岡田暁生『音楽の聴き方』(6)
ベートーヴェン「ピアノソナタ第21番《ワルトシュタイン》」を聴いてみましょう。
ジャズ・ピアニストの南博がこう書いているという。彼は音楽学校のピアノ科に通っていたのだが、
レッスンの先生は言う。この「ワルトシュタイン」の出だしは、ベートーヴェンが、遠くフランス革命の自由、平等、博愛の精神を知り、更に哲学者シラーの深遠なる人間賛歌を知り、作曲したものである。それを表現せよ。…しかし、どうしても僕には、ただのCメージャーセブンの羅列にしか聞こえない。だいたいシラーって誰なんだよ。当時の音校のピアノのセンセイは、そのころが分かるまで、出だしを100回弾けと指導した。僕も負けじと100回ぐらい、ンダダダダダダダダダダダダダダダ、と弾いてみたが、弾けば弾くほど、僕にはただのCメージャーセブンであるということしか分からなかった。何だか汽車ポッポが驀進してくるようなイメージしか浮かばない。
岡田はこう述べている。
どちらが《ワルトシュタイン》の歴史的立ち位置について、より的確に音楽そのものの中から感じとっていたかといえば、それは間違いなく南の方だ。先生の言うシラーの人間賛歌云々は、《第九》の勘違いだろう。《熱情》ならまだしも、《ワルトシュタイン》には、同時代の革命思想の刻印はごく薄い。これはもっと純粋に運動的な作品である。
音楽を語る言葉として、「深遠なる人間賛歌」と「ンダダダダダダダダダダダダダダダ」のどちらが優れているというものでもあるまい。私は、どちらかといえば「深遠なる人間賛歌」というような言葉づかいが好みだが、「ンダダダダダダダダダダダダダダダ」も、なかなかである。
岡田は、日本の西洋音楽受容に関して、面白い話をしている。
日本における西洋音楽の批評言説に固有の問題としてさらに、明治以来の洋楽受容に際してそれが、ほとんど専らドイツ古典音楽をモデルとして、極めて硬直した教養主義の文脈の中で輸入されてきたことが挙げられるだろう。…「彼ら[戦前の音楽教師や生徒たち]は、ドイツ音楽以外の音楽は音楽に非ずと考え、イタリーやフランスの音楽を演る輩は民間の連中で、而も(しかも)音楽の掟に背く不逞無頼の徒と見做して、これを甚だ侮蔑の眼を以て見ていたのである」(野村光一)
イタリアやフランスの音楽文化はもともと娯楽性が高く、音楽の中に「世界の救済」など「言葉に尽くしがたい無限のポエジー」だのといった形而上学を求めたがる伝統は、そこにはなかった。それをドイツ側から見れば、「不逞無頼の徒」がやる、唾棄すべき軽佻浮薄な音楽ということになるのである。…身振り豊かな砕けたジャルゴンでもって、生き生きと音楽について語る可能性は、日本のクラシック音楽受容過程においては、最初から排除されていたのかもしれない。
ドイツの作曲家は「形而上学的」で、フランスやイタリアの作曲家は「軽佻浮薄」かどうか、調べてみるのも面白いかもしれない。
岡田は、本章(音楽を語る言葉を探す)の最後でこう言っている。
再三繰り返すが、音楽文化は「すること」と「語ること」とがセットになって育まれる。しかし「音楽を語ること」は決して高級文化のステータス、つまり少数の選良の特権であってはならない。お気に入りの音楽に、思い思いの言葉を貼りつけてみよう。音楽はただ粛々と聴き入るためだけではなく、自分だけの言葉を添えてみるためにこそ、そこに在るのかもしれないのだ。理想的なのは、音楽の波長と共振することを可能にするような語彙、人びとを共鳴の場へと引き込む誘いの語彙である。いずれにせよ、音楽に本当に魅了されたとき、私たちは何かを口にせずにはいられまい。心ときめく経験を言葉にしようとするのは、私たちの本能ですらあるだろう。
アリス=紗良・オット(Alice Sara Ott、1988-)について
ドイツ人と日本人の両親をもつ ピアニスト、アリス=紗良・オットは、5年足らずのうちに世界各地の主要なコンサート・ホールで演奏し、批評家の絶賛を博すとともに、今日最も刺激的な音楽家の一人として確固たる地位を築いた。
2015-16シーズンのハイライトは、ウィーン交響楽団(パブロ・ヘラス=カサド)、カナダの国立芸術センター管弦楽団(アレクサンダー・シェリー)、ロンドン交響楽団(アントニオ・パッパーノ)、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(ニコライ・ズナイダー)との共演が予定されている。また、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(シャルル・デュトワ)、フランクフルト放送交響楽団(アンドレス・オロスコ=エストラーダ)、バーゼル交響楽団(デニス・ラッセル・デイヴィス)、トーンキュンストラー管弦楽団(佐渡裕)のツアーに参加する。
フランチェスコ・トリスターノ・シュリメ(Francesco Tristano Schlimé、1981 - )との共演