気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

法システムの構造と機能(4) 裁判官は「将来にわたる利害関係の調整」ができない

平野・亀本・服部『法哲学』(8)

服部は、法システムの構成要素を、1.法規範、2.法的活動、3.法的カテゴリーの3つであるとしていた。法的活動とは、法的機関の活動であり、法定立と法適用をその内容とする。立法機関が法を制定し、裁判所が判決を下し、行政機関が行政決定など様々な決定を下す。法的カテゴリーとは、権利と義務をさす。権利・義務という概念は、種々の人間関係を、法的視点に基づいて構成・分析・処理する際に不可欠の要素として機能する。

服部のこういう見方が妥当かどうかはともかく先に進もう。今回は、「法システムの機能」の話である。

 

どういう機能があるのか。

① 社会統制機能…法は、私法上の強行規定への違背行為や刑事上の犯罪行為のような法的逸脱行為に対し、公的な強制的サンクションを課すことによってそれを抑止する。それだけでなく法は、そうした強制的な社会統制作用が公権力の恣意に陥ることのないよう、それを法的にコントロールする機能をも負う。前者は、社会の秩序維持という法の古典的・基本的任務と関連する機能であるが、近代以降においては法の支配の理念の下、むしろ後者の機能が重要となっている。

サンクション(制裁・処罰)がなければ抑止できないというのは、当該行為が「正義」に反するということが納得できていないということであり、対話(教育)の不在を意味する。犯罪が増えているから(減らすためには)サンクションを強化せよというのは、正攻法ではない。抑止のみが目的ならば、いかなる犯罪者もすべて死刑にすればよいだろう。(身近なところでは、飲酒運転の罰則が好事例である)

ある行為が、法的逸脱行為となるかならないか解釈の分かれるものも多いだろう。そうしたとき、取り締まりを任務とする公務員(官庁や警察)が「恣意的な」解釈をして公務執行をすべきではない。その歯止めをどうするかを明確にルール化しておかなければならない。

② 活動促進機能…これは、人々が自分なりの目標や利益を実現しようとする上で自主的に準拠しなければならない行為の指針と枠組みを提供し、私人間の自主的活動を予測可能で安全確実なものにする機能である。近代法システムの基本的理念からすれば、法システムの中心的な機能でなければならないものの1つである。

法が行為の指針と枠組みを提供する。専門分化した複雑な社会においては、(自ら判断を下さずに)既存の法に従うのは、ある意味合理的である。自ら判断を下し、既存の法が悪法だと思えば、その改正のために自分にできる何らかのアクションをおこす。いずれにせよ、そこに法があるということは、ごく一部の例外を除いたほとんどすべての人がその法を遵守するのであるから、行動は予測可能で安全確実なものとなる。但し、これが、法システムの中心的な機能でなければならないものかどうか分からない。

③ 紛争解決機能…法は、一般的な法的基準により権利義務関係をできる限り明確に規定して紛争の予防に努めるとともに、具体的な紛争が発生した場合に備えて法的紛争解決の規準・手続きを整備する。当事者間で自主的に解決できない紛争については、最終的に公権的裁定を下すことにより処理をするのである。

当事者間で自主的に解決すべきでない問題(紛争)がどのようなものであり、それを自主的に解決した場合どうすべきなのかが明確になっているのだろうか。(これはSTAP細胞問題が念頭にある)

④ 資源配分機能…これは、現代の福祉国家・社会国家と呼ばれる社会経済秩序への介入をみずからの課題とする国家段階において生まれた機能である。すなわち、経済活動の規制、生活環境の整備、教育・公衆衛生などに関する各種公共的サービスの提供、社会保障、各種の保険や租税による所得再配分などの重要な手段としての機能である。

これを「資源配分機能」とまとめることは果たしてどうだろうか。社会経済秩序への「介入」という言葉には、「本来は介入すべきではない」という響きがある。私は、これは「社会的連帯機能」と称すべきではないかと考える(→斎藤純一『公共性』、「社会国家の変容」の記事参照)。こういう言葉づかいに「価値判断」があらわれる。

 

服部はこのうち、3番目の紛争解決機能についてやや詳しく説明している。

社会において日々生起する人と人との間の争いには、当事者同士の交渉で決着がつけられず、第三者の介入によって解決をみるものが少なくない。そうした場合の第三者の介入の仕方には様々なタイプがあるが、大まかには仲介者型、管理者型、裁定者型の3つに区分されよう。

  1. 仲介者型…自らの権威を振りかざすことなく、種々の提案をしつつ当事者自身の利益に訴えることにより、彼らが合意するよう影響を及ぼそうと試みる。争うよりは共通の利益を探る。…当事者の利害関係を考慮する。
  2. 管理者型…紛争当事者に比して優越的な立場に立つ第三者が、当事者に紛争解決のイニシアティブを与えることなく、主として将来の利益の最大化を念頭に置きつつ、自ら権威的な決定を下すことにより行われる紛争解決方式。…種々の解決案がもたらす将来の影響を考慮する。
  3. 裁定者型…両当事者を和解させることではなく、両者のいずれが正しいかについてすでにある規範に基づき判断を下す方法により行なわれる紛争解決方式。…当該出来事に関係する権利・義務関係を規律する規範に依拠する。

まず、裁定者型について、

これらのタイプのうち、法的紛争解決は基本的には裁定者型の方式を基礎に展開してきた。…裁判などにおいて、こうした裁定者型の紛争解決方式が実際に作動するためには、紛争解決にとって規範が重要な意義を持つことを、両当事者をはじめとする社会の成員が了解しており、裁定への服従への見込みが十分にあるということが重要である。それは、専門知識の独占者としての裁定者への尊敬の念、裁定者への公正さへの信頼、さらには規範の整備による裁定者の可能な恣意にたいする懸念の除去、といったものによって担保されるのである。

裁定者[裁判官]への「尊敬の念」「公正さへの信頼」は、どの程度のものだろうか。私はかなり疑問に思っている。

「可能な恣意」というのは、「解釈」のことだろうか。この点でも「懸念」が除去されているとは思われない。(裁判の実態をあまり知らないで、「感じ」で言っているのだが。)

 

紛争解決というよりは紛争「処理」というにふさわしい裁判のこうした理解の仕方には、最近とみに強い異論が出てきており、紛争当事者の主体的な相互交渉の場として裁判を捉えていこうという見方が強調されている。だが、公式ないし非公式な種々の裁判外紛争処理(ADR)機関が行う紛争処理方式の特徴に注目するならば、裁判がこうした裁定者型の方式を採用して展開されてきたことは否定できないところであり、それを前提にした上での紛争解決システム全体の総合的なビジョンの提示が求められているのである。

裁判外紛争処理(ADR)とは、何だろうか。

Alternative Dispute Resolution …中立的な第三者(機関)が紛争過程に介入し、当事者に働きかけて合意に基づく解決を目指す手続き。…裁判外の斡旋・調停・仲裁などが典型とされるが、裁判手続内で裁判以外の手法(和解・調停など)で処理する場合も広い意味でのADRに含められる。

わが国では、インフォーマルな前近代的紛争処理方式が個人の権利意識の高揚を阻んだという歴史がある。諸個人の自立的・主体的な紛争処理を可能にする場・方法としてADRが捉えられ。その制度化・民主化が図られることが肝要である。

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http://prowsechowne.com/wp-content/uploads/2015/07/Law-Firm-Edmotnon.png

  

国民生活センターの説明によると、

「裁判だとお金も時間もかかりすぎるが泣き寝入りはしたくない」「相手と直接交渉していては解決しそうにない」「中立的な専門家にきちんと話を聞いてもらって解決したい」「信頼できる人を選んで解決をお願いしたい」というようなケースは決して少なくありません。そんなときは、ADRでの解決を考えてみるのもよいでしょう。

http://www.kokusen.go.jp/adr/

 民事訴訟とどう違うのか。Wikipediaによると、

 裁判外紛争解決手続ADR)は、当事者間での交渉が不調に終わった場合の紛争解決手段である。同様の解決手段として裁判所を介して行う民事訴訟がある。以下、ADR民事訴訟との違いについて記述する。

民事訴訟と比較した場合のADRの長所としては、利用者にとっては費用が少なくすむ、非公開のためプライバシーや社内技術などが外部に漏れるリスクを回避することができ、訴訟と比べて時間がかからない、手続きが裁判の様に難しくない(電話で申し込める機関もある)、当事者の都合に合わせて日時を決める事が出来るなど当事者の意向に応じて柔軟に対応することが可能という点が挙げられる。また実施機関が裁判所に限定されず他の機関で紛争解決を行うことにより、裁判所にとっても持ち込まれる紛争が減り、紛争処理に関する負担の軽減につながる。一方、短所としては、仲裁での解決を選択すると訴訟を起こす権利が失われる、話し合いベースのADRの場合、必ずしも紛争解決に至るとは限らない、ADR機関が一方の当事者と密接な関係にあるケースではもう一方の当事者にとって不利な裁定が下される恐れがあるなどの点がある。

 恐らく、どこかで「紛争処理」ではなく、「紛争解決システム」の総合的な検討がされているのだろう。

 

従って、法システムを動かす中枢的な制度的基盤としての裁判の特徴として、ここでは、①個別具体的な紛争の解決が、予め定立・公示された一般的な実定法規範に依拠しそれを適用するという方式によって行なわれること。②原則として公開の場で当事者主義に基づいて行なわれるものの、直接の対象が権利義務ないし刑罰権の存否といった法的な問題点についての紛争の解決に限定され紛争の全面的解決を目指すものではないこと、以上2点を確認しておくべきだろう。

「紛争の全面的解決を目指すものではない」…ここはもう少し詳しく話を聞きたいところ。

 

服部は、法的思考の特徴について、次のように述べる。

裁判官の思考に典型的に見出される法的なものの考え方の特徴として、以下の点を挙げることが出来る。

  1. 具体的な事案を既存の一般的法的規準にあてはめることによって、自らの下す決定を正当化し、根拠として前提した法的規準そのものの正当性は疑問視せず、権威的なものとして指定する。
  2. 過去に生じた具体的紛争の事後的個別的解決を目指しており、将来にわたる利害関係の調整や当事者を超えて社会全体が受ける効用の最大化を考慮することはしない。

服部は、「法的思考」を、「裁判官の思考に典型的に見出される法的なものの考え方」と捉えているが、私は「法的思考」をもっと広義に捉えたいと思う(「立法」の意味を込めて)。服部がここで言うのは「裁判官のものの考え方」というべきだろう。

法的思考は、科学的思考や純粋に論理学的な思考とは異なり、価値判断を伴う決定及びその理由付けをその本質とするので、実践的な性格を色濃く有している。それは、実定法、裁判の先例、各種法原理などに準拠した説得力ある論証を展開することによって、法的決定の名宛人及び一般の人々の合意を目指す。だが法は諸々の社会システムの1つであり、決して社会のあらゆる問題を解決できる万能のものではないから、その守備範囲は無制限ではないとみるべきである。

「守備範囲が無制限ではない」と言うのは、「裁判官のものの考え方」の特徴2によくまとめられていると思う。…当該事案の事後的解決を図るものであり、「将来にわたる利害関係の調整」をするものではない。当該事案の個別的解決を図るものであり、社会全体に水平展開(立法)しようというものではない。

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また、正当化の論証が行なわれる際には、一方では決定そのものの内容面における実質的正当性に配慮せねばならないとともに、他方では紛争両当事者それぞれの話を公平に且つ十分に聞くべしといった自然的正義の原則に由来する様々の手続きが遵守されなければならない。更に重要なことには、決定を理由付けるに当っては、最終的な決定と依拠する諸々の法規範(実定法・法原理・判例・慣習法など)との間に、更にそうした諸々の法規範同士の間に、それぞれ整合的な関係が成り立っていなければならない。

諸命題の間の「整合性」というのは、形式論理学的な「両立可能性」(複数の命題が両立可能)とは異なり、形式的・経験的に検証することができない。それは一種の実践的な平衡感覚を要する判断であり、例えば「ある原則に例外を付すことにより、その原則自体が骨抜きにされていないか」について考える場合のような、体系全体に対する目配りと諸要素間の重みの考量を必要とする思考なのである。

「体系全体に対する目配りと諸要素間の重みの考量」…この言葉は、覚えておきたい。