浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

本当の答えをみつけよう (ワトソン)

吉成真由美『知の逆転』(12)

今回は、ジェームズ・ワトソン(James Watson、1928-)に対するインタビュー。1962年、クリック、ウィルキンスと共に、DNA二重らせん構造の発見で、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。インタビューは、2011年。

 

𠮷成…「サイエンスは非常に社交的なものだ。だから常に己の敵の近くに居るように」とおっしゃっておられますね。

J.W…自分のアイデアというものを他の人と議論して批判してもらうことが大切です。そういう一見無駄に見える時間が重要になる。サイエンスは少し退屈しているくらいのときのほうがうまく行くという人もいるくらい。それは自由時間があるということだから。午後何をしていいかわからなかったら、本でも読んでみるかということになって、新しいことを学べる。いまの若い人たちは、守備範囲が狭いと感じます。少し違った分野だと、もう講演を聴きに行くこともしない。「来年自分がやろうとしていることに、役に立つだろうか」というような、近視眼的な考えなんですね。「博士号を取ってから、いったい何をしたらいいか」という先のことまで考えない。自分の領域の外に出ていって時間を使って学ぶということをしていない。博士課程が、テクニシャンを産出するものになってしまっているということも、一つの要因でしょう。

サイエンティストならずとも、「イデアを議論・批判してもらう」ということは重要である。自分の専門分野にしか関心を示さない(つまり、「一般常識」や「教養」がない)テクニシャンにはなりたくないもの。

 

𠮷成…ではどうやって、激しい競争をすることと社交性を保ってイデアを交換し合うことを両立させていったらいいのでしょう。

J.W…そういうことができるのは生まれつきかもしれない。…果たして訓練することで、重要な仕事をしたいと思うように仕向けられるのかどうかわかりません。自分を満足させるには、他人のアイデアではなく、自分のアイデアを実行しなければならない。ほとんどの人は革新的でもなければ、リーダーでもありません。

𠮷成は非常に重要なことを問いかけているが、ワトソンはまともに答えていないように思われる。

 

𠮷成…多くの人は、真実を見つけることよりも、政治的に正しいかどうか、世相にあっているかどうかのほうを優先しがちです。あなたは、「いったん公の場に出てしまうと、ありとあらゆる批判にさらされる。でも自分にとって大事なのは素晴らしいサイエンスをすることだけだから、他に何を言われても気にならない」と言っておられましたね。

J.W…そうです。でも、人々が許容の範囲と考える一線を越えてしまったために、ひどい目にもあいました。公の場で言っていいことと、私的な場で言っていいことには、違いがあるということでしょう。残念なのは、私的な会話まで、スターリン統治下のソ連の如く、政治的に正しいことを言うよう圧力がかかるようになってきているということです。個人個人の違いというものを認めない風潮にも原因がある。我々はみな似ていると言う。多文化主義というのは危険だと。しかしそれでは、結局何も残らなくなってしまう。そういう危険をはらんでいるのです。

21世紀のアメリカにおいて、「私的な会話まで、スターリン統治下のソ連の如く、政治的に正しいことを言うよう圧力がかかるようになってきている」というような発言がでる。これはワトソンの偏見だろうか。

多文化主義というのは、

マルチ・カルチュラリズムともいう。さまざまな人種,民族,階層がそれぞれの独自性を保ちながら,他者のそれも積極的に容認し共存していこうという考え方,立場。「人種のるつぼ」的な同化主義に対抗する考え方で,カナダでは 1971年に政策の基本方針と定められ,88年には世界初の多文化主義法が制定された。(ブリタニカ国際大百科事典)

多文化主義については、いずれ取り上げたい。

 

𠮷成…違いを大事にする代わりに、すべてを平均化しようとするわけですか。

J.W…そうです。例えば、私は中国料理は不味いと思うわけですが、そう言ってはいけないことになっている。イスラエルの料理も不味いと思うんですが、そういうことを言うと、反ユダヤだと言われる。そうなってくると、ほとんどユーモアが入る余地もなくなって、全てが大真面目になってしまいます。私はマクドナルドが好きなんですが(笑)。

サイエンスのセミナーでも、最近は聴衆が立ち上がって、「これはひどい仕事だ!」などと言わないようになってきた。誰かの気を悪くさせるから、と。MITは素晴らしくいい大学だから、そこの助教授たちはおしなべて優秀なので、みな昇進に値すると言うべきだと。それは真実じゃない。社会が丁寧になりすぎていると思います。

料理の好き嫌いや、手抜きしていないかとか、どうすればおいしくなるかなどの話はしてよいだろう。

 

𠮷成…感情というのはどれくらい重要なのでしょうか。また、日々の情報の波に飲み込まれて、私たちは感情を失いつつあるのでしょうか。

J.W…おお、感情は常に理性より重要です! ヒュームも「われわれは論理ではなく情熱に支配されている」と書いています。私の情熱は「真実を探る」ことにあります。理性では「真実を明らかにしたら大変なことになる。自分の住んでる市政府が腐敗していることを知らない方がいい」と知っていても……。

確かに真実というのはときとして不都合なものです。でも、良い社会というのは正直な社会であって、ロシアやそれに似たような社会は実に怖い。何としてでも、卓越した若い人材がのびのびと活躍できるようにしておかなければならない。

われわれの分野では、15歳ではまだ才能を見いだせないが、おそらく19歳くらいまでには、誰が世界を変えようという気概をもっているか、誰は全く変えなくてもハッピーなのかが大体わかるようになると思います。

「真実をあきらかにしたらたいへんなことになる」と心得ていて、「真実を探る」ことに情熱を傾けることができたら、それは素晴らしい。但し、その真実を明らかにすることが、あるいはその真実を明らかにしないことが、どのような社会的影響を及ぼすかを考慮する必要がある。ワトソン言うところの「正直な社会」というのは、端的な言葉ながら、「世界を変えようという気概」をもってしなければ実現しないもののようにみえる。

 

𠮷成…以前、「科学者になってからも含めて、私がやってきたことは全て、きれいな女性に会いたいという一心からです」と言っておられました。ダーウィンは、異性をめぐる競争を通して一種の淘汰が起こると説明したわけですが、あなたのこの言葉は、ダーウィンの性的選択理論を端的に表現したものだと思います。ダーウィンはどのような影響をあなたに与えたのでしょうか。

J.W…パートナーがいるということは人生を明るくします(笑)。ダーウィンが与えた最大の影響は、「ダーウィンが入って、神が出ていった」ということです。実にシンプルです。神が必要なくなった。60年前人々は、物理・化学の法則で「生命」を説明できないものかと腐心した。で、DNAやそれにまつわるいろいろな事柄で、生命というものが説明できることになった。…それで、一挙に神が不必要になった。ただ宇宙がいかにして始まり、いかにして終わるのかについては分りません。私は現実的な人間ですし、私にあまり関係がないことなので、それについて考えようとは思いません。

 

「DNAやそれにまつわるいろいろな事柄で、生命というものが説明できることになった」のであるから、「神」を盲目的に信じる者は、「自然科学」の研究成果を無視するという心理的欠陥(あるいは無教養)があるのではないかと思われる。もっとも、「DNAやそれにまつわるいろいろな事柄で、生命というものが説明できることになった」とは言えないという反論も予想されるので、そこは対話の必要があろう。対話を拒否しては、ものごとは良くならない。

 

𠮷成…ご著書『遺伝子の分子生物学』と『細胞の分子生物学』は、世界中の生物学の教科書を革命的に変えてしまいました。現在は、紙の本の代わりにさまざまな新しいメディアが登場していますが、そのことによって、サイエンスの教育は変わっていくのでしょうか。教育にとって最も重要な要素は何でしょうか。

J.W…iPADを持ち歩けば、全ての本がそれで読めて、図書館に行くよりもはるかに便利だという人たちもいます。でも、誰かが情報を本の形にして提供する必要がある。となると、その作業をする人が、何を学ぶべきかを決めて提示してくることになる。教師がその作業をすることもできますが、とにかく情報がありすぎるから誰かが編集する必要がある。

いま大学では、情報を使ってどのように考えるかということを主に学ぶ。だから試験では、情報が与えられていて、「これらはいったい何を意味しているのか」という情報処理能力が問われるわけです。

私がシカゴ大学の教育から得た最も大事なことは、事実に基づいてものを考える能力です。試験になると、それまでやってきたコースの勉強とは一見かけ離れたような問題が出される。例えば、「次の段落を読んで、それがいったい何を言っているのか記述せよ」とか。

他方、ほとんどの人は単に物事を「受け入れ」てしまう。「これが小学校で教える事柄である」と言ってそれでおしまい。常に、「これが最良の方法なのだろうか」と問いかける必要がある。考えることが重要なのですこの能力は記憶を主体とする教育からは生まれない

「高学歴芸能人クイズ番組」に関しては、いろんな見方があるが、「高学歴芸能人」は「ピエロ」*1であるという人がいた。彼によると、「高学歴の権力者」(特に国家官僚)に対して反論・抵抗できない大衆の怨恨が、ピエロ(記憶力芸人)に対する軽蔑で、カタルシスを得ているという。東大・京大をバカにして、同時に畏怖している。学歴社会である。

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多くの人は、非常に忙しく立ち働いているけれども、深く考えずに、単にそれができるからそうしているだけのことなんですね。脳科学の分野でも全く将来性のない部分がある。でも多くの人がそれをやっている。それで忙しくしていられるから。どうやって本当に難しいことをやっていいか分らないから。本当の答えをみつけようとするのではなく、単にできるからという理由でやっているんです。昔からこのようなことはありましたね。「忙しくしていたい」というのはいまに始まったことじゃない。

本当の答えを見つけようとするのではなく、本当に難しいことはどうやっていいか分らず、ただ単にそれが出来るから、それを「忙しいふりをして」やる。そしてそのことに無自覚になり、本当に「忙しい」と思うようになる。誰しも思い当たることがあるのではなかろうか。

 

大学院2年生の終わり、21歳のとき、カリフォルニア工科大学でひと夏過ごしていた頃、DNAに研究の焦点を当てようと決めたんです。誰かが私にアドバイスしたわけじゃない。読書の結果です。もし誰かが私にDNAについて研究するようアドバイスしたのであったら、既にそのことは一般の知るところとなっているわけで、多くの人がDNAの構造解析に取り組んでいたことでしょう。でもそうではなかった。成功したのは、よく考え、よく読み、よく知っていたからだと思います。ビジネスでも同じことが言えるでしょう。他の人が知らないことを知っていて、それがいいとわかっているので、利益につながる。私の大学院でのモットーは、「知識と判断をもって勝つ」ということでした。「生まれ」や「影響力」や「美貌」ではなく、「知識と判断」をもって勝つということでした。

「生まれ」や「影響力」や「美貌」を総称して、「権威」と呼ぶことができよう。とりわけ、地位・学歴(影響力)を誇示して発言する者には、慎重に対処する必要があろう。権威に盲従する者は、衆愚と称される。…権威主義については、いずれ取り上げたい。

*1:ピエロ…サーカスなどの狂言回しをつとめる道化役者。紅を入れた白塗りの顔、長袖の寛衣、こっけいな動作などを特徴とする。人前で、こっけいな振る舞いをする人。笑いものになるだけの人。(デジタル大辞泉