加納光於(かのうみつお、1933-)。昭和後期から平成時代の版画家、画家。胸を病み中学を中退。独学で銅版画を始める。1955年第1版画集を制作。1956年滝口修造企画監修のタケミヤ画廊で初個展を開く。1961年サン・パウロ・ビエンナーレ,パリ・ビエンナーレに出品。(百科事典マイペディア)
稲妻捕り PF-2 (1977)
http://search.artmuseums.go.jp/gazou.php?id=51979&edaban=1
画家と彼の形態は、こうして、本来単一の焦点など存在しない自然の中に、単独航海者として船出する。加納光於の「稲妻捕り」や「《稲妻捕り》elements」連作の、すばやく動いて画面空間を一瞬ごとに確実に醸成してゆく手の軌跡は、無焦点の空間に船出する画家の眼の、孤独な、しかし意志的な旅の始まりを告げている。それは流動し奔騰する精神を冷ややかにさえぎる世界の存在に目を凝らし、孤独に耐えて出発をくりかえす人間のイメージだともいえるであろう。
自然の中に単一の焦点は存在しない。では何を求めて航海しようというのか。それは作者に聞かなければわからないが、大岡の解説から私が勝手に想像するのは、稲妻=雷=神鳴りであるが故に、神(造物主)の流動する造形物をとらえようとしていたというものである。
<色身-未だ視ぬ波頭よ2013>と題する展覧会(神奈川県立近代美術館)のちらしにはこうある。(なお色身には、ルゥーパ(rūpa)とルビがふってある)
加納光於 (1933- ) は東京に生まれ、1960 年から鎌倉に居を構え、80 歳を迎えた今日もなお以前にまして旺盛な制作を続けています。加納が版画家として登場した 1950 年代は、敗戦の影響もあり経済的には困難でしたが、文化全体が活気に溢れた時代でした。そうしたなか、加納は目先の新しさや前衛性に与することなく、自身のめざす「孤絶している精神の晴朗さ」を手放さず、ひたすらに自らの鉱脈を探り続け、豊かなイメージを追求してきた特異な独行の作家です。
「孤絶している精神の晴朗さ」…いいフレーズですね。精神の強さを感じる。
次の絵は、ギャラリー東京ユマニテにおける展覧会<加納光於《地平の蜜蜂》>に出品されたもの。
《地平の蜜蜂》 16 2011
《地平の蜜蜂》より 部分
http://g-tokyohumanite.jp/human/2011/1201/1201.html
次のような解説がある。
今回の新作は紙に描かれた作品ですが、以前入手したフィリピン産の土壁を思わせる素材感のある紙や、和紙、BFKなどを使い、また新しい素材として柿渋を多用しています。画面いっぱいに飛沫がほとばしる柿渋は、以前からその色彩の変化に興味があったものの中々手強い相手だったようです。
また、今までは具体的なフォルムが殆どありませんでしたが、70年代のBoxオブジェに若干姿を見せていた加納自身の手や、自宅庭にあるアカンサスの葉が重要なシルエットとなり激しくも神秘的なイメージを醸し出しています。
無焦点の空間への旅から帰還した作家の「具象画」であろうか。