浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

純粋主義

大岡信抽象絵画への招待』(17)

大岡は、絵画における「純粋主義」について、こう書いている。

純粋主義の思想とは、…19世紀後半、画家のモーリス・ドニが、絵画というものを、「ある一定の秩序のもとに集められた色彩によって覆われた平坦な面」と定義したとき、つまり、絵画というものを、宗教的・歴史的・道徳的・文学的その他あらゆる絵画外の逸話的モチーフから切り離して純粋な知覚表象の対応物に還元しようとしたとき、その定義の中に含まれていたところの、涯しない知覚的純粋化の道程すべてに関わる思想を指している。

このような思想が生まれてきたのは、「絵画を動かす大きな背後の力が、王侯貴族、大地主といった中世・近世的保護者(パトロン)の手から、近代の新興ブルジョアジーの手に移った」ためであり、パトロンにとっては、

絵とは、神話的、キリスト教的、歴史逸話的主題をみごとな技巧を駆使して描き出すべきもの、同時代の王侯貴族を中心とする人びとの肖像画を、最大限の壮麗さと威厳をもって描き出すべきものであった。

つまりそういう絵画を所有することは、「政治権力」を誇示するもの、象徴するものだったのだろう。それが、近代新興ブルジョアジーの台頭とともに、「純粋な知覚表象」を表現するものに変質した。(私は、西洋美術史を勉強していないので、大岡の記述をなぞっているに過ぎないのだが)

ドニの考えは、要するところ、絵の問題を、キャンパスの上で始まりキャンパスの上で終わるものに厳密に限ろうとしたのだと考えてよいのだろう。それはちょうど、象徴派の詩における「純粋詩」の考え方とも符合する、19世紀末期の純粋主義の激発であった。そしてそれが、ドニだけの思想でなかったことはいうまでもない。彼と同時代のセザンヌが、ゴッホが、ゴーギャンが、この思想の展開に決定的な一石をそれぞれの仕方で投じていたし、さらに前の世代の印象派の画家たちもそうだった。

純粋詩」という言葉が出てきたので、その解説をみておこう。

基本的には詩から詩以外の要素を排除するという詩観で、マラルメの詩論『詩の危機』や、バレリーがリュシャン・ファーブルの詩集『女神を知る』のために書いた序文で一般化した。1925年1月、歴史家でありまた批評家でもあるアンリ・ブレモン(1865-1933)が「純粋詩」に関する講演を行い、いわゆる「純粋詩論争」が起こった。ブレモンはその論旨を、ポーの詩論や、ペイターの「あらゆる芸術はつねに音楽の状態に憧れる」という音楽説によりながら展開したが、ブレモンの反知性主義は批評家チボーデの反論を浴びた。ブレモンによって純粋詩の詩人とされたバレリーは、論争に直接参加はしなかったが、自分にも「いささかの責任のある」ことを認め、間接的に参加した。しかし、前記の『女神を知る』の序文や、彼の講演「純粋詩」によれば、詩は主知的な構成を第一とし、純粋詩はあくまでも詩の立場を守る絶対詩la posie absolueに置き換えらるべきもの、というのがバレリーの立場である。[窪田般彌、日本大百科全書]

よく分からないが、ペイターの「あらゆる芸術はつねに音楽の状態に憧れる」というのは、興味深い。

 

「純粋主義」の画家としてはどういう人がいるのだろうか。

例えばドガは、なぜ浴槽の女やバレリーナや馬にあれほど関心を持ったのか。彼は決して、自分の絵の主な目的として、浴槽の女のなまめかしさやバレリーナの愛らしさを描きたかったわけではない。そういう動機も当然少しはあっただろうが、むしろ人嫌いで有名だったこの知的な画家を深く魅したのは、「人体」の「運動」を抽出し、定着するという作業の無限の面白さ、その哲学的でさえある課題の魅力にほかならなかった。

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踊りの花形(エトワール、又は舞台の踊り子) http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/degas.html

 

セザンヌはもっと徹底していた。風景も静物も人間も、彼にとっては、まるで医学者が自分の解剖しつつある人体を生理法則の実証と異変の実例としてみつめるように、純粋な探究的観点から眺められるべきものだったのである。彼の静物は、例えばシャルダンの静物のような愛らしく雅びな雰囲気を持たない。それは「丸み」「密度」「空虚」「均衡」「重心」「拡大」「深さ」等々に関する、きわめて主観的な、しかし揺るがしがたく厳密で必然的な「関係」によってつなぎとめられている一連の探求の結果そこに出現した、新たな「もの」にほかならなかった。

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Still Life with Plate of Cherries

https://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/cezanne/sl/cezanne.cherries.jpg

 

大岡は、ドガ(1834-1917)に「運動」を、ゼザンヌ(1839-1906)に「丸み」「密度」「空虚」「均衡」「重心」「拡大」「深さ」をみた。確かに、そういう側面はあるだろうが、いささか我田引水の読みであるような気がしないでもない。

このようなものが、19世紀の、早くはロマン主義時代に芽生え、写実主義絵画を経過して着々と成立していっ

た「純粋主義」にほかならなかった。さしあたって、この純粋主義は、何人かの傑出した画家を、「色彩それ自身」、「形態それ自身」の価値の探求に向かわせ、その結果、フォーヴィズムキュビズムを通じて、20世紀絵画の主流は、依然としてこの純粋主義の幾方向かへの展開を追うことになったのである。

 宗教画から離脱し、写実主義を経て、純粋主義-抽象絵画への流れは大きな潮流なのか、一つの流れなのかはよく分からない。

 

絵画の値段などという話は、なにか下世話な話のようにも思えるがふれておこう。

大岡は、なかなか面白い見方を披露している。

キャンパスの上に実現されたもの以外には何一つ考慮する必要がないとなれば、キャンパスの大きさを号という数値で合理的に分割し、その絵の値を決定するという味気ないやり方も、かえって画家の小は小、大は大なりの労働を尊重するやり方のようにも見えたかもしれない…。

絵画における純粋主義の展開の歴史が、一方でこうした金銭的合理主義の普及と並行していたということは、芸術に関する多くの逆説のひとつである。私は一人の傍観者としてなら、この逆説を大いに面白がることができる。

もちろん,号いくらという算定方法を一挙にやめてしまったら、絵画の市場は完全に混乱してしまうだろう。しかし、絵画の見せかけの大きさでその価値を図ろうとする思想は、たとえその価値が金銭的な価値に限られているとはいえ、現代絵画を退廃させる一因となりうるし、実際なっている面がある。絵画と言うものをキャンパスの上だけで生起する事件と見做す純粋主義は、意外にもそうした通俗合理主義と背中合わせになっており、両者はむしろ補い合いつつ、画家の関心を、キャンパスという、枠に囲まれた平面にすぎないものの上へと集中させるようにみえる。絵画が単なる意匠になり下がるのは、この時をおいてないだろう。そうなってしまえば、画家の視覚を支えるのは、より多くの情報、より多くの意匠以外にない。内心の大きな空虚、自信の喪失を押し隠して、新奇な意匠を追いかけるほか手がなくなってしまう。絵画における商業主義の問題は、おそらくこのようなところから発して、広範な領域にまで及んでいるように思われる

純粋主義は、「絵画と言うものをキャンパスの上だけで生起する事件と見做す」。キャンパスに「色彩」や「形態」を、大衆(ブルジョア)迎合的に描けば、高い価値となる。

 

号と値段で検索すれば、いろいろな記事が出てくる。

その中で、おもしろい話があったので紹介します。

ある画家が亡くなりました。ほとんど売れない作品ばかりが残されました。

画家の遺族は葬式等が終わってやれやれと思っていました。

後日、ある日突然、税務署がやって来ました。聞いてみると「故人の作品の評価額が美術年鑑に号何万円で載せているから、残された作品が100号×何十枚。よって相続遺産作品分が何千万円です。この分が申告漏れですよ」。

相続放棄するわけにもいかず、作品も売れず、遺族は困り果てているそうです。

美術年鑑に軽い気持で載せると、とんでもない目に遭います。

http://www.akiwa.org/ura-gousuu.html

残された作品は「財産」なのか。財産だとしたらどう評価すべきなのか。