今回は、ちょっと軽い話題。
蓮實重彦が「伯爵夫人」で三島由紀夫賞を受賞し、報道陣に「馬鹿な質問はやめていただけますか」 と言って話題になった話です。
受賞会見の質疑応答は、http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/16/hasumi-mishima_n_9998942.html を参照ください。
私は、この質疑応答を読んで、ある感想を抱いたのですが、特にこれをこのブログで取り上げようとは思っていませんでした(それほどの価値なし)。
しかし、ふと「世間の人(コメントしたがり屋)はどう思ったのだろうか。教養レベルがわかるかもしれない。」と興味がわき、ちょっと検索してみたら、いろいろのコメントが出ていたので、これは取り上げてもいいかなと思い直し、ここに書き始めた次第です。
辞退すべき
三島賞を受賞した元東大総長の蓮實重彦氏、「全く喜んでない。はた迷惑、蓮實を選ぶ暴挙」と発言。しかし候補になると必ず出版社は通達する。その段階で断らなかったのに受賞後にはた迷惑とは? ならば候補の段階で辞退するべきでは? 受賞を受けてのこの発言こそ暴挙じゃないか? 若手に失礼です。(辻仁成他)
「暴挙と言うなら、辞退すべきだったろう」というようなコメントは論外です。辞退しないで、会見でなぜ「迷惑」とか「暴挙」と言うのか考えてみようともしないのは、浅薄ですね。
漫才を聞いているようだ
三島由紀夫賞を受賞した蓮實重彦さんのインタビューでの受け答えが、まるで漫才を聞いているかのようで、一言づつが可笑しい。…これを読んでいたら、もうかなり昔、映画に関しての本を読んだ時のことが思い出された。蓮實さんが誰かとの対談の中で、イングリット・バーグマンをバカ呼ばわりしていたのだ。ずいぶん思い切ったことを言う人だなと、イングリット・バーグマン好きの私は心底ビックリして一瞬ムッとしたが、「うちのカミさんもファンなのです」というオチには、ふっと気が抜けた。(teruhanomori)
http://teruhanomori.hatenablog.com/entry/2016/05/18/040206?_ga=1.264154508.1688868871.1417080646
蓮實さんの三島賞受賞記者会見での発言を読んだ。受賞したら絶対いうだろうなあと思っていたことをみんなしゃべっていて、爆笑。「紋切型辞典」のフローベールの研究者だもの、ああいう場所だと正論しかいわないにきまってるよね。きちんと「感情教育」していた蓮實さん、1ミリも変わってない……。
ぼくが三島賞を受賞した後、お会いしたら、「どうして、拒否しなかったんですか? あなたに賞をあげようなんて、失礼なことを許しちゃいけません。賞をあげるなら、あなたの方から選考委員にでしょう」っておっしゃったんですよね。なので、今回の発言でもおとなしすぎ。(高橋源一郎)
私もこの質疑応答を読んで本当に可笑しかった。記者たちは、たぶん蓮實のことを何も知らないのでしょうね。
高橋は「紋切型辞典」に言及しているので、wikipediaを見ると、
『紋切型辞典』は、ギュスターヴ・フローベールの遺稿。執筆当時の世間に流布していた陳腐な言い回しや凡庸な意見、ありがちなジョークや誤解、迷信といったものを辞典の形でまとめた風刺的な作品である。およそ1000ほどの単語が普通の辞典と同じようにアルファベット順に列挙され、それぞれに用例や定義、訓戒といった形の短文が付されている。フローベールの書簡によれば、「だれでも一度これを読んだなら、そこに書いてある通りをうっかり口にするのではないかと心配で、一言もしゃべれなくなる」(岩波文庫版解説、293-294頁より)ことを目指したものであった。
そして項目例が8つあげられているが、そのうち2つを紹介すると、
- imbéciles(愚か者) - あなたと同じ考えを持たない人のこと。
- soupir(ため息) - 女性の近くにいるときにつくべし。
私が唯一おもしろい(為になる)と思った質疑応答は、
Q:研究者の目で「相対的に優れたものでしかない」と思いながら、小説というものは書いたりできるものなのでしょうか。やっぱり何か情熱やパッションがなければ書けないと思うのですが。
A:情熱やパッションは全くありませんでした。専ら、知的な操作によるものです。
「知的な操作」で小説を書くとは、おもしろい。批評家の小説であってみれば、これはジョークではなく、本音かな?
小説が向こうからやってきた
きょうの夜、借りていた本を中央図書館に返却した序に何気なく映画本まわりを彷徨いてみたところ、大先生の『映画狂人のあの人に会いたい』が目に入ったので早速手にとって頁をめくると、ダニエル・シュミットを招いた講演会での「素晴らしい出会いは、向こうからやってくる」と出くわすこととなり、とても吃驚させられたのだった。(baskov)
http://d.hatena.ne.jp/baskov/20160518?_ga=1.58509994.1688868871.1417080646#1463586708
「素晴らしい出会いは、向こうからやってくる」…なるほどねぇ。
こういう「芸風」、かっこ悪いからやめればいい
だいたい、今回のコメントで騒いでいる人のほとんどは、蓮實重彦の文章なんてまったく読んでないわけでしょう。だから彼のあの発言が、何十年も繰り返されてきた「芸風」であることも知らないわけで、すべてが茶番。そしてむろん主催者はそんな茶番でももういいやと思っているわけで、それも茶番。(東浩紀)
東にとって、今回の蓮實の発言が芸風であり茶番であったとしても、蓮實を知らない者にとっては、彼の芸風は面白い。「古典的な」面白さではないでしょうか。東がそんなの見飽きたのであれば、黙っていれば良いわけで、蓮實を批判したければ、もっと本質的なところを批判したらどうなのでしょうか。
これはパロディだ
この会見がアカデミー・フランセーズに関連したロブ=グリエの振る舞いのパロディだということは、御大の「タキシードの男」を読んでいれば、わかりそうなものです。(岡和田晃)
http://d.hatena.ne.jp/Thorn/20160518/p2?_ga=1.29802815.1688868871.1417080646
そうだったんですか。80歳にしてパロディを演ずるとは若いですね。
誰かが、「蓮實重彦からスノッブをとったら何が残るのか」と言っていたが、私もそんな気がする(根拠はないが…)。
私の本棚の一画に、蓮實の『表層批評宣言』が埃をかぶっているが、今回の件で読んでみてもよいかなと言う気にちょっとだけなった。
私は文学青年ではない(別に嫌いというわけではないが、小説はほとんど読まず、映画はほとんど見ない)ので、タイトルにつられて買ってはみたものの、何か「スノッブ」のにおいが感じられて、3分の1か半分を読んで(理解できない部分も多く)、「時間があれば、後で読む本」のカテゴリーに移動してあった。
でもこれだけでは弱い。私には「読むべき本」が100万冊あり、これを読破するには100万年かかるのである。この程度のことで、「読むべき本」を1,000,001冊目とするわけにはいかないね。
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私は結構スノッブが好きで、私は自分を「倒立俗物根性的俗物」と称しているが、これは「私はスノッブではない(倒立俗物根性)とみせかけているスノッブ」という意味で、まさしくこういう言い回しが好きな俗物であることを証明しているわけで、その意味で私は大変正直にモノを申しているわけで、「見栄張り」でも「気取り屋」でもないわけでして、スノッブとは正反対のスノッブなのであります。