浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

土俗の記憶とその昇華 - 菅井汲、利根山光人

大岡信抽象絵画への招待』(10)

大岡は、アクション・ペインティングで有名なジャクソン・ボロック(1912-56)についてこう書いている。

…さらに注目すべきことは、1940年代初期の彼の作品にしばしば現れる、インディアンのトーテムから影響された一種狂暴に原始的なイメージであり、また情欲や残忍性を強く暗示する、ギリシア・ローマ神話から得たイメージであって、それらプリミティブなイメージが、シュルレアリスムピカソの影響と混合して、土俗的生命力みみちた不思議な画面を形づくっている。ゴーキーの場合同様、ここにも恐らく集団的な無意識記憶のイメージ化という問題がある。ボロックは実際、ユングの深層心理学や、ダーシー・トンプソンの『生成と形態について』のような本から、彼なりの仕方で多くの示唆を受けているといわれる。…彼の作品の最も劇的で生命的な核心をなすものは、土俗的、非文明社会的なエネルギーに大いに関係があるのである。

大岡の文章は魅力的だが、ポロックの絵にはどうも馴染めないので、画像なしとしよう。

 

菅井汲(1919-96)

1952年以来パリに住みながら、非文明的原始人の感性を保ち続けようとしている菅井汲の絵が、ほとんど幾何学的、非個性的な抽象形態をもつときでも、その色彩の赤や緑のうちには、実に強力な日本の風土の色を含んでいる

f:id:shoyo3:20150928171006j:plain

左は、http://www.oida-art.com/buy/xl/9484.html より、1989年制作。

右は、http://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/c/ed1ea4d2cbb83ad579553fa411287ffd/124 より、1990年制作。

 

大岡の本書は、1985年発行なので、大岡はこの作品を見ていない。これを見ていたら、どう評論していただろうか。(どこかで評論しているかもしれないが)

 

Wikipediaによると、

菅井汲(すがいくみ)は、洋画家、版画家。国際的に最も高く評価されている日本人画家の一人である。男性。

菅井は無類のスピード狂であり、愛車のポルシェで高速走行している時に浮かぶビジョンが制作のモチーフになっているという。1967年にはパリ郊外で交通事故を起こし、頸部骨折の重傷を負うが、一命はとりとめた。

晩年には「S」字のシリーズを描き続けた、「S」は「スガイ」の「S」であるとともに、高速道路のカーブをも意味している。菅井は「なぜ同じ絵を描き続けてはいけないのか」と問い、同じパターンを描き続けること行為自体に個性があると考えたリトグラフシルクスクリーンの作品も多く残した。

作者が追求すべきテーマ(イメージ)を持っているならば、必然的に同じような絵(パターン)を描き続けることになるだろう。それは個性であるに違いない。…私は、右の作品の方がはるかに良いと思う。

 

利根山光人(1921-94)

ストラヴィンスキーの「春の祭典」をきいた感動によって抽象絵画に開眼したのち、メキシコの魅力にとりつかれていった。

f:id:shoyo3:20150928171133j:plain

オルメカの謎 (1977) http://www.hanganet.jp/assets_c/2013/06/TONEYAMA-Kojin-02-9158.html

 

町田市立国際版画美術館の解説によると、

50年代末には、メキシコを訪れた際に見たマヤ文明に衝撃を受け、その古代文明をモティーフとした制作を開始しました。それ以後、たびたびメキシコを訪れた利根山は、生涯にわたって、古代文明からの示唆を現代社会や現代人への問いかけとして描き続けます。

また1980年代以降は、インド各地の石窟群や日本の祭り、闘牛、さらに自らを伝説の騎士と思い込んで遍歴の旅に出かけたドン・キホーテを主人公とした小説などをモティーフに、人間のバイタリティーを表現し続けました。さらにその一方では、戦争の爪痕を描き出すことで、現代文明の危機を伝えようとしました。

http://hanga-museum.jp/exhibition/schedule/2013-195