気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

クオリアの特徴 黄色いドーナツと満月

ラマチャンドラン,ブレイクスリー『脳のなかの幽霊』(26)

ラマチャンドランは、クオリアとは、「痛み」「赤」「トリュフ添えのニョッキ」といった主観的性質を感じる生[なま]の感覚のことである、と言っていた。では、そのようなクオリアの特徴は、どのようなものだろうか。

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一部の不運な人たちは、生まれつき眼に重度の障害があるために一度も世界を見たことがなく、「見ること」とはどんなことなのかを知りたがっている。…現在では磁気刺激装置(変動する強力な磁気で、神経組織をある程度の精度で活性化させる)という装置で、彼らの脳の小さな部位を直接刺激することが可能である。機能していない眼の光学的仕組みを飛ばして、視覚皮質を磁気パルスでじかに刺激したらどうなるだろうか? 私が想像できる結果は二通りある。「頭の後ろの方で変な刺激を感じる」と言うだけで他には何も起こらない。あるいはこう言う。「なんと、これは大変なことだ。世間の人が何を言っていたのか、ようやくわかった。私は視覚という抽象的なことを、ついに経験しているんだ。これが光で、これが色で、これが見ることなんだ!」

磁気刺激装置とは

磁気刺激装置は低頻度刺激で神経組織を抑制することができ、高頻度で神経組織を興奮させることができます。これを使い分けることで、いろいろな脳組織の状態を作り出せることができるといえます。例えば脳卒中のリハビリのためには、健常側の脳に低頻度刺激(一秒間に2回以下の刺激を与える)を行うことで、健常側の神経活動を一時的に弱めて、その間に患側の脳を自由にさせリハビリを行い効果を上げるというように使われます。逆に、パーキンソン病筋萎縮性側索硬化症多発性硬化症では、患側に高頻度刺激を行い、弱まった神経細胞を活性化させることができます。…磁気刺激で神経活動を作れるということは、人工的に脳波を作り出すといっても言い過ぎではありません。(http://mamoruito.com/mnn/

私たちは、外界を、眼でみているのではなく、脳でみている。「眼の光学的仕組みを飛ばして、視覚皮質を磁気パルスでじかに刺激する」…これは興味深い実験だ。どうなるのだろうか? 生まれてこのかた外界をみたことのないAは、この刺激で、何を感じ、何をみるのだろうか。ラマチャンドランは、想像できる結果を二つあげているが、これはAがどの程度眼の見える人と関わってきたかによるのではないかと思われる。「変な刺激」とか「これが光で、これが色で…」とかいうのは、これまでの経験からくる言語への翻訳の違いだろう。(翻訳については、前回記事「クオリアとは何か? クオリア問題とは? 翻訳とは?」参照)。では、言語以前の感覚(クオリア)は、どのようなものであるか? Aは何かを感じている。Aの言語化以前の主観的感覚とは? 形があり色がある外界の(言語化以前の)主観的感覚とは?

 

クオリア主観的感覚)は、なぜ進化したのだろうか? なぜ脳のあるものがクオリアを持つことになったのだろう。クオリアを生み出すような特定の情報処理の様式があるのだろうか? それとも特定のタイプのニューロンがもっぱらクオリアと関連しているのだろうか?(スペインの神経科学者ラモーン・イ・カハールはこうしたニューロンを「心的ニューロン」と呼んでいる) 細胞の中で遺伝に直接関与しているのがデオキシリボ核酸(DNA)分子だけで、タンパク質などの他の部分は関わっていないのと同じように、一部の神経回路だけがクオリアに関与して、他は関わっていないということがありうるだろうか? 

フランシス・クリックとクリストフ・コッホは、クオリアは一次感覚野の下層のニューロンから生じるという独創的な提言をしている。これらのニューロンが、いわゆる高次機能が多数営まれる前頭葉に投射しているからである。彼らの説は科学界全体を刺激し、クオリアの生物学的な説明を探求している人たちに触媒として作用した。何かに注意を向けてそれを認識し始めると、広範囲の別々の脳領域の神経インパルスのパターンが「同期化」し始めるという説もある。言い換えれば、同期化そのものが認識を起こしているという考え方である。

クオリアが進化する」とは、どういう意味だろうか。「感覚→意識」の意味だろうか。

脳の機能局在論の話を聞いていれば、主観的感覚(クオリア)が一部の神経回路だけに関与しているということは、大いにあり得ることだと思う。但し、クオリアの「生物学的説明」なるものについては、眉に唾をつけて聞かなければならないだろう(本当にそれで説明になっているのか?と)。

 

意識やクオリア[主観的感覚]を理解しようとするときに、神経インパルスを起こすイオンチャンンネルや、くしゃみを起こす脳幹の反射や、膀胱をコントロールしている脊髄の反射弓を調べても、あまり意味があるとは思えない。…シリコンチップを顕微鏡でのぞいて、コンピュータプログラムの論理を理解しようとするようなものだ。だがほとんどの神経科学者は、まさにこの戦略で脳の高次機能を理解しようとしている。彼らは、問題など存在しない、あるいは個々のニューロンの活動をこつこつと調べていけば、いつの日か解決されるというのだ。

シリコンチップとコンピュータプログラムの例えは面白い。シリコンチップの作動からマシン語を得て、プログラムソースに戻す逆コンパイルを行うことが可能であるか? 可能であるとは思えないが、逆コンパイルの意図があれば、全くナンセンスな発想であるとも言い切れない気もする。

 

哲学者はこのジレンマに対して別の解決策を出し、意識やクオリア[主観的感覚]は「エピフォネーマ(感嘆的要約)*1」であるとする。この見解に従えば、意識は列車の汽笛の音や走っている馬の影のようなもので、脳がしている実際の仕事に対して、因果的な役割は何も果たしていないことになる。何といっても、意識がしているのとまったく同じ様式で、無意識のうちにすべてを行う「ゾンビ」を想定することができるのだから。

本パラグラフについては、後で考えることにしたい。

 

さて、長波長の光があなたの網膜にあたってから、さまざまな中継を経てあなたが「赤い」と言うまでの、もっとずっと複雑な連鎖のことを想像してみよう。この複雑な連鎖が意識的な認識なしで起こっているのだから、意識は全体の仕組みに無関係だということにならなだろうか? つまるところ、神は(あるいは自然選択は)、意識がなくてもあなたが言ったりしたりすることをすべて行う、意識のない生物をつくることもできたのだ。

この論理は理に適っているように聞こえるが、実は、論理的に可能な何かを想像することが出来るから、従ってそれは実際に可能であるという、間違った考えに基づいている。

あなたがすることをすべてできる無意識のゾンビを想像することが出来ても、そんなものの存在を妨げる深遠な自然の原因があるかもしれないではないか。…「何と言っても、想像することが出来るのだから」で始まる意見を使って、何らかの自然現象についての結論を導くことはできない。

ここでラマチャンドランは、「可能性」の議論から、赤の感覚が「意識的な認識なしで起こっている」から、「意識は全体の仕組みに無関係である」ことを否定している。それは分らないでもないが、私は「問い」を明確にすることが必要であると思う。「赤の感覚(クオリア)」「意識的な認識」「意識」、これらの用語の使い方が、もう一つはっきりしない。「無意識の感覚」もあり得よう。「意識は全体の仕組みに無関係」か否かは、「論理」の問題ではなく「事実」の問題ではないか。

 

ラマチャンドランは、クオリア[主観的感覚]を理解するための違うアプローチを紹介している。

次の図は、「星がきらめき、妖精の魔法の粉が舞い散る、輝く世界」の記事で紹介したものであるが、再掲しよう。

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盲点における充填知覚とは…我々がものを見るときは、眼球の奥にある網膜に投影された像を見ていることになるが、実は網膜には1か所、光を感じない領域がある。それが盲点で、左右の眼球の網膜それぞれに1か所ずつ盲点が存在する。カメラで例えれば、フィルムの1か所にいつでも穴があいている状態だ。

盲点に入った光は、感知されないので、本来はそこに黒い穴があいたように見えるはずだが、実際には脳が欠損している情報をうまく補って、見えるようにしている。この現象は充填知覚と呼ばれ、マクロな現象として以前から知られていた。http://www.uec.ac.jp/research/information/column/05.html

ラマチャンドランは、充填知覚について、次のように説明している。

あなたの視覚が正常なら、一面黄色の円板[黄色い満月]が見える。これはあなたの脳が盲点に黄色のクオリアを「書き込んだ」ことを示している。…あなたは、ドーナツの中心部が黄色であるとただ推定しているのではなく、文字通り黄色として見ているのだ。

 

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さて、これに関係する例を見てみよう。私が指を2本(×の形に)交差させて、その指を見るとする。もちろん後ろ側の指は連続しているように見えるし、私はそれが連続しているのを知っている。しかし、もし指の欠けている部分が本当に見えるかと聞かれたら、見えないと答えるだろう。誰かが指を切断して前の指の両側に置いて、私をだましているのかもしれない。自分が本当に欠けた部分を見ているという確信はない

 

黄色の満月もバッテン指も、脳が欠けている情報を補っている。では何が違うのか?

この二つのケースを比較すると、脳が欠けている情報を補っているところが似ている。では違いは何だろう。意識のある人間としてのあなたにとって、黄色のドーナツが中央部にクオリア[主観的感覚]を持ち、指の見えない部分がクオリアを持っていないことが、どう問題になるのか。違いは、あなたがドーナツの真ん中の黄色については考えを変えられないことだ。「黄色だと思うけれど、もしかしたらピンクかな。それとも青だろうか」と考えることはできない。ドーナツの真ん中は、はっきりと「黄色」を示し、「私は黄色だ」とあなたに向かって叫んでいる。別の言い方をすれば、書き込まれた黄色をあなたが取り消したり変更したりすることはできない。

しかし見えない指の場合は、「ここに指がある可能性は非常に高いが、悪意のある科学者が指を半分ずつ両側につけたということもありうる」と考えることが出来る。

換言すれば、見えない指の裏には、何かがあるかもしれないと仮定する余地があるが、盲点に書き込まれた黄色にはそれがない。従ってクオリアを伴う知覚とクオリアのない知覚との決定的な違いは、クオリア[主観的感覚]を伴う知覚は高次の中枢によって変更されず従って「改竄の恐れがない」のに対し、クオリアのない知覚は融通がきき、想像力を使ってたくさんの「それらしい」入力のなかからどれでも選べることだ。クオリアを伴う知覚がいったん生み出されると、あなたはそれに固執する。

バッテン指の例は、クオリア(主観的感覚)を伴なわない知覚であり、悪意のある科学者ならずとも、マジシャンならば、見えない指の裏にマジックを施すことが出来ると考えることが出来る。しかし。黄色の満月はクオリア(主観的感覚)を伴う知覚であり、それは高次の中枢によっては変えられない。満月としか考えられない。確固たる「観察事実」である。

 

次の図の雑然とした斑点は、何かを示しているのだろうか。(初めての人はよく考えてみてください)

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雑然とした斑点。この図を何秒(分)か眺めていると、やがてダルマシアン犬が、木の葉でまだらになった地面のにおいを嗅いでいるのが見える。いったん犬が見えると、もう消すことはできない。私[ラマチャンドラン]たちは、いったん犬が「見えた」後では、側頭葉のニューロンが永久的に変化することを示した。

これらの例は、クオリアの重要な特徴の一つを示している。クオリアは変更不能に違いない。

ラマチャンドランは、クオリアは変更不可能であることの他に、別の重要な特徴があるという。それは次回に。

*1:エピフォネーマ(epiphonema、感嘆的要約)…それまでの議論や話の内容を、強い印象を与えるように、格言や感嘆文などを使って要約する修辞の技巧。(英辞郎