浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

精神疾患は治療できるのか?(オリバー・サックス)

吉成真由美『知の逆転』(5)

今回は、オリバー・サックス(Oliver Sacks、1933-2015)に対するインタビュー。オリバー・サックスは、イギリスの神経学者。『妻を帽子とまちがえた男』、『レナードの朝』、『火星の人類学者』などの著作が有名。インタビューは、2010年12月。

 

レナードの朝

レナードの朝』に書いた患者さんたちは、嗜眠性脳炎*1という病気を患って、ときには20年、30年、ないし40年もの間、世界から隔絶された形で生きてきたのです。従って、彼らの人生の大部分は失われているわけですね。ですから、L-ドーパという薬[パーキンソン病の薬]を処方する前には、もしこの薬が効いて患者さんたちが覚醒した場合、いったいどんなことになるのだろうと非常に心配したわけです。ところが驚いたことに、ほとんどの患者さんが、突然40歳も年をとったうえ、全く違う世界にいるというような、想像を絶する状況に対して、見事なほど柔軟に適応したのです。

映画『レナードの朝』(1990)について、

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https://www.youtube.com/watch?v=oWLHcgnRu6M

 この物語のもう一人の主人公である、レナード。彼は小さい頃に病気が発症し、それから30年もの間、ずっと眠り続けていました。そんな彼が目覚め、自分の顔を鏡で見て失われた時間に気が付いた時の戸惑いの中で、彼は思春期を迎え、生きている事の素晴らしさや自我の目覚め、女性への恋愛など様々な事を学んでいきます。

彼は失われた長すぎた30年間を必死で今、体験しているのです。当然、思春期には親へ反抗してみたり、自分の存在意義を考えてみたりすることがあります。しかし、周りは外見の大人という所にとらわれ、思春期を迎えていることに気が付きません。そしてレナードの母親はあまりにも変わりすぎた我が子に驚き、セイヤー[神経科医]にあなたのせいで息子は変わってしまったと嘆くのです。

眠ったままでいれば自分の手の中にいた息子が、目覚めたことにより、自分の手の中から羽ばたいてしまった息子。その戸惑いをセイヤーにぶつける。あまりにもレナードが不憫すぎて泣きました。

そして、また徐々に失われていく時間。元の麻痺状態に戻りつつあるレナード。そんな情けない自分を恋した女性に見せたくないと別れを告げられたポーラはレナードの手を強く離さず、その前に話していたダンスを一緒に踊ります。

僕にはダンスもろくに踊ることが出来ない。一生病人だから。

そんな事を言っていたレナードの痙攣は彼女とダンスを踊っている時だけは少し収まりました。

…このシーンが本当にヤバい。涙が止まらない。

止まらない。切ない。(野口明人)

http://www.mylifeismovie.com/%E3%83%AC%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%AE%E6%9C%9D/

サックスは、「想像を絶する状況に対して、見事なほど柔軟に適応したのです」と語っている。脳の見事な適応力に感心する話としては面白いが、現実に社会の中で生きていく上での「適応」に関しては、果たしてどうなのだろうか。

 

吉成…病気の治療を目的に処方された薬が、個人の特異な能力というものをすっかり薄めてしまうので、患者さんは薬を飲んでいる間、自分のアイデンティティというものが失われてしまったように感じることもあるそうです。神経科医としてこのジレンマにどのように対処しておられますか。ドストエフスキーは、どんなに発作が苦しくとも、自身のてんかんがもたらす一瞬の輝ける幻想というものを、てんかん薬によって取り除きたいと思ったことはないと思われますが。

サックスはこう答えている。

特に抗精神病薬についてこのことが問題になります。精神病患者が、こっそり薬の服用を止めてしまうということがしばしば起こるんですね。薬は彼らを生気のないゾンビのようにしてしまうからだと。素晴らしく刺激的でドキドキするようなスリルのある世界を取り除いてしまって、何もない灰色の世界にしてしまうのだというのです。

トゥレット症候群*2の患者たちも同じようなことを訴えます。トゥレット症候群の患者は自己制御できない突然のチック症状、突然の叫びや不用意な動作などを起こすわけですが、同時に彼らは鮮やかな想像力と高い知覚能力を持っているのです。

レイの場合、月曜日から金曜日まではビジネスのために薬を飲んでスローダウンするのですが、週末になると薬を止めて、素晴らしいジャズ奏者(ドラム)や卓球選手に早替わりします。ある種の二重生活者ということになります

最近読んだ小説で、側頭葉に腫瘍ができたために宗教的なビジョンを持つようになった尼僧の話があります。腫瘍がおおきくなるにつれてビジョンもより強くなっていったのですが、腫瘍を取り除かないと彼女は死んでしまうわけです。しかし腫瘍が除かれたら宗教も失ってしまう…。

宗教的なビジョン」「一瞬の輝ける幻想」「ドキドキするようなスリルのある世界」を大切にするのか、それとも「死」を避けるため、薬をのんで「生気のないゾンビ」のようになるのか。これは患者が選ぶのか。精神科医が選ぶのか。患者の保護者が選ぶのか。…選択の基準はあるのか。「生気のないゾンビ」つまり「生きがいを喪失した人」は、「死んでいる」のと同じではないのか。薬を飲んで「死んでいる」のは、パラドックスではないか。

 

サックスは、側頭葉に腫瘍ができたために宗教的なビジョンを持つようになった尼僧の話をしているが、私は「宗教」は、生物学的には「精神障碍」(機能的疾患)によるものではないかと疑っている。(社会・政治における宗教の役割の話はまた別である。…初詣や葬式仏教はこの類の話である)。また同様に「カルト」も「精神障碍」(機能的疾患)によるものではないかと疑っている。平気で人を殺したり、平気で殺人兵器を作る科学者も「精神障碍者」ではないかと疑っている。…彼らには治療薬を投与すべきだろうか。疑いのある者は拘束して排除すべきか。出生前診断して排除すべきなのか。

 

ハッピー・ピル(あなたは、「経験機械」につながれたいですか?参照)や麻薬を服用して宗教的恍惚状態になっている人に、治療薬を投与すべきだろうか。薬を与えて、「生気のないゾンビ」にすべきなのか。

 

生と死に関しては、アルツハイマー認知症や末期ガンになった場合でも延命治療を施すべきなのか。安楽死させるべきではないのか。…先天的に障碍者として生まれてきた子どもについてはどう考えれば良いのか。出生前診断で異常を診断された場合、人口妊娠中絶することに問題はないのか。もし問題がないとしたら、障碍者として生まれてきた子どもを安楽死させることはどうか。「社会」は、障碍者に「生きがい」を与えられるのか。

 

*1:嗜眠(しみん:意識障害のうち最も強い昏睡に次ぐ状態)を主症状とする脳炎。エコノモ型脳炎とも。第1次大戦後ウィーンに流行し,日本にも一時局地的流行をきたしたが,その後みられない。(百科事典マイペディア)

*2:トゥレット症候群とは、首振りや顔をしかめるなどの「運動性チック」と、咳払いや汚い言語を発言する「音声チック」の両方が、同時に存在するとは限らないものの、疾患のある時期に存在したことがある、などを診断基準とする精神神経疾患です。1885年にフランスの神経科医ジル・ド・ラ・トゥレットによって報告されたことから、トゥレット症候群と名付けられました。…遺伝的要因があると考えられています。…さらに、原因として、大脳基底核ドーパミン神経受容体の異常が示唆されています。 http://www.skincare-univ.com/article/011524/