に教養がないか、愕然とするんですね。…桑子先生、上田先生がおっしゃるように、時代に求められているのは型破りの発想。なのに日本人の多くは、鋳型にはめられて大学を過ごし、会社でさらに鋳型にはめられる。これでは、型破りは不可能です。型を破る、枠を超える。そのためにも社会人こそ教養が必要です。

 

 冒頭に「専門知識の習得だけに専念させても、イノベーションは起きない」とあるが、これが問題だ。「リベラルアーツは、イノベーションを起こすために必要だ」というように、目的が「イノベーション」に限定されてしまう。ビジネスに必要だから、リベラルアーツが必要とされる。そうしてリベラルアーツを学び、斬新な発想をし、新しい時代に対応できた者が、正当な報酬を得て、成功者として認定される(注)。結果として「富裕層」になる。そして彼らは、息子や娘に、自由な発想ができるように、リベラルアーツを学ばせる。…なにか「胡散臭さ」を感じないだろうか。こんな言葉がうかぶ。「カネまみれのリベラルアーツ」。

 

「富裕層」は、「エリート」とか「リーダー」と、ほぼ同義に使われることがある。「エリート」で「リーダー」なので「富裕」なのか、「富裕(金持ち)」なので「エリート」や「リーダー」とみなされてしまうのか。前者であるならば、その能力ゆえに、精神的に富裕といってもよいだろうが、後者であるならば、そのようにみなす者の精神の貧困をあらわしている。そして当人はそのような精神の貧困層に支えられていることを自覚しえないという意味において、同様に精神の貧困をあらわしている。

 

アメリカの名門大学は、将来の世界のリーダーとなる人材の教育を担っているといわれるが、果たして彼らは精神的に富裕なのか貧困なのか。オバマ大統領は、富裕なのか、貧困なのか。

 

リベラルアーツ教育が、表面的な知識(パーティーでのおしゃべりの材料)提供ではなく、「根本的なものの見方・考え方」を学ぶようなものになっているのかどうか。

 

(注)

アメリカン・ドリーム…誰もが機会を得て、天与の能力を可能な限り発揮し、より充実した豊かな生活を追求していけるという、アメリカという土地特有の「成功の夢」。独立宣言でうたわれた、幸福を追求する権利、自由な競争、機会の均等、などの原理を拠りどころとし、個人の欲望とアメリカ人としてのアイデンティティーを橋渡しする価値観、レトリックである。麻薬・銃・犯罪が人心の荒廃をもたらし、家族制度が空洞化すると共に、「アメリカの夢」は徐々にその形を変え、求心力を失っていく。1992年のロサンゼルス暴動が明らかにしたように、人種・民族・世代間の軋轢(あつれき)が高まるにつれ、「夢」の分化、モザイク化も着実に進行した。企業の合理化戦略の推進などによる中産層の二分化は、物質的豊かさを求めるばかりが「夢」ではない、という認識を広めもした。にもかかわらず、このアメリカ固有の精神、ビジョンは、依然として変わらぬ潜在力を保持している。(井上健 東京大学大学院総合文化研究科教授 / 2007年、知恵蔵)