浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

人間に関わるなにごとも、私にとって無縁ではない

川本隆史『現代倫理学の冒険』(1)

川本の「人間に関わるなにごとも、私にとって無縁ではない」という言葉に、私は社会科学者の良心をみた思いがする。川本はこう述べている。

「人間に関わるなにごとも、私にとって無縁ではない」との姿勢を崩さずに、しかも専門分化した社会科学の業界の慣行に逆らいながら、<現代をどう生きるか>を問い続けていく営み――これが「現代倫理学」なのだ。その方法の核心は、<関連分野への越境と同時代への応答>にある。…他分野との境界侵犯を敢行することは、無視や袋叩きにあう覚悟を必要とするし、定型化された練習問題でなくアクチュアルな難問に取り組むことには、当該学問の存立基盤すら脅かされる危険性がつきまとう。

 

本書第1部は、「現代正義論の構図」である。

現代正義論は、現代社会の歪みや不正を訴える声に耳を傾けながら、旧来の学問の境界を取り払い、ことがらに即した探究を行おうと努めてきた。

ここで問題とする「正義」とは、大まかには「人間の行為や制度の正・不正の評価基準」のことだ。

  • 1つのケーキを兄弟でどう分けたら良いかという茶の間の熾烈な争い
  • 学校での陰湿ないじめにどう対処すべきか
  • 職場でのセクハラや過労死などの不正をどのように除去していくか
  • 選挙制度、税制、医療や年金といった一連の制度改革を推進するのにどのような理念に訴えるのか
  • 社会主義圏における市場原理導入と西側からの援助をどういうかたちで行うのか
  • 先進国と途上国との間に横たわる生活水準の巨大な懸隔
  • 激化する地域紛争をどうやって解決すればいいのか
  • 正しい戦争は存在するのか
  • 死刑制度は正義にかなうのか
  • 次の世代にどんな環境を残すべきか
  • そのための経済成長率・エネルギー消費量をどの程度に設定すればいいのか
  • 尊厳死や臓器移植を是認すべきかどうか

……

ここに例示されたような諸問題(これは、ほんの一例である)に無関心ということは、「自分(家族)とそのまわりが良くなれば良い」とのみ考え、「私たちが共に生きるこの社会の問題に、まじめに取り組もうとしないコミュニティの責任ある一員となろうとしない)」ことを意味する。では「まじめに取り組む」とは、どういうことであるか。それは本書を読み進めていけば明らかになるだろう。たぶん。

 

正義の概念と正義の構想

では、現代正義論のポイントはどこにあるのか。それは正義の「概念」と「構想」の区別である(ロールズ)。前者は、「等しい者どうしを平等に、等しくない者どうしを不平等に扱うこと」を通じて、<各人に彼の正当な持ち分を与えること>を指し、その内容は「根拠のない差別の除去」と「競合する諸要求の間に適正なバランスを確立すること」の2つに絞られる。(<正義とは何か>の概念上の決着はついている)

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http://sadthree.deviantart.com/art/lady-justice-190893481

しかし、<何が正義か>を規定する正義の「構想」は、一義的に定められるものではない。

・バランスの適正さや差別の根拠の有無を判断する基準をどこにおくか

・バランスの確立や差別の除去をどのようにして実現するか

に関しては、複数の回答が可能である。

そこで川本は、「過去20年間の論争を通じて鍛えられてきた6つの社会正義観」を取り上げる。

第1章 最大多数の最大幸福――功利主義

第2章 公正と平等――リベラリズム

第3章 国家と市場――自由至上主義

第4章 伝統と解釈――共同体論

第5章 ケアと正義――フェミニズム

第6章 福祉と自由――センの到達地点

 

最初に「功利主義」である。

功利主義は、「何が正義か」という問いに対して、首尾一貫した解答を与え、いまなお社会科学や社会政策の暗黙の規範的基礎を供給し続けている。つまり、人びとの喜びや満足感、幸福、いい暮らし向きといった具体的な目標を掲げている功利主義は、それらを結果として増大させるかどうかという単純明快な観点から、行為や制度の正しさ(正義)を判定できるという強みを有している。

功利主義」などというと難しく聞こえるかもしれないが、「幸福が増大するのが良い」と考える考え方だと理解しておけば良いだろう。「幸福主義」と覚えておいたほうが良いかもしれない。

この功利主義には、いろいろな問題点があるので、

功利主義にどのような態度決定を下すかで各理論のおおよその座標が定まるという意味において、いわば現代正義論の原点の位置を占めている、

 

次回は、功利主義の理論的構造を解明することになる。