浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

STAP細胞 小保方晴子の手記「あの日」出版に関して(2)

私はこの「手記」を、「心情吐露」と「内情暴露」の書としてではなく、「問題提起」の書として受け止めるべきと思う。

 

第1に、なぜ「手記」の形になったかという点である。私はそれは「世の中のしくみ」がおかしいからだと思っている。現行法に則って、公的に「不服申し立て」ができない、仮にできたとしても時間・費用がかかりすぎる。(裁判になったとしても、結果が予見できる。仮に、何年か先に、小保方にとって良い結果の判決[たぶん軽い処罰]が下されたとしても、失われた信頼は取り戻せない)。これは、小保方が退職願いを出した時の判断ではなかったかと私は勝手に推測している。…なぜ、公的な不服申し立てが出来なかったのか。私たちが考えなければならないのはこの点にあるだろう。それは「法(ルール)」の不備を意味していないか。

 

第2に、多発する研究不正をどう防止するのか、再度見直すべきだろう。私は「研究公正局」のような機関を設置するのが良いのではないかと考えている(STAP細胞 より良き未来のために(6)参照)。

何故、STAP細胞問題を「事件」としてのみとらえるにとどまり、「有効な研究不正防止対策はどうあるべきか」を考えることに関心が向けられないのだろうか。

 

第3に、STAP細胞問題に関しては多くの関係者がおり、問題は複雑に絡み合っている。いずれ客観的な分析がなされるだろうが、なかで「報道機関(報道記者、サイエンスライター)」の姿勢が危惧される。

放送法は、第4条において次のように定める。(報道については、STAP細胞 より良き未来のために(7)参照)

第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

一  公安及び善良な風俗を害しないこと。

二  政治的に公平であること。

三  報道は事実をまげないですること。

四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

今回の「手記」により、報道機関(報道記者、サイエンスライター)は、第三、第四の点で問題がなかったかどうか、自ら検証すべきであると考える。

f:id:shoyo3:20160130135550j:plain

http://sadthree.deviantart.com/art/lady-justice-190893481