気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

法とは何か(5) 法化-規制緩和-老後破産

平野・亀本・服部『法哲学』(5)

前回は、経済社会の変動とともに、第1に、市場メカニズム(自由競争)が正常に機能するために、国家が法を通じて経済秩序に介入しなければならなくなった。第2に、近代法の基本原理である「人格の対等性」を確保するために,労働者や消費者のような弱者に配慮しなければならなくなった。という話であった。そこで、「独占禁止法等に代表される経済法と、各種の労働法社会保障法等に具体化される社会法」が、現代法に特有の法領域とされる。

 

現代法の諸相

服部は次のように述べている。

市場メカニズムの基本枠組みを保障すれば足りた近代国家とは対照的に、今日の積極国家・福祉国家は、自ら法を道具として社会経済秩序に積極的に規制の網を伸ばし、市場メカニズムの円滑な作動の確保市場での競争から生じた著しい不正義の是正にも乗り出すようになっている。それに対応して法システムも、紛争の事後的個別的解決等の伝統的な機能に加え、広く各種の資源・財貨・サービスを管理・配分する手段としての機能(資源配分機能)を新たに果たすようになっている。

社会保障立法、労働関係立法、経済・社会政策立法、所得再分配のための租税法制など、今世紀初頭から次第にその重要性を増してきたこの種の法令は今日、毎年制定・改正される法令の中で、民法や刑法などの伝統的なタイプの法を数において圧倒するようになっている。

毎年制定・改正される法令とは、どのようなものだろうか。具体的なイメージを持つために、第189回国会(H27年1月26日~平成27年9月27日)での内閣提出法律案75件のうち、主管省庁別に1つずつ(ランダムに)ピックアップしてみると、以下の通りである。これらは、「市場メカニズムの円滑な作動の確保や市場での競争から生じた著しい不正義の是正」を図るためのものだろうか。…服部の論述は、日本の法令に限ったものではないので、世界各国の法令を見渡しての現代法の特徴づけだろう。

 

法律案名

主管省庁

緑の気候基金への拠出及びこれに伴う措置に関する法律案

外務省

大気汚染防止法の一部を改正する法律案

環境省

金融商品取引法の一部を改正する法律案

金融庁

特許法等の一部を改正する法律案

経済産業省

道路交通法の一部を改正する法律案

警察庁

持続可能な医療保険制度を構築するための国民健康保険法等の一部を改正する法律案

厚生労働省

水防法等の一部を改正する法律案

国土交通省

所得税法等の一部を改正する法律案

財務省

電気通信事業法等の一部を改正する法律案

総務省

国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律案

内閣官房

国家戦略特別区域法及び構造改革特別区域法の一部を改正する法律案

内閣府

農業協同組合法等の一部を改正する等の法律案

農林水産省

独立行政法人大学評価・学位授与機構法の一部を改正する法律案

文部科学省

出入国管理及び難民認定法の一部を改正する法律案

法務省

特定防衛調達に係る国庫債務負担行為により支出すべき年限に関する特別措置法案

防衛省

http://www.clb.go.jp/contents/diet_189/law_189.html

 

法化

いずれの先進諸国においても、このような種類の新しいタイプの規制立法即ち管理型法が爆発的に増大しており、それが法規制の過剰及び過度の複雑化法規制の機能不全法体系内部の矛盾と法システムの自己同一性の危機など、様々な問題を引き起こしている。「法化」とよばれる現象がもたらす諸問題がそれである。

服部は、新しいタイプの規制立法(経済法と社会法)が増大していることをもって、「法規制の過剰」、「過度の複雑化」、「法規制の機能不全」、「法体系内部の矛盾」、「法システムの自己同一性の危機」などの問題を引き起こしている、と言っているが、これは服部の評価であって、何らの説明(論拠)がないので、納得しがたい。法規制の「過剰」というが、「過剰」か「過小」かは、個々の法令毎に判断すべきものであって、規制立法をすべて「過剰」というのはおかしい。「過度の複雑さ」というが、それは現実の複雑さに対応しているのではないか。法規制の「機能不全」は、法の不備なのか、運用の問題なのか。「法体系内部の矛盾」というが、どこの国でも「内閣法制局」のような組織が法体系に矛盾がないかチェックしているはずである。稀なチェック漏れを一般化して「法体系内部の矛盾」と言っていないか。

ここでいう「法化」とは、福祉国家や社会国家と呼ばれる現代の国家形態においてみられる現象であり、国家任務の増大に伴う様々な社会生活領域への法規制の著しい増大・錯綜現象、さらにはそれに伴う法の質的転換を指す。法化問題に悩む先進諸国では、国家による社会介入の道具と化した法が、次第にその規制対象を広げていく過程や、そのことがもたらす様々な問題、更にはそれに対する対応策などが、1970年代以降さかんに研究されてきた。福祉国家とともに肥大化を続けてきた国家行政機構が、その任務遂行において行き詰まりに突き当たった時期とも、それは符合している。

社会生活領域への法規制の著しい増大があるとしても、それを「錯綜」というのが適切かどうか。「それに伴う質的転換」とは何か(説明がない)。法化問題に「悩む」とか、「社会介入の道具と化した法」とかと言い、これまで見てきたところの近代法から現代法への移行が、間違っていたような言い方は、どうかと思う。冒頭に述べたような、近代法の基本原理である「人格の対等性」を確保するために,労働者や消費者のような弱者に配慮した社会法を基礎とする福祉国家の理念を快く思わない者の言い分ではなかろうか。「肥大化を続けてきた国家行政機構」と言うが、それは「福祉」を建前に終わらせずに、実効性のあるものするために必要な組織であると言えるかもしれない。

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http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586704/

 

ドイツの法社会学者G.トイプナーによると、経済・金融・教育・家庭等の社会領域に対する国家による法的介入は、それが各社会領域の自律的統御過程という限界を超える場合には、①法規制そのものが実効性を失うか、②社会生活領域に深刻な悪影響を及ぼすか、あるいは、③法システムの自己同一性を揺るがす結果になるか、いずれかの弊害をもたらすとされる(規制のトリレンマ)。そのため、法を万能視するのを止め、法規制の適切な射程を見極めていくことが、今日ますます重要になってきている。

トイプナーが言おうが誰が言おうが、「国家による法的介入」という言い方自体に、「国家は、経済・金融・教育・家庭等の社会領域に口出しするな」という主張が隠れているように見受けられる。…次のように言い換えてみたらどうだろうか。「私たちは、経済・金融・教育・家庭等の社会領域が、円滑に作動するように、諸ルールを定める」。こういったからと言って、法を万能視することにはならない。「法的介入」なのか、「法による公正の確保」なのか、「人間の弱さ」をもきちんと見つめた上でのルール制定が必要となるだろう。…例えば、上に例示したような法案を「国家による法的介入」と決めつけ、「法を万能視するのを止め、法規制の適切な射程を見極めていくこと」というあたりまえのことを主張することで、いったい何が良くなるというのだろうか。