浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

手続的正義(1) ミス・キャンパスを選考する

平野・亀本・服部『法哲学』(15) 

今回は「手続的正義」の話である。しかし、いきなり「手続的正義」と言われても、一体何を問題にしているのかよくわからない。亀本は、次のように説明している。

手続的正義の考え方は、実質的正義の問題について一致が得にくいという現代的状況を背景に登場した。それは、実質的正義の基準について一致がない場合に、一定の手続きを経て出された結論を正義にかなうものとみなすという考え方である。あるいは、一定の手続きを経ていない限り不正義とみなす、というもっと弱い手続的正義の考え方もある。

なぜ、この文章が分りにくいのかを考えてみた。…それは「手続」という言葉と、「正義」という言葉が結びつくことの違和感である。「正義」という言葉に「道徳的な意味合い」を含ませてしまっているので、それがなぜ「手続」と結びつくのか、という違和感である。私はこの違和感を解消するには、ここでの「正義」を「適正」と言い換えた方が良いと思う。また「手続」というのは、「あることをするために必要な一定の順序。ある状況に対処するための手順」という意味に理解しておく。そうすると、上の文章は「あることをする(ある状況に対処する)には一定の順序(手順)というものがある。その手順に従って出された結論(結果)は、適正なものであるとみなす。その手順に従っていなければ不適正であるとみなす」となるだろう。

 

亀本は、「形式的正義は、何らかの点で等しい限りで等しい取り扱いを要求するが、どの点に着目すべきかについては言及しない。後者の点は、実質的正義の問題であり、実質的な正当化が要求される。」と述べていた(形式的正義と普遍化可能性)が、確かに、どの点に着目するかの一致が得にくい場合が多々ある。そのような場合に、一定の手続きを経て出された結論を、正義にかなう(適正な)ものとみなす」という考え方は、何事かを決めようという場合には有用な考え方であるようだ。

いずれにせよ、そこでは、その手続きについては合意がある、あるいは少なくとも、合意が得やすいということが前提されている。またその手続きの内容が実質的正義にかなった結論を導く蓋然性が高いものでないと、手続きの内容に関する合意を得ることは難しいであろう。従って、手続的正義においては、形式的正義と異なり、手続きの実質的内容も問題になるという点に注意する必要がある。

 

A大学のミス・キャンパス選考手続き(概要)が次のようなものであったとしよう。

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  1. 応募者は、エントリーシートを選考委員会に提出する。
  2. 以下の身体条件*1を満たす者を、書類審査合格者とする。

(1) 身長:頭部の7.1倍、トップバスト:身長の0.51倍、アンダーバスト:身長の0.432倍、ウエスト:身長の0.34倍、お腹周り:身長の0.457倍、ヒップ:身長の0.542倍。±10%を許容範囲とする。

(2) 乳房は豊満で垂れていてはいけない。左右の乳房の大きさ、形状、位置は均一であるべき。乳頭を基点とした両乳房間の距離は20センチ以上。乳房の底面直径は10~12センチ、胸板から乳頭までの高さは5~6センチ。ふっくら盛り上がり、トップとアンダーの差は17~20センチが望ましい。

(3) 目:左右の瞳孔の距離は両耳間の距離の46パーセント、口:口と目の間の距離は顔の長さの36パーセント、また瞳孔から垂直線をひいたところに口角があるのが良い、唇:上唇は8ミリ、下唇は9ミリ、鼻:鼻の長さは額の長さの3分の1。±10%を許容範囲とする。

  1. 会場審査は、以下の通りとする。

(1) 会場舞台を逆立ちして1周する。

(2) 次の早口言葉*2を10回繰り返す。…パン壁、She sells seashells by the seashore.

(3) 次の回文*3を5回繰り返す。…世の中ね、顔かお金かなのよ(よのなかねかおかおかねかなのよ)。なお、顔かお金か自分の好きなほうを強調すること。

(4) 激辛料理の「古代米の牛飯(がうはん)」*4古代米の炒飯に、自家製の激辛豆板醤で炒めた希少な"石垣牛"のサーロインをのせた丼スタイルの土鍋)を食べる。

  1. 選考委員会委員長は、選考委員の意見を聞いたふりをして、自分の好みで、ミス・キャンパスを決定する。

 

さて、この手続きは「実質的正義にかなった結論を導く蓋然性が高い」と言えるかどうか。この手続きは、科学的根拠に基づき、良く練られたものであると考える人もいれば、そうでないと考える人もいるだろう。「教養」の程度が伺われる。

この選考手続きを経て選ばれたミス・キャンパスは、「実質的正義の基準について合意が得にくいケースで、一定の手続きを経て出された結論なのであるから、正義にかなうものとみなす」ことが出来るのである!?