大岡は「都市の変貌」について、こう書いている。
都市が絵画の中でそれ自身魅力的なモティーフとなったのは、そう古いことではない。…デュシャン、ピカビア、レジェ、ドローネーら、傍流キュビストたちと、イタリア未来派とが、おそらく「都市の画家」の先頭を切った人びとということになろう。ということは、「時間」「速度」「運動」のような観念と、「都市」絵画の出発とが、切っても切れない関係にあるということである。
オランダからアメリカに渡り、そこでアメリカ型絵画の一典型を実現したデ・クーニングが、例えばニューヨークあたりの夜景を描くとき、それは青みを帯びた闇、速度感にみちた白の軌跡、そして少量の血のような赤によって表現されるのであって、一つの高層建築も、一つの街路樹も、そのものの姿形では描かれていない。それはおそろしく簡潔な絵だが、この深々とした孤独な都市空間の包み込んでいる海のような闇と速度は、現代の夜を表現して、詩の高さに達している。
大岡が、デ・クーニングのどの絵を見てこのように言っているのか分からない。
私は「都市」にいろいろなイメージを持っているが、そのうちの一つは次のようなものである。
http://i.dailymail.co.uk/i/pix/2015/04/18/03/279427B800000578-0-image-a-46_1429323703861.jpg
アルフレッド・マネシェ(Alfred Manessier、1911-1993)
http://alfredmanessier.free.fr/oeuvre.php?id=186
このような闇は、ゲッセマネ(*1)やヴェロニカ(*2)のヴェールのようなキリスト教の主題を描くフランス人画家、「抽象主義のなかで疑いもなく最も偉大な宗教画家である」アルフレッド・マネシェの絵にみられる神秘的な闇、そこに燃える赤の精神的な輝きと、まったく対照的でありながら深いところでは互いに照らしあっているように思われる。都市環境の中の魂の渇きを、痛いほどわれわれに感じさせるところに、現代の抽象絵画に現れる都市の様態の一つがあるだろう。
(*1) ゲッセマネ…パレスチナ地方の古都エルサレム東部のオリーブ山西麓の園。新約聖書の福音書によると、イエスが処刑前夜の最後の晩餐の後に祈りをささげ、ユダの裏切りによって捕らえられた場所とされる。(デジタル大辞泉)
(*2) ヴェロニカ…イエス=キリストが十字架を負って刑場に向かう途中、顔をぬぐう布をささげたという伝説上の聖女。イエスはその布に面影を写して返したと伝える。(デジタル大辞泉)
ウィリアム・バジョーツ(william baziotes 、1912-1963)
http://www.moma.org/collection/works/79080?locale=en
そう言う渇きは、幻想的な傾向の強いウィリアム・バジョーツの絵では、例えば死滅したポンペイの挽歌のような形を取って逆説的に姿をあらわし…
ヴィエラ・ダ・シルヴァ(Vieira da Silva、1908-1992)
都市風景を描き続ける女流ヴィエラ・ダ・シルヴァでは、都市の軽やかな浮揚の夢となって、現代の都市空間にひそむ詩と変貌をうたう。
大岡はこのように書いているが、私はこの3人の作家の作品をみて、大岡ほどには「都市の変貌」を感じとれなかった。
私の「都市」のイメージは、次の写真のようである。
林立する高層ビルは、共同墓地のようだ。でも空は薄明るい。
http://wallarthd.com/imagepics/modern-art-wallpaper-picture.html
しかし、都市の深奥の魂に分け入れば、内と外は溶融し、ミクロとマクロが接合する。