浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

気になるアート(3) 川内倫子(Rinko Kawauchi)

 1972年滋賀県生まれ。93年成安女子短期大学卒業。97年よりフリーランスとして活動開始。2001年写真集『うたたね』『花火』『花子』を同時にリトル・モアより上梓。02年『うたたね』『花火』で第27回木村伊兵衛写真賞を受賞。著作は他に『AILA』、『the eyes, the ears,』、『CuiCui』、Web日記を書籍化した『りんこ日記』『りんこ日記2』、近刊に『種を蒔く/Semear』(以上フォイル刊)がある。主な個展は、"AILA + Cui Cui + the eyes, the ears," カルティエ財団美術館(05年パリ)、"Rinko Kawauchi" The Photographers' Gallery(06年ロンドン)、"AILA + the eyes, the ears," Hasselblad Center (07年ヨーテボリ)、"Semear"サンパウロ近代美術館(07年サンパウロ)ほか多数。木村伊兵衛写真賞のほか、97年第9回ひとつぼ展グランプリ(写真部門)、02年日本写真協会新人賞を受賞。

若い世代の圧倒的な支持を得ている。柔らかい光と色調、透明感あふれるその写真は、一方で今という時代をリアルに切り取る強さにも満ちている。その視線はどのように獲得されたものなのか。

http://biz.toppan.co.jp/gainfo/cf/20_kawauchi/p2.html

 

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http://www.webdice.jp/dice/detail/2841/

 

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http://rinkokawauchi.tumblr.com/image/102439316213

 

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https://melissacruzsantos.files.wordpress.com/2012/05/rinkokawauchi02.jpg

 

川内は、ローライフレックスを愛用しているのだが、非常に興味深いことを述べている。http://biz.toppan.co.jp/gainfo/cf/20_kawauchi/p2.html

ローライは6×6の正方形の撮影サイズが特徴です。正方形は横にも縦にも引っ張られない。生々しいものを撮っても変に生々しくならずに、抽象性が増す感じがします。

それに、対象にカメラを向けて、上からファインダーを覗くという……。

クリアに見えすぎてかえって気持ちが悪い。ローライで撮った柔らかい世界というのが、自分にとってフィットするんです。

「正方形は、…生々しいものを撮っても変に生々しくならない。」…ふーむ。おもしろい! 写真とかテレビとか映画のスクリーンとかパソコン・ディスプレイとか、みんな正方形(に近いところ)から出発して横長になってきたように思う。それなりの理由があったからだろうが、「生々しさ」という点では、マイナスだった。この観点は次の「柔らかい世界」の話に通ずるだろう。…これは、私たちの目の構造に由来するものだろうか。

「クリアに見えることは、必ずしも良いことではない。」…確かに。「日常世界」が、顕微鏡で見える世界ほどにクリアに見えることは良いことではない。「柔らかい世界」が必要だろう。

ローライは、上からファインダーを覗く。対象とレンズと目の位置関係がおもしろい。正面を見るのに、下を向く。逆の言い方をすれば、下を向いて、正面を見る。…私たちの目がローライと同じような構造をしていれば、対象は90度回転している。「視覚」の脳科学はこの問題を扱うのだろうが、私たちは、対象を「変換」して見ているということを直観させる。「そのまま」見るということがない。「そのまま」の対象というものはない。

 

もう一つおもしろいと思った話がある。

事前にこういうものを作ろうとは考えずに、その時に気になっているもの、撮りたいものを、とにかく撮る。そして、後でプリントしながら1冊にまとまるように考える。

写真は必ずしも1枚で完結しているわけではない。…なるほど。ストーリーを持たせることができる。ネットで単発で見ていてもわからない良さが、写真集にはあるわけだ。個展でも、おそらくそういうストーリーが考えられているのだろう。長編小説の良さか。