浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

批判的思考 何故そのように主張するのか?

伊勢田哲治『哲学思考トレーニング』(1)

本書は、クリティカルシンキング(批判的思考)の本である。「批判」とは、「ある意見を鵜呑みにせずによく吟味すること」である。私は、読み書きする時に、この意味で批判的でありたいと思っているが、これまで「批判的思考」について、まともに考えたことがなかったので、本書を読んでいくことにしたい。本書は一般人向けの入門書であるが、伊勢田は、大学運営の担当者や同業者である分析哲学者にも読んでほしいと言っている

なおこのブログでは、「クリティカルシンキング」という表記を、「CT」と略記して引用する。(「CT検査」にひっかけて使っています)

 

伊勢田は、批判的思考(CT)に2通りのアプローチがあるという。

修復型CT…人間の思考はどういう間違いを犯しやすいかを学び、その間違いを避ける方法を考える。「壊れたところを修理する」方式。

改築型CT…どういうルールにしたがって思考すると正しい結論につながるか、という基礎の部分から考えていく。「土台から建て直す」方式。

日本で紹介されているCTの多くは、心理学などをベースとした「修理型」のCTである。これに対し、哲学における古典的な問題設定は圧倒的に「改築型」の考え方だった。我々の信じていることや考えていることが筋が通っているかどうか根本から疑うのなら、改築型でいくのが筋だろう。しかし、いざ知識の体系を改築しようと工事を始めてみると、これが非常な難事業であることが分ってきた。かといって、対症療法的に個々の間違いだけを取り上げても全体の見通しは得られないし、深刻な問題を見逃してしまう可能性が十分にある。そこで、改築型のイメージをベースにしつつ、修理と部分的改築をうまく組み合わせながら、できる限り筋の通った思考法を組み立てていこう、というのが本書の目論見である。これが「哲学的CT」である。

 

「疑う」ことは重要である。しかし、「世界は本当に存在するのだろうか」とか、「善や悪は本当に存在するのだろうか」といった疑いは、不毛ではないのか。

本書は、様々な文脈で出てくる懐疑主義というものに対して、どういう条件のときには懐疑主義が適切で、どういうときには不適切か、ということについての哲学的・統一的な説明を与えることを目論む。「ほどよい懐疑主義」は、この問題に対する私なりの答えである。

これは面白そうだ。不毛なCTに陥らないためにはどうしたらよいのだろうか。

 

コミュニケーションというのは、情報の送り手と受け手の共同作業である。送り手の側が「私は好き放題に喋るから、信頼できる情報とそうでない情報を吟味してより分けるのはそっちで勝手にやってね」と受け手の側に丸投げしてしまうと、受け手の側の負担が増えるばかりである。情報の送り手もまたいつも送り手なわけではなく、他の情報については受け手になるわけだから、受け手にばかり選別の負担がかかる仕組みは結局、誰にとってもあまり望ましくない。

そこで本書では、CTというものを、情報の送り手と受け手両方の共同作業の中で、社会において共有される情報の質を少しでも高めていくためのものの考え方、として捉える。実際、きちんとした議論に基づいて、きちんとした主張をするためにも、他人の主張を吟味するのと同じ技術や知識が役に立つはずであるから、コミュニケーションの両側に関わるものとして、CTを統一的に扱うのは、けっこう筋が通っているのではないかと思う。

CTは、情報の受け手だけに要求されるものではなく、送り手にも要求される。それは共有情報の質を高める。

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第1章は、「上手に疑うための第一歩」である。

ここで言う「疑い」は、正しいとも間違っているとも判断しない判断保留の状態である。この状態をまず確保しないと、CTを始めることはできない。…疑う習慣を持つことは、CTのどんな技術論よりも大事だ。

 

以下は、特別に難しい話でもないので、簡単にポイントだけを抜き出しておこう。

議論とは何か

CTの主な対象は「議論」である。議論は、次の3つの要素から構成される。

  1. 主な主張(結論
  2. 理由となる主張(前提
  3. 前提と結論のつながり(推論

 

CTは、次の3つを行う。

  1. 議論の明確化
  2. 前提の検討
  3. 推論の検討

前提と推論を検討して共に妥当だと判定されたなら、結論も妥当だと一応認めてよい。

 

先ほど、CTに2通りのアプローチがあるという話だったが、

修理型…我々が日常行う議論はおおむねうまくいっているという想定から出発して、つい間違えて信じてしまいやすい前提や、つい間違えてやってしまいやすい推論を見つけ、そこを直していく。

改築型安心して受け入れてよい前提や、やっても大丈夫ということが分っている推論を見つけ、それを出発点にしてどういう主張が妥当かを考えるというやり方で、だんだん妥当な主張の領域を広げていく。

ここまでの話のまとめ

CTの出発点は、議論を特定する(相手の主張について、どういう前提から、どういう結論が導き出されているかをはっきりさせる)ことである。

「議論を特定する」と言っているが、さきほどの「議論の明確化」と同じ意味だろう。

 

議論の特定の手法

議論の構造を押さえるためには、まず結論を探すのが近道である。

次に、その結論を出す理由(前提)として何が挙げられているかを見る。

以上の2つと並行してもう一つ進めなくてはいけないのが、理由や結論として述べられている主張の内容を正確にとらえることである。これが大事なのは、字面の上ではほとんど同じ結論に見えても、微妙な差で全く違う結論になることがあるからである。結論が違えば、その結論を導き出すために要求される前提(理由・根拠)も全く変わってくるし、その議論に対する評価も全く違うものになる。

ここで問題とするのは、日本語で言えば文末の言い回しの差、英語で言えば助動詞や副詞の差、哲学用語で言えば「量化」や「様相」にあたる違いについてである。

ここで伊勢田は、文末の言い回しの差と求められる根拠について、きれいに表としてまとめている。これを漫然と眺めていても身につかない(すぐに忘れてしまう)。そこで、私はこれを問題形式にした。そして1週間後に、この問題を解くことにした。

このブログを読んでいる方もチャレンジしてみてください。(伊勢田の回答は次回に書きます)

問題は、ある主張をしていて、文末に次のような表現があった場合、どのような理由・根拠が必要か、というものです。(皆目、見当がつかないという方には、この記事の末尾にヒントを書いておきます)

  1. ~すべきである
  2. ~は不可能である
  3. ~でないはずがない
  4. ~なものは一つもない
  5. ~であることは稀である
  6. ~であることも十分ありうる
  7. ~でないこともある
  8. ~でないかもしれない
  9. ~してもよい
  10. ~かもしれない
  11. ~であることも多い
  12. ~でないことも十分ありうる
  13. ~すべきではない
  14. ~しなくてもよい
  15. ~は必然的である
  16. すべて~である
  17. ~であるはずがない
  18. ~であることもある

 

推論の流れの明確化

どういう結論に対してどういう理由が挙げられているかが分かったら、次にすることは推論の流れをはっきりさせることである。前提は並列的にいくつも列挙されることもあるし、直列的にお互いがお互いの前提や結論になっている場合もある。

構造を特定する上では接続詞が重要な役割を果たす。根拠と結論の間は、「なぜなら」「というのも」や「したがって」という表現でつながれる。理由がいくつも並列されている場合、「第一に」「第二に」「さらに」「また」「そして」「かつ」などという接続詞が使われることが多い。

使われる接続詞の種類と議論の構造が、次のようにまとめられている。

  1. なぜなら/というのも/したがって … 根拠と結論を結ぶ。
  2. 第一に/第二に/また … 単純並列型の並列
  3. そして/かつ … 組合せ型の並列(単純並列型にも使われる)
  4. 確かに~しかし~ … 不利な根拠の打ち消し

「組合せ型」というのは、前提が有機的に組み合わさって結論を導きだすのに対し、「単純並列型」は前提が別個に(独立に)結論とつながっている。

4番目の「確かに~しかし~」の議論の構造はおもしろい、というか注意を要する。「いったん不利な証拠を挙げておいて、それを別の主張で打ち消す」のであるが、これは、

議論の構造としては、不利な証拠を打ち消す議論の全体が、最終的な結論をサポートするための根拠として機能している。この場合、文法構造としては「確かに~である。しかし~、したがって~」といった譲歩構文が用いられる。

譲歩構文と名付けられているように、これは相手の主張を受け入れるという形をとる。このとき本当に相手の主張を受け入れているのか(譲歩しているのか)、形だけなのか見極めなければならない。「したがって~」の部分で、「確かに~である」の部分を否定し、実は受け入れていない(譲歩していない)ことがあるからである。

 

(ヒント)

具体例で考えてみる。「日本人は、中国の政策に反対する」という主張を、1~18の形に書き直して、そのような主張をするためには、何を述べなければならないかと考えてみる。(それが述べられていなければ、根拠なき「決めつけ」であって、説得力がない。)