明日(2016年5月1日)、水俣病の公式確認(1956年5月1日)から60年となります(水俣病の発生はそれ以前)。未だに、患者認定を求める人や裁判を起こしている人がいます。水俣病事件は解決済みの過去の事件とは言えないでしょう。
来る5月3日~5日に、東大安田講堂で、「水俣病公式確認60年記念 特別講演会」が開催されます。入場料が高すぎる気がしますが、やむを得ないのでしょうか。
http://www.minamata-f.com/evt_201605.html
演題は、下記の通りです。
5月3日「祈るべき 天と思えど 天の病む」
杉本 肇「もう避けない―私と家族の水俣病57年」
除本理史「水俣病の経験から福島を考える」
柳田邦男「無責任国家の遺伝子」
森 達也「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」
5月4日「地の低きところを 這う 虫に逢えるなり」
吉永理巳子「亡き人に耳を傾けて―61年前の父の発病から」
鶴田和仁「水俣病医学の今日的課題」
5月5日「われもまた 人げんの いちにんなりしや」
緒方正人「生き物としての私たち」
成 元哲「被災者たちの声―水俣と福島」
奥田愛基「希望に負けました」
フォーレのレクエイムを聴きながら、以下を読んでください。
Gabriel Faure's Requiem Op. 48 Complete (Best Recording)
また、水俣病(3)で紹介した写真をもう一度あげておきます。
http://www.minamata-f.com/minamata-gifu_flyer.pdf
NPO法人「水俣フォーラム」は、「趣意書」(1994)を公表していますので、ぜひ全文読んでみてください。
http://www.minamata-f.com/60_leaflet.pdf
この中から、私が気になった部分をピックアップします。
原因をそれと知りながら隠蔽しつづけたのはひとりチッソに限りません。近代民主国家を標榜するわが国行政は、同じ工程をもつ他企業への問題の波及、化学工業界への打撃、ひいては工業化政策全体の遅延を恐れて加害企業を庇護しました。
経済成長と環境の問題は、いまなお重要なテーマですね。
困窮の極みにあった被害民に対して、市民もまた白眼をもって接し、革新勢力や宗教家さえ救いの手をさしのべようとはしなかったのです。
これは非常に重要な指摘だと思います。こういう人たちによる「民主主義国家」がどういうものであるのかは、よく考えなければならないところでしょう。
水俣病の発生原因それ自体であるチッソの生産活動およびこれに類する経済活動、技術開発によって、現在の化学工業の成長と日本の経済的発展、「便利で豊かな生活」がもたらされたのは否定しようもない事実です。
「日本」の経済的発展、「便利で豊かな生活」の追求が、本当に望ましいものであるのかどうか、「幸福」とは何であるのか、もう一度基本にたちかえって考えてみる必要があるのではないでしょうか。
最大多数の最大幸福の追求が、少数者への苛烈な抑圧を生みだすのみならず、結果として多くの現代人の内に、人としての存在の希薄化と関係性の腐食をもたらし始めています。
功利主義=最大多数の最大幸福の追求が、①少数者への苛烈な抑圧を生みだす、②人としての存在の希薄化と関係性の腐食をもたらす。…功利主義は、単なる学説ではありません。功利主義なる「ものの考え方」が、現実を動かし、差別と抑圧をもたらしているのではないか、こういう問題意識をもって事態に対処する必要があるのではないでしょうか。
水俣フォーラムの実川悠太理事長は、こう言う。
患者さんたちが苦しみの中から問うたのは、多数派の幸福追求のためなら少数者を犠牲に追いやってもいいのかということ。今も世界中で“水俣”が繰り返されているのでないか?
大勢が被害を認められないまま亡くなった。今も新たな患者が生まれ、自分が被害者だと言えない人がいる。悲劇は終わっていない。
私たちは『水俣』をかがみとして、どう生きていくのかを問い直したい。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/metropolitan/list/201604/CK2016041302000195.html