浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

水俣病(11) 「ミナマタ」のいま

水俣市は、2008年(平成20年)7月、国の環境モデル都市(低炭素社会の実現に向けて温室効果ガスの大幅削減などへの取り組みを行うモデル都市)に認定された。

 環境都市・水俣市を訪ねて

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「道の駅みなまた」は、水俣市の中心街から2 kmほど南に位置し、環境と健康をテーマとしたエコパーク水俣の中にあり、家族づれで楽しめる。バラ園があり約750種類、6500本のバラが楽しめ、春バラ(4月下旬 - 5月)秋バラ(10月下旬 - 11月)が見ごろ。

道の駅みなまたのバラ園

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水俣市では、水俣病の公式確認日(昭和31年5月1日)にちなんで、毎年5月1日に「水俣病犠牲者慰霊式」を 開催している。今年(平成28年)は、熊本地震の影響で延期になっていたが、10月29日に開催されることになった。昨年の慰霊式では、水俣市長式辞、水俣病患者・遺族代表「祈りの言葉」、水俣児童・生徒代表「祈りの言葉」、環境大臣「祈りの言葉」、熊本県知事「祈りの言葉」、チッソ株式会社代表「祈りの言葉」があったが、その一部を紹介しよう。http://www.minamata195651.jp/requiem_2015.html

 

水俣市長 西田弘志

わたくしは一年前、水俣市長として初めてこの場所に立ち、水俣で産まれ、水俣で育ち、そしてこれからも水俣で生きていく一人として、このような悲しい出来事が二度と繰り返えされないよう、また、水俣病が教えてくれた人類への警鐘を、決して色あせることがないよう、国内や世界の国々に伝えてまいりますとお誓いいたしました。そして今年もまた、その誓いを胸に、今日この場所に立たせていただいております。

水俣病資料館には、訪れた方の感想などを書いてもらうノートが置かれています。その中に次のような感想がありました。…「水俣での出来事を単なる公害事件としてではなく、人が人であるためには、どうあらねばならないのか』という視点で考え続け、次の世代に伝えてほしいと願っています。」

私は、水俣を訪れたことがきっかけで、水俣病に学び、次の世代を担う我が子に対しても、人としての生き方を伝え、未来を託そうと思われた親心に感動いたしました。同時に、水俣病の歴史と、水俣病をめぐる人々の生き様が、初めて訪れた人の心を一瞬にしてつかみ、人の心を揺さぶり動かす強力なエネルギーと影響力を持っているのだと、改めて認識しました。このように世代を越えて水俣病を、水俣で起きたことを語り継いでくれる家族が、日本中に広がってほしいと心から願わずにいられませんでした。

患者・遺族代表 杉本肇

患者は、十字架を背負わされて、生きていかなければならないのです。水銀(みすがね)の十字架は、身体に張り付き、生涯これを取り除くことは出来ないのです。

母さんが去ってから7年が過ぎました。そちらでは手の痛みは消えましたか。割れるような頭の痛みは無くなりましたか。

あまりにも受け入れ難い生涯でした。苦しかったでしょう、悲しかったでしょう、「不自由な手じゃ、子どもに、にぎりめしいっちょも握ってやれん」と泣いていたあなたの姿を見ると私たちも切なかった水俣病の認定を受け、生涯治らない病と向き合い、生活をしていくなかで、あなたは「国も許す。県も許す。チッソも許す」と言った。なぜ「許す」のですか。許してよかったのですか

痛む曲がった手になっても、重く腫れ上がった足になっても。誰も恨まない。誰も恨まないから私で終わりにして欲しい。と受け入れ難きを「許す」ことで、同じ悲劇を繰り返さないという「約束」をとりたかったのですね。同じ患者として苦しんだじいちゃんの教えと、人としての尊厳を守りたかったのですね。今、あなたの想いと私達家族の想いは皆さんにしっかりと伝えました。

児童・生徒代表 水俣市立袋中学校 植田竜至

昨年の秋、水俣の中学1年生全員が、水銀に関する水俣条約1周年フォーラムに参加しました。世界では今なお水銀汚染に苦しんでいる人々が多く存在しているという事実を知り、私たちは大きな驚きと悲しみを覚えました。また、世界で新たな水銀被害をなくすために、一刻も早く水俣条約を発効する必要性を強く感じました。

世界の未来を変えるためには、想像もつかないほどのエネルギーを要すると思います。ただ、そのような現実に立ち向かうためには、私たち一人一人が日常生活から見つめ直し、環境保全の実践を積み重ね、メッセージを発信することが必要です。一人一人の言動が水俣を変え、熊本を変え、日本、そして世界を変える力に繋がると思います

私たちはこれまで水俣病学習を通して、環境を守ること、人権を守ること、命を守ることを学んできましたが、昨年度から土曜授業で「水俣科」という学習を始めました。「水俣科」では、地域の方から話を聞いたり、地域に足を運んだりしながら、より深く古里水俣のことを学習しています。

環境大臣 望月義夫

長きにわたる大変な苦しみの中でお亡くなりになられた方々、その御遺族の方々、地域に生じた軋轢に苦しまれた方々、今なお苦しみの中にある方々に対し、誠に申し訳ないという気持ちで一杯です。ここに、政府を代表して、水俣病の拡大を防げなかったことを、改めて衷心よりお詫び申し上げます。

国として、責任を持って水俣病問題に対して取り組み、関係地方公共団体と連携しながら、地域の皆様が将来にわたって、安心して暮らしていける社会を実現するために引き続き全力を挙げていくことを、ここにお誓い申し上げます

水俣病を経験した我が国だからこそ、世界のいかなる国においても水俣病のような公害を繰り返さないよう、水俣病の教訓を世界に発信するとともに、世界の水銀対策をリードしていくことが重要であります。ここ水俣の名を冠した「水銀に関する水俣条約」を早期に締結するべく、現在、国内担保に必要な法案として、「水銀による環境の汚染の防止に関する法律案」と「大気汚染防止法の一部を改正する法律案」を国会に提出しており、ご審議いただいているところです。

熊本県知事 蒲島郁夫

水俣病の被害拡大を防ぐことができなかった熊本県行政の代表者として、改めて心からお詫び申し上げます。

私の政治の原点は、常に、弱い立場にある方々の目線に立って問題解決を図っていくことでありますこのことは、水俣病の問題から学びました

一昨年4月の最高裁判決を踏まえ、現在、国の臨時水俣病認定審査会、いわゆる臨水審での審査が行われています。県としては、国の審査に協力するとともに、その結果と、今後示される不服審査会の裁決を見極めた上で、県の認定審査の実施について判断したいと考えています。このため、申請者の方々の疫学調査や検診等について、最大限の努力を続けております。

これまで何度も水俣の地を訪ねてきました。本日、改めて、水俣病発生の原点の、そして聖地とも言うべきこの地に立った今、私は、水俣病問題の、一日も早い解決への決意を思い起こし、全力で取り組む覚悟を新たにしていますこれからも、水俣病問題に真摯に向き合い、被害者の方々に寄り添って参ります

チッソ株式会社 代表取締役社長 森田美智男

当社の工場廃水に起因して水俣病を惹き起こし、多くの方々が犠牲になられましたこと、地域の皆様に多大なご迷惑をおかけしましたことは、まことに痛恨の極みであり、ここに衷心よりお詫び申し上げます。

当社は、これまで患者の皆様に対する補償責任の完遂を経営の至上命題に掲げ必死の努力を重ねてまいりました。また、お蔭様で事業会社であるJNC*1は、スタートして4年が経ちました。

これからも患者の皆様が安心して暮らしていけますよう、関係自治体が検討される必要な施策にも協力してまいる所存であります。

 

突然ですが、ここで問題です。考えてみて下さい。(解答は、最後のほうで)

  1. 水俣病患者は何人いますか
  2. 水俣病患者は増えているのですか
  3. 新規発症があるのですか

 

30年間、回り続ける女

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http://digital.asahi.com/articles/ASJ4Z5G74J4ZTIPE01P.html?rm=829

 

熊本県水俣市の田中実子さん(62)は1956年、入院先の病院が「原因不明の病気」として保健所に届け出て、公式確認のきっかけになった患者の一人だ。発症から60年。そのほとんどを居間で過ごし、これからも過ごす。両親は亡くなり、姉夫婦による介護が続く。

3月、自宅を訪ねた。普段は横になっている実子さんだが、この日は居間の座布団1枚ほどの場所にひざ立ちをして、くるくると回っていた足を小刻みに動かしながら、一点を中心に回る。数十秒で1回転。何回も何回も。口は真一文字に結んだまま、その目は視界に入る家族らの顔を捉える。そして突然、後ろ向きに倒れこんだ。そばで見守るヘルパーの女性がとっさに下に滑り込み、抱きかかえる。しばらくして起き上がり、再び回り始めた。実子さんは話せない。時折「んー」と小さな声を漏らす。

水俣病の原因物質のメチル水銀は中枢神経を壊す。実子さんがなぜ回るのか、誰もわからない。約30年前に両親を亡くしてから、この症状が出始めた。ひざは黒く、硬くなった。長いこと回り続けたからだと義兄の下田良雄さん(68)は考える。別の朝。実子さんはいつもの場所で両足で立って回っていた。そして後ろに倒れた。周囲にクッションが敷かれた。

実姉の綾子さん(72)も水俣病の症状があり、行政から医療費を受ける。良雄さんは13年、患者と認定された。姉夫婦に将来の不安は尽きない。「自分たちが先に逝ったとき、実子の面倒はどうするのか。罰かぶる(罰のあたる)話ばってんが、この子が先に逝ってくれればと」。綾子さんの口癖だ。(朝日新聞、2016年5月1日)

http://digital.asahi.com/articles/ASJ4Z5G74J4ZTIPE01P.html?rm=829

口を真一文字に結び、回り続ける女、田中実子は何のために生きているのか。何か楽しみがあるのだろうか。本当に生きていると言えるのだろうか。

NHKのEテレ「水俣病 魂の声を聴く 公式確認から60年」で、ぐるぐる回り続ける田中実子を見たとき、考えさせられてしまった。あまりにも長い年月の水俣病者たちの苦しみが、その回転に象徴されている。それはまた、私たちの生もぐるぐる回り続けるものでしかない、ということを示しているようでもあった。

 

朝日新聞社熊本学園大学水俣学研究センター(熊本市)の共同調査によると、

水俣病の患者・被害者の6割超が「水俣病問題は解決していない」と回答。多くは、救済されていない被害者や、患者への認定や損害賠償を求める人たちが今もいることを理由に挙げた。

この10年で水俣病の典型的な症状がひとつでも悪化したと答えた人は回答者の9割超に達した差別や偏見を近年も受けたとする人が2割超いた。国は「最終解決」を掲げた救済策による救済の申請を2012年に締め切ったが、問題の根深さが改めて示された。

水俣病問題の現状について尋ねたところ、「解決していない」が65・8%、「解決した」3・1%だった。医療費などを受ける被害者でも5~6割が「解決していない」と答えた。未解決の理由(複数回答)では「まだ救済されていない被害者がいる」79・6%、「患者認定を求める人や、損害賠償を求めて裁判を起こしている人がいる」62・7%、「(原因企業の)チッソや国、熊本県がきちんと責任を認めていると思えない」44・9%――と続いた。

アンケート結果について、熊本学園水俣学研究センター長の花田昌宣教授は「患者・被害者団体の会員らを対象に幅広いテーマで意識を尋ねた調査は例がない。補償や一時金を受けることを非難された経験が目立ち、子や孫など身内にも相談をしたことがない人が少なくなかった。水俣病に負のイメージを抱き、団体の会員でも水俣病を隠す人が多いことがわかる。行政は残された被害者が声を上げるのを待つのでなく、広く医療費などを給付する必要がある」と話している。(朝日新聞、2016年5月1日)

http://www.asahi.com/articles/ASJ4W41QJJ4WTIPE019.html

 

先ほどの質問の答え。

  1. 分らない。
  2. 増えている
  3. 潜在患者たちが現れて来ている

http://www3.kumagaku.ac.jp/minamata/wp-content/uploads/2015/09/f16dc3f7f41e1f479fdd0266dfdeafbc.pdf

 

(A) 回り続ける女(田中実子)も、救済されない被害者も、裁判も、

(B) 最初の「環境都市・水俣」も「道の駅みなまたのバラ園」も、

いずれも「ミナマタ」のいまです。(A),(B)の相互参照が必要ではないでしょうか。

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https://www.youtube.com/watch?v=okRCkwvqm_Y&nohtml5=False

*1:JNCについて…チッソは、事業部門をJNCに移管し、水俣病の補償業務のみを行うようになった(配当金原資)。水俣病被害者団体は、チッソが(JNC株式を売却し)事業清算し、水俣病の幕引きを図ることを警戒している。