浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

事実認識と価値評価(2) 「彼女は八頭身で知性もある。ミス・キャンパスにすべきである」と主張してはいけないのか?

加藤尚武『現代倫理学入門』(13)

前回、次のような問題をたてた。

A:所得格差・資産格差が拡大している。格差是正策を打つべきである。

B:彼女は八頭身で知性もある。ミス・キャンパスにすべきである。

現代倫理学の基本的なドグマからすれば、A,Bのように主張することは誤りなのか?

これを考えるために、米沢論文に依拠し、ウェーバーの考え方をみてきた。それで、上の問いに答えられるようになったか。ある程度は答えられようが、未だ十分ではない(特に、価値判断論争の相手方であるシュモラーの考えを聞いていない)。

そこで、もう一つ、細見博志の論文「ウェーバーとシュモラー -価値判断論争の思想史的素描-」(1994) をみてみよう。

http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/2297/18845/1/AN00044116-18-81.pdf

 

医学において、生命の質をなおざりにして、ひたすら生命の維持を目標に掲げるとき、その目標に仕える学問の意味があやふやになるであろう。応用科学の意味は、ひとえにその目標の有意味性にかかっている。(P81)

20世紀初頭のドイツで、社会政策学会を舞台に、価値判断論争が繰り広げられた時、人々の意識を占めていたのは、社会政策学、国民経済学、ひいては社会科学は一体何のために、と言う問題であり、表現は異なるが、社会科学は科学たりうるのか、と言う問題であった。

私の問題意識も、法解釈学や理論経済学は「価値」に無縁な客観的な学問であるか、社会科学は科学たりうるのか、と言う点にあるのだが、こんなふうに問いをたてたら素人が答えられるはずもないので、冒頭にあげたような具体的な問いにより考えてみようというわけである。

 

今世紀初頭の価値判断論争によって、解体の危機に瀕した社会政策学と社会科学に対して、マックス・ウェーバーが要求した規範が、「価値自由」であったが、それは基本的に、存在認識と価値判断を峻別することに帰着する。峻別したうえで、応用科学である社会政策学に対しては価値判断を主張することを容認し、理論科学である社会学に対しては、価値判断を主張すること自体を禁止したのである。

価値自由は、存在認識と価値判断を峻別することではあっても、価値判断を排除することを要求するものではない。価値判断を、社会政策学からのみならず、そもそも社会科学から排除することは不可能である。社会科学の場合、「何が研究対象となり、どこまでこの研究が無限の因果連関を遡るかを決めるのは、研究者とその時代を支配する価値理念である」。社会科学から排除すべきは、科学の名で価値判断を下すことである。

理論と実践の狭間に立つ社会政策は、時には科学であり、時には政治である社会政策学が理論と実践を二つながら要求する限り、存在認識と並んで、価値判断の主張が容認され、いやむしろ必要とされたのである。ただその場合、存在認識と価値判断の峻別が不可欠の条件とされた。いま述べていることが、事実なのか価値判断なのか、理論家として述べているのか実践家として述べているのか、それを聴衆が意識し、なによりも当人が自覚していることが必要だとウェーバーは主張したのである。

ウェーバーのこの主張は至極もっともなように聞こえる。しかし私には些かの疑問がある。それは、果たして、「事実」と「価値判断」を峻別できるのか、という疑問である。「事実」を把握する、「事実」と認定する、そこに「価値判断」が入り込むことはないのか。…この疑問は保留し、先に進もう。

 

細見は、日常生活においては、私たちはしばしば事実認識から価値判断を導出しているとして、八頭身美人の例をあげている。私が冒頭にあげた例Bを、細見の論理でみてみよう。

 大前提…八頭身で知性があれば、ミス・キャンパスにふさわしい。

 小前提…彼女は、八頭身で知性がある。

 結論…従って、彼女をミス・キャンパスにすべきである。

小前提は、客観的な基準で、事実認定できる。しかし例Bには、上記のような大前提が隠されている。この推論の成否は、大前提の成否にかかる。しかしこの大前提は、価値判断である。いくら実験・観察しても判明しない、一個の価値観の表明である。これを価値前提と呼ぶことにする。この価値前提が認められれば、事実認定から結論を導き出すことが出来る。

細見は、次のように言っている。

(この大前提が)ある時代のある文化圏にあまねく妥当し、あえて言及される必要もないほど自明なものであるならば、もはや大前提の存在を人々は意識することなく、小前提から直ちに結論が導かれることになり、…形の上で、存在認識から価値判断を導く体裁をとることになるであろう。(そして)その大前提が遡及的に意識されることもなく、忘却に委ねられ、小前提から結論が導かれることが当然のようになるだろう。

 

この大前提(価値前提)に関して、細見が述べる以下の点は、非常に重要な点であると思う。

このような大前提として、かってはキリスト教の教義に由来する様々な価値理念が、その役割を果たしたことであろう。この価値理念は、超越的な真理としてあまねく信じられていたがゆえに、一々その理念に戻る必要もなく、小前提から結論が、事実認識から価値判断が、科学から当為が、演繹されるような外観を呈していたのである。

世俗化が進展した近代において、もはやキリスト教に由来する価値理念は、自明な妥当性を要求することはできなくなった。この価値理念が論証における前提として存在し、同時にこの前提自身が一個の独断に他ならない、と意識されるようになった。このような超越的な真理に代わって、近代において新たに登場したのが、自然法発展法則などの世俗的な世界観であった。これらの世界観が無意識の内に人々の思考を支配している限りで、事実から価値が導出され、科学から政策が演繹されてきた。しかし時代の変化に伴って、これらの世界観も複数の世界観の一つとして相対化され、事実から価値を導出する際に、その背後に存在する黒幕であることが露顕するようになった。

特定の宗教教義に由来する価値理念は、信じる・信じないは別として、「超越的な真理」として作用する(決して疑問を抱いてはならない)もののようにみえる。近代においては、それは「自然法」や「発展法則」(自然科学の法則?)に代わった。ここでは、自然法を「人間の自然の本性あるいは理性に基づいて、あらゆる時代を通じて普遍的に守られるべき不変の法として、実定法を超越しているものと考えられる法」(デジタル大辞泉)と、簡便に理解しておきたい。

この価値前提に関しては、「自然法」は「超越的な真理」と同じ機能を有している。そこでこれらが機能している限りで、事実から価値が導出される。しかし、「時代の変化に伴って、これらの世界観も複数の世界観の一つとして相対化され、事実から価値を導出する際に、その背後に存在する黒幕であることが露顕するようになった」と細見は言う。しかしどうだろうか。大部分の人は、そのような「価値前提」を意識せず、相変わらず、事実から価値を導出しているのではないだろうか。そのような「価値前提」を意識しているのは、(研究者のような)一部の自覚的な人びとだけではなかろうか。

事実から価値が導き出されるとき、どれだけの人が隠された「価値前提」を取り出し、それを検討するという作業をしているだろうか。誰もがその「価値前提」に疑問を持たなければ、それは「普遍的な価値公理」として省略することは有りかもしれないが、独断的な宗教教義に由来する「価値前提」であると異議を唱える者がいるならば、その「価値前提」は相対化され、検討対象となる。議論はその「価値前提」を巡るものとなる。それは主観的な価値であるがゆえに、決して相いれないものなのだろうか。

 

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桐谷美玲 http://img.masi-maro.com/imgdet_4853_128102_imgdet_org.jpg

 

「八頭身で知性があれば、ミス・キャンパスにふさわしい」は、いくら議論しても相いれない主観的な価値判断だろうか。具体的な事例についてみれば、決して議論が不可能であるとは思われない。

美人とは、明眸皓歯(めいぼうこうし)であるとか、柳腰(やなぎごし)の女性を言い、八頭身はその測定のための客観的指標の一つである*1。(明眸皓歯は「みめうるわしい」、柳腰は「スタイルがいい」とも言い換えられよう。でも、みなさんあまり使わない言葉なので、逆に使ってみたくなりますね)

知性を求めているのは、大学生の美人コンテストだからである。「知性」がなければ「大学生」とは言えない。知性があると、普通の容姿ではあっても美人に見えてくるものである。

このように書けば、「それは、ちょっと違う。オレはこう思う。」と、議論ができる。私は、こういう隠れた(隠された)価値前提を議論する(話し合う)ことが、とても重要なことであると考えている。話し合えば、さらに上位の価値前提が明らかになるだろう。それは対立する意見を、合意に導くことができる。

問題は、こういった議論(話し合い)の場がないということである。……

 

*1:日本人の平均頭身は、男性女性ともに、7.3頭身だそうである。写真の桐谷美玲は、身長:163.5cm、顔の長さ:18.5cm なので、8.8頭身であるという。http://kogaokouka.com/average-3/