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気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

法の射程と限界(3) パターナリズム 覚醒剤と煙草

平野・亀本・服部『法哲学』(11)

服部は、人々の自由への正当な干渉の形態として、次の4つを挙げている。

  1. 危害原理…ある行動が他者に害を与えるようなものであった場合、その行動は法によって制限される。
  2. 法による道徳の強制(リーガル・モラリズム)…社会の中で支持されている道徳を法として制定する。
  3. 不快原理…他者に対する著しい不快感を与える行為を規制する。
  4. パターナリズム

1.2.については、前々回と前回の記事を参照。

3.については

当事者間の合意で密かに行われているかぎり処罰対象とはならないが、その行為が公然と行われ一般の人々を不快にさせる場合には処罰できるとする。…不快感というのは主観性を帯びたものであるうえ、多数者の感情による少数者の権利・自由の侵害に、この原理が手を貸すことになる危険性がある。

議論するまでもないように思う。

今回は、4.のパターナリズムについて見てゆく。

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http://livedoor.4.blogimg.jp/akb48matomemory/imgs/3/e/3e997316.jpg

 

パターナリズム(paternalism)は、父親的干渉とか温情主義とか訳されるようだが、「温情主義」がもっとも分かりやすいように思う。服部は、次のように説明している。

パターナリズムとは、本人自身の保護のために、場合によっては本人の意に反してでもその自由に干渉することを言う。法的パターナリズムは、被干渉者の保護のためという理由で、法を通じて命令・禁止等の規制・指図を行うことを意味する。本人の生命・健康を守るために麻薬などの薬物の所持・服用を禁じたり、危険なスポーツの実施に対して一定の規制を行ったり、あるいは本人が将来十分な年金を得られるよう年金保険料の納付を強制したりするのが、その例である。

ライフスタイル(服装、髪型、性交渉等)、危険行為(ヘルメット・シートベルト着用等)、人の生と死(自殺、末期医療等)、犯罪・非行対策(非行少年の健全育成等)、私法秩序(消費者保護等)、社会福祉(高齢者・障害者等の利益保護)、教育、家族生活などについて、当人の保護を理由にして強制ないし介入することの正当性が問題とされる。

 

覚醒剤*1やシートベルト着用などを考えれば、当然の法規制のようにも思われる。ここで冒頭の「本人の意に反してでもその自由に干渉すること」に注目しよう。

タバコ*2について考えるのが適切である。いまでは喫煙者も、体に有害であることを知っている。にも拘わらず、タバコをやめないのは、そのデメリットを上回る(精神的)メリットを認めているからである。タバコを禁止することは、その自己責任で喫煙していることの「自由」に干渉することであり、認められない。…この喫煙者の言い分をどう考えるか。「他人に迷惑をかけなければ構わない。何をしようと自由だ」。この主張に、「受動喫煙」で反論するのはどうか。これは「あなたの自由は認める。しかし他人に迷惑をかけるな。」という穏健な主張であるが、パターナリズムの主張ではない。パターナリズムは、次のように主張する。タバコを吸う「自由」を認めることは、(かってのヒロポンのように)覚醒剤を服用する「自由」を認めることと同じである。健康被害が科学的事実として検証されてきた以上、これを禁止すべきである。「自由」とは関係ない話である。…何が論点なのだろうか。「自由への干渉」が問題なのか。服部は「自由への正当な干渉」という言い方をしている。「自由」とは何か。絶対不可侵の価値なのか。ここで「自由」とは何かを定義しても、その定義をめぐって延々と議論が続くだろう。では「自由」という言葉をわきに置いておいて、タバコの「健康被害」がどの程度のものなのか(精神異常を来すほどのものなのか)を議論すべきか。それとも、喫煙のメリットについて議論すべきか。

 

個人の自律を理想とするならば、行われないにこしたことはないため、パターナリズムは、今も昔も一般的には否定的な意味で語られることが多い。しかし、現代国家においては、公権力機関による社会経済生活への広範囲にわたるパターナリズム的配慮・介入が不可避の現実となっている。しかも、高度化・複雑化を遂げた現代社会においては、いくら自分のことだからとはいえ、個々人につねに完全な意味での自律や自己決定を要求するのは難しいし、それが不適切な場合さえある。例えば医療の領域において自己決定を万能視することの問題性が指摘されることがあるし、高齢者、青少年、障害者などの社会的弱者については、自己決定の強要がかえって過酷な事態を招くこともある。

「個々人につねに完全な意味での自律や自己決定を要求するのは難しいし、それが不適切な場合さえある」…これが真っ当な現実認識であるように思われる。であるならば、「個人の自律」を理想とすることができない、この現実をどう変えていくのか、が問われなければならないだろう。いや、その前に、「個人の自律」を理想とするのは一つの価値観にすぎないのではないか。喫煙を自律的に意思決定するのは、理想的なことであるのか。本人のことを思って、強制的に禁止すべきなのではないか。

 

これとは逆の面では、最近の医療技術の進歩に伴い生命倫理に関する新たな問題が生じてきたこと(臓器移植、代理母出生前診断などの妥当性)や、福祉国家の全般的見直しの気運や各方面での自己決定の意識の高まりとともに、これまで当然のこととして受け入れられてきたパターナリズム的干渉に批判の目は向けられるようになったことも、パターナリズムへの関心をかえって増大させるきっかけとなっている。

そうした事情を考慮して、パターナリズム的介入を公権力機関による強制の一類型として価値中立的に捉え、その上でその特質と正当性に分析を加えようという傾向が次第に強まっている。

服部の「パターナリズム的干渉」という言い方には、「自由への不当な干渉」という響きがある。また「パターナリズム的介入を公権力機関による強制の一類型として価値中立的に捉え」という言い方にも、「自由への不当な介入」、「不当な強制」という響きがある。この言い方そのものが「価値中立的」とは思われない。

 

パターナリズムの諸類型

パターナリズムをどのように定義するかにあたっては、パターナリズムの概念にその正当化原理も組み込むか否か、自由干渉の主体を公権力機関のみに限定するか否かなどの点について争いがある。個々のパターナリズム的干渉の是非を判断する正当化規準は別に考え、パターナリズムを「本人自身の保護のための、必ずしも強制を伴うとは限らない、その当人の自由への干渉」というように広く理解するならば、パターナリズムについては以下のような諸類型が挙げられる。

  1. 法的サンクションを伴う強制的パターナリズムと、それを伴わない非強制的パターリズム(例:生活保護の給付を無駄遣いしないように現物で支給する場合)
  2. 被介入者の選択・行動が完全に任意的であっても干渉する強いパターナリズムと、何らかの理由で非介入者が適切な判断能力を欠いて任意的な選択・行動ができない場合に干渉する弱いパターナリズム(例:重篤な病気あるいは薬物服用や多量の飲酒等により判断能力が低下している者に対する保護的介入)
  3. 被保護者と被介入者が同一である直接的パターナリズム(例:刑罰法規により薬物の服用を禁ずる場合)と、別人である間接的パターナリズム(例:自殺幇助を罪とする場合や消費者保護のために食品会社に商品への添加物表示を義務付ける場合)

パターナリズムのこのような類型化は(十分で完璧な類型化であるか否かは別として)、パターナリズムをより深く理解する手助けになる。

 

パターナリズムの正当化

では、個々のパターナリズム的干渉の是非を判断する正当化規準には、どのようなものがあるか。

  1. 被介入者が得る利益が損失を上回るパターナリズム的干渉は正当化される(功利主義的原理)。
  2. 被介入者の[適切な判断能力を欠き]任意的でない行為・決定に干渉する弱いパターナリズムのみ正当化される(任意性原理)
  3. 被介入者のより大きな自由を実現できるパターナリズム的干渉は正当化される(自由最大化原理)
  4. 被介入者の何らかの同意が得られるパターナリズム的干渉のみ正当化される(意思原理)

服部は、この4つの正当化規準のうち、1.~3.を、次のように批判する。

  1. 当人がより大きな利益さえ得られれば、当人の意思とは無関係に、なんらの制約無く干渉が正当化されるという点で不適切である。
  2. 弱いパターナリズムだけを正当なものと考え、任意的な選択・行動への保護的介入の可能性を一切閉ざす点で、規準として狭きに失する。
  3. 何を持って本人の自由というかが不明確である上に、被介入者の意思尊重への配慮が充分でない。

批判1.は、本人の意思を尊重する立場からの批判である。本人の得る「利益」が「より大きな利益」であると測定できたとしても、本人の意思による選択は、本人が「より大きな利益」と考えていないことを示すのであり、それを尊重せよという批判のように思える。私には、この批判は説得的であるとは思われない。まず「利益」に関する議論(対話)なしに、「本人の意思による選択」を採択している点である。パターナリズムは、(医学的・社会学的・心理学的)論拠をもって、本人の「利益」を主張しているのであるから、当該論拠に関する議論(対話)が必要である。

批判2.は、その通りだと思う。

批判3.の前半(何を持って本人の自由というかが不明確)はその通り、後半(意思尊重への配慮が充分でない)は、上記1.の批判と同様に賛成できない。

 

服部は、正当化規準の4.(意思原理)が説得的だとしている。

したがって、個人の尊重と自己決定に重きを置く見方からは、パターナリズム的干渉が本人自身のためになることを、本来ならば本人自身が承認するはずだと考える4.の「意思原理」が、パターナリズムの正当化原理として一般的に最も説得的だと考えられている。

まず、「個人の尊重と自己決定に重きを置く」見方に賛同できない。「本来ならば、本人自身が承認するはず」というときの「本来ならば」とはどういう意味か。「本来ならば」というのは、本人ではなく、他者が判断しているのではないか。もしそうなら「本人の意思」を尊重しているとは言えないだろう。正当化基準の4.(意思原理)は、こういう言い方をしていたか。次のように言っていた。

4.  被介入者の何らかの同意が得られるパターナリズム的干渉のみ正当化される(意思原理)

「何らかの同意」が得られるならば、「パターナリズム的干渉」というのはおかしい。

したがって、服部の挙げる4つの正当化規準は、いずれも説得的であるとは思えない。パターナリズムは、もっと別の根拠で正当化されなければならないと考える。

 

パターナリズムと本人の意思

先ほどの「本来ならば、本人自身が承認するはず」ということに関して、次のような説明がある。

しかしながら、当人の意思能力が欠如ないし不十分な状態において、本来なら本人が承認するはずだという意味での本人の意思の所在を確認しようとするのは、ある意味で矛盾した要請に応えようとするものであるし、実際問題としてもきわめて難しい。

そうした場合の判断方法を一般的、抽象的に論じるのは難しいが、被介入者の利益を本人自身の作為ないし不作為による侵害から保護することの重要性を確認しつつも、それを公権力機関が後見的にかつ画一的に保護するのは適切ではないであろう。個人の人格の陶冶は各人各様に様々な試行錯誤を経て成し遂げられるという動態的な人格的統合性についての見方に立脚して、何らかの形で被介入者自身の同意が獲得ないし想定できる形でのみ、パターナリズム的介入は自由な社会の基本原理とも整合的となり、許されることになろう。わいせつ物などからの青少年の保護や、医療における患者への治療についての法的枠組みも、基本的には同様である。

またパターナリズムによってのみ正当化される法的規制の例を挙げるのは難しく、公益的観点や他社危害の原理など他の正当化理由によっても裏付けられる規制が大部分である。例えば、パターナリズムの典型例として良く挙げられるシ-トベルト着用義務付けにしても、本人の生命・身体の保護のみならず、事故等の関係者の被る不利益を減らしたり、医療費を保険金給付の額を抑えるという意味を持つ。このように、個々の規制についてそれがどのような原理により正当化されるものかを見極めることも重要となるであろう。

服部のパターナリズム批判の根本には、「公権力は、個人の自由に対して干渉・介入すべきではない」という考え方があるように思う。それは「公権力機関が後見的にかつ画一的に保護するのは適切ではない」という言葉にあらわれている。この考え方によれば、覚醒剤使用を禁止し、「画一的に保護するのは適切ではない」ということになろう。

私は、覚醒剤を禁止するルールを画一的に定める(法として定める)のは、私たちが、議論のうえ、覚醒剤が、医学的等の根拠をもって、望ましくないと考えられるので、法として禁止することに合意したからである、と考える。それは個人の「自由」に干渉するとか介入するとかの話ではない。パターナリズムを「自由」と対立的なものとして捉える必要はない。

 

*1:

ヒロポン疲労回復薬。太平洋戦争下、生産性の向上を目的として工場で工員に、あるいは夜間に視力が良くなるという理由で夜間の歩哨に、あるいは集中力が増すと言って航空機搭乗員に支給され……と、政府・軍部の推奨のもと大々的に使用されていた。

http://dic.pixiv.net/a/%E3%83%92%E3%83%AD%E3%83%9D%E3%83%B3

*2:

タバコ…1998 年のWHO総会において、次期WHO事務総長Dr.Gro Harlem Bruntland は次のように述べ、喫煙に対して警鐘を鳴らしました。「われわれは、劇的に増加している早死の主な原因に対し何らかの手をうたなければならない。その原因によって今年400 万人が命を奪われた。このまま我々が手をこまねいていると、2030 年には1000 万人が死亡することになるであろう。このうち半数は老年期ではなく中年期に死亡しているのである。この問題の主な舞台は、今、発展途上国に移りつつある。この早死の原因というのは、タバコのことである。」…タバコの有害物質:タバコの煙には4000種類の化学物質が含まれ、そのうち200種類以上がベンゾピレンのような発癌物質やタール、ニコチン、一酸化炭素二酸化炭素といった有害物質です。

http://www.yamaguchi.med.or.jp/Q&A/tabacco.htm