浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

水俣病(8) 見て見ぬふり 川崎市水道局いじめ自殺事件

職場でのパワハラ、セクハラ等のハラスメントは珍しいことではない。そして、そのような行為を「見て見ぬふり」をしている者も多い。一例として、「川崎市水道局いじめ自殺事件」を取り上げよう。 以下のような事件である。

 

Aは、昭和63年4月、川崎市の職員として採用されました。平成7年5月に工業用水課に配属。しかしその後、主査、係長、課長の3人のいじめにより、Aは自殺してしまいます。このいじめには、1つの因縁がありました。以前、川崎市はAの父に対し、Aの父が所有する土地を貸してほしいと頼んだことがありました。しかし、Aの父はその依頼を断り、川崎市の職員にはそれを不満に感じる人たちがいました。その数年後Aが配属され、ふとしたことから「あの男の息子」とわかり、嫌がらせが始まったのです。当時は、オウム真理教事件が世の中を賑わしていた時期でした。「麻原が来たぞ!」「ハルマゲドンだ!」とからかう。スポーツ新聞に掲載された女性のヌードグラビアを顔に押し付ける。職員旅行のときに果物ナイフを振り回し「刺してやる」とからかう……。どれもこれも幼稚すぎる悪ふざけです。このいじめの実行者は主査でした。そばで見ていた係長、課長には「いじめ」という認識はなく、一緒に笑っていました。しかし、Aにとっては苦痛だったのです。自殺後、川崎市と主査・係長・課長が訴えられました。裁判所は、Aがいじめにより精神疾患を発症し自殺したとして川崎市の責任を認めたのです――。

この事件から学ぶべきは、いじめの実行者である主査とともに、止めることなく一緒に笑っていた係長、課長が同じ責任を問われた点です。「いじめは、見て見ぬふりをした人も加害者という小学生でも教わる常識は、司法判断にも通じるということです。いじめを行った時期から自殺までには1年8ヵ月ほどの時間が経っています。本人たちはいじめた自覚がないまま時が経過し、自殺後に突然責任が降り掛かってきた形です。とくに係長、課長は傍観者ですから、青天の霹靂だったかもしれません。課長は、すべての労働問題の当事者になります。自分が積極的に関わっていてもいなくても、自分の部下が何らかのトラブルに巻き込まれれば、必然的にあなたもそのトラブルに関わることになるのです。このことを、肝に銘じておいてください。

なお、このケースは川崎市、つまり地方公共団体が訴えられた事件です。課長は公務員でしたので、国家賠償法という特別な法律のもと、課長個人が損害賠償責任を負うことはありませんでした。しかし、もしこれと同様のことが民間企業で起きた場合、課長の損害賠償責任が否定される理由はありません。(神内伸浩弁護士)

http://diamond.jp/articles/-/89112

 東京高裁H15年3月25日判決は、被告川崎市の責任を次のように述べている。

一般的に,市は市職員の管理者的立場に立ち,そのような地位にあるものとして,職務行為から生じる一切の危険から職員を保護すべき責務を負うものというべきである。そして,職員の安全の確保のためには,職務行為それ自体についてのみならず,これと関連して,ほかの職員からもたらされる生命,身体等に対する危険についても,市は,具体的状況下で,加害行為を防止するとともに,生命,身体等への危険から被害職員の安全を確保して被害発生を防止し,職場における事故を防止すべき注意義務(以下「安全配慮義務」という。)があると解される。また,国家賠償法1条1項にいわゆる「公権力の行使」とは,国又は公共団体の行う権力作用に限らず,純然たる私経済作用及び公の営造物の設置管理作用を除いた非権力作用をも含むものと解するのが相当であるから,被告川崎市の公務員が故意又は過失によって安全配慮保持義務に違背し,その結果,職員に損害を加えたときは,同法1条1項の規定に基づき,被告川崎市は,その損害を賠償すべき責任がある。

http://ameblo.jp/m92781495/entry-11414787070.html

いじめ実行者の主査は言うに及ばず、「見て見ぬふり」をした係長・課長の責任が問われたのである(公務員なので、個人が損害賠償責任を負うことはなく、市に賠償責任があるとされたのだが)。安全確保のための被害・事故の防止策を講じなかった不作為の責任が問われたのである。

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http://stat.ameba.jp/user_images/20120720/12/kakimotoatsuya/8a/8a/j/o0480036012088854792.jpg

 

水俣病関西訴訟で、最高裁は国や県の規制権限の不行使(不作為)を認め、損害賠償責任があるとしたのであるが、その責任あるものとは、チッソの行為(加害行為)を「見て見ぬふり」した者である。それは、具体的には、当時、規制権限を行使すべきであった公務員である。

国家賠償法第1条の規定は、

第1項 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。

第2項 前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。

この第2項に注目したい。公務員に故意又は重過失があれば、求償できるのであるが、これまでにそういう事例はあったのだろうか。そういう事例がなければ、税金によって賠償金が支払われるわけだから、私たちが当該公務員の「見て見ぬふり」の尻拭いをさせられているといっても良いだろう。

もちろん、カネだけの問題ではない。被害が「生命」に関わるようなものであったならば、そのような「見て見ぬふり」の公務員は、「人間的に欠陥がある」とさえ言えるだろう。

 

水俣病だけの過去の話ではない。公務員だけの話でもない。「いじめ」における「見て見ぬふり」の犯罪性については、現在の問題でもある。そして「いじめ」が、「肉体的、精神的、立場的に自分より弱いものを、暴力や差別、いやがらせなどによって一方的に苦しめること」である(wikipedia)ならば、極めて広範囲な現代的な問題であると言えるだろう。

 

※ 「水俣病(6)公務員の「不作為」という犯罪」の記事中、工場排水規制法の条文が間違っていたので、訂正しました。