浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

悲劇のロザリンド嬢? データ盗用の「二重らせん」論文?

吉成真由美『知の逆転』(13)

ワトソンの著作『二重らせん』の内容紹介

生命の鍵をにぎるDNAモデルはどのように発見されたのか?  遺伝の基本的物質であるDNAの構造の解明は今世紀の科学界における最大のできごとであった。この業績によってのちにノーベル賞を受賞したワトソン博士が、DNAの構造解明に成功するまでの過程をリアルに語った感動のドキュメント。(Amazon

𠮷成は問う。

𠮷成…この本の中には、当時ロンドンのキングス・カレッジにいたX線結晶学の研究者、ロザリンド・フランクリンが撮影したDNA構造のX線結晶構造解析写真51番写真として有名)を、彼女の上司だったモーリス・ウィルキンスがあなたに見せ、その写真が最終的には大きなヒントとなって、DNA構造解明につながったという記述があります。この本は彼女の研究成果に光を当てることになったわけですが、一方で、彼女の貢献に対する十分なクレジットが与えられていないという批判もありました。フランクリンは、いったい何をしていれば、彼女自身がDNA構造を解明できる可能性が高くなったのでしょう。

「クレジットが与えられていない」とは、「彼女の功績が十分に認められていない」という意味だろう。これはどういうことか。

ロザリンド・フランクリンについて、Wikipediaに、次のような記述がある。

フランクリンは、ワトソンが1968年に記した『二重らせん』で「気難しく、ヒステリックなダークレディ」と書かれるなど否定的な評価をされたため、フランクリンの友人で作家であるアン·セイヤーが抗議し、1975年にフランクリンの伝記『ロザリンド・フランクリンとDNA―ぬすまれた栄光』を記した。この本ではフランクリンこそノーベル賞をもらうはずであり、ワトソンやウィルキンスらを窃盗者であると非難している。そのため、友人かつ女性としての視点からフランクリンを過剰に擁護しワトソンらを不当に貶めた「単なるフェミニズムの本」とされ、ベストセラーとなった『二重らせん』で広まった彼女のイメージを変えるには至らなかった。1970年代以降はフランクリンの名前は単なるフェミニズムのイコンとして扱われる結果となった。

2000年代に入ってウィルキンスの自伝『二重らせん第三の男』が出版され、関係者の記録が出そろったこと、また第三者視点からの伝記『ダークレディと呼ばれて』[ブレンダ・マドックス著、2002年]が出版され、ノーベル賞を巡る研究者たちの生々しい確執が明らかになるとともに、ようやく研究者としての彼女の業績が再評価されるようになった。2008年には、コロンビア大学からホロウィッツ賞が遺贈された。

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『ダークレディと呼ばれて』は、福岡伸一*1が、監訳者となっている。(恐らくこの著作に依拠して)福岡はこう述べている。以下、https://www.chart.co.jp/subject/rika/scnet/31/sc31-3.pdf による。

ワトソンとクリックが生命の神秘に到達したのは彼らだけの力によるものではなかった。…この本『二重らせん』は、フェアではなかったのだ。ワトソンは自分だけを「無邪気な天才」という安全地帯において,他の登場人物を戯画化していた。これには複数の関係者が異議を唱えた。クリックでさえも不快感を表明した。しかし,この中にただ一人全く反論の余地を与えられぬ人物がいた。彼らの華々しい成功─それは1962 年のノーベル賞という形で最高潮を迎えた─のために欠くことのできない役割を演じた人物,それなのに,『二重らせん』では,気難しく,ヒステリックで,自分のデータの重要性にも気がつかないような視野狭窄な,暗い女性研究者(ダークレディー)“ロージー”として描かれていた人物。それがロザリンド・フランクリンである。彼女は自分があまりに不当に描かれていることはおろか,研究上の確執があったモーリス・ウイルキンスが,ワトソン,クリックとともに,1962 年のノーベル賞に輝いたことも知ることなく,1958 年,その短い人生[37歳]を閉じていた。

ワトソンは窃盗者だったのか?

ウイルキンスがフランクリンの許可を得ずに,B 型DNA の解析データ写真をワトソンに見せたのは事実である。ウイルキンスはその写真がワトソンに決定的な情報を与えるとは思っていなかったと自著で述べている。たしかにこの時点ではワトソンはこの写真を見て,そこから意味ある解釈を導くことはできなかったようだそれができたのは,X 線解析データに関して十分な知識をもっていたクリックだった。…ワトソン・クリックの論文において非常に重要な点は,彼らがその時点できわめて正確に,2 本のDNA 鎖が互いに逆方向に走行していることを示したことにある。このことが本論文の先見性に大いなる重みをつけ,以降の重要な展開,つまりDNA複製のメカニズムや岡崎フラグメントの発見をもたらしたのだ。この“互いに逆方向”という知見こそ,フランクリンのデータからクリックが導き出したものである。では,クリックはその写真をどこで見たのか? フランクリンは1952 年,自分の研究データを年次報告書として研究資金の提供先,英国医学研究機構に提出した。この機関の上層部にあったペルーツがクリックの指導教官であり,彼がクリックにこの資料を手渡したのだ。このような形で,未発表データをのぞき見て自分の研究に資することはやはりルール違反といわざるをえない。

ウイルキンスが、ワトソンにX線結晶構造解析写真を見せた。しかしワトソンは、意味ある解釈を導くことはできなかった。ペルーツが、クリックに研究資料を見せた。いずれも、フランクリンに「無断で」「未発表データ」を見たということが問題だということだろうか。…フランクリンのデータが重要なデータであったことには、誰も異論はないようだ。しかし、ワトソン、クリックがそれを見たことが、(当時のルールで)「ルール違反」だったのかどうかは分からない。

ワトソンは、フランクリンをどう評価していたのだろうか。次のような記事がある。

ワトソンは、別の大学の女性物理化学者ロザリンド・フランクリンが撮影したDNA結晶のX線写真を、断りもなく自分たちの研究成果に取り込んでしまったのだ。『ネイチャー』に発表した論文でも、ロザリンドに対しては、「未発表の実験結果の全体像や考察を教えていただいたことで、非常に啓発された」と書くにとどまった。http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20061031/112822/?P=1

驚かされるのは、ワトソンらによって二重らせん構造の解明が発表されたあとも、ロザリンドとワトソンは、比較的良好な仲を保っているということだ。双方が取り組んでいたタバコモザイクウイルス(TMV)の研究をめぐって意見交換をしているし、また、ロザリンドの研究資金を確保すべく、ワトソンはロザリンドに対して取り計らいの協力をしてもいる。研究成果を無断拝借させられたことを知らないロザリンドにとっては、ワトソンは意見を交換しあう研究者の一人に過ぎなかったのかもしれない。だが、ロザリンドとワトソンがこれだけの交流を続けていたとなると、本当にロザリンドはワトソンが自分の研究成果を勝手に盗んだことを知らなかったのだろうかと、つい思ってしまう。http://sci-tech.jugem.jp/?eid=331

『ネイチャー』論文で、「未発表の実験結果の全体像や考察を教えていただいたことで、非常に啓発された」と書いたということであれば、それは「~と書くにとどまった」のではなく、ロザリンドの研究に対する低評価にもかかわらず、公式に最大限の謝辞を表明したと取れるのではないだろうか(そういう可能性もあるのではないかという話)。

 

福岡は、研究者には2つのタイプがあるという。

研究者には,大きく分けて2 つのパターンがある。それは演繹的なアプローチをとるものと,帰納的なアプローチをとるものである。演繹的なアプローチとは,一種の直感,あるいは特殊な思考のジャンプによって,きっとこうなっているはずだ,と考えて正解に近づこうとする態度である。多くの場合,天才型,ひらめき型,あるいはセレンディピティなどとよばれるタイプだ。このタイプは結論への飛躍を急ぐあまり,自説に不利なデータを無視する傾向にある。しかし一方で飛躍は成功し,後になって矛盾を説明できたりもする。他方,帰納的なアプローチとは,個々のデータや観察事実だけを積み上げて自然の構造にせまろうとする姿勢で,できるだけ飛躍や予断を避け,あるいは図式的な結論を念頭におかないようにする。論理のつながりを大切にし,矛盾や相反を見ないようにすることは許さない。

帰納的なアプローチが望ましいような書きっぷりである。

ワトソンとクリックは典型的な演繹的アプローチをもってDNA 構造の解明にあたった。…対して,フランクリンは禁欲的なまでに図式的な演繹を遠ざけ,帰納的アプローチを徹底して貫いた。モデル工作など全く眼中になかった。なぜなら,正確なX 線解析データさえ得られれば,そこからおのずと正解は立ち上がってくるはずだから。生物だからこうなっているはずとは決して考えなかった。…フランクリンの帰納法は,彼女自身は気がつかなかったが,聖杯のすぐそばにまでせまっていたのだ。…彼女はどこまでも帰納的アプローチを貫いたのだ。ただ時間だけが足りなかった。DNA の二重らせんは“ワトソン・クリック・フランクリン構造”とよぶべきなのである。

「正確な…データさえ得られれば,そこからおのずと正解は立ち上がってくる」などと言えるのだろうか。私は、「聖杯」は、すぐ傍に迫っていたのかもしれないが、帰納法ではそれに気づくことが出来ないのではないかと思う。時間があれば、聖杯を入手できただろうとどうして言えるのだろうか。(また、演繹と帰納に区分することが有益であるのかどうか?)

 

𠮷成の質問にワトソンはどう答えたか。

𠮷成…フランクリンは、いったい何をしていれば、彼女自身がDNA構造を解明できる可能性が高くなったのでしょう。

J.W…残念ながら違うDNAを持って生まれてくる必要があったでしょう。彼女には社交性というものがなく、どうやって他の人とつきあっていいのか分からなかった。おまけに明らかに被害妄想の気もあって、他の人が彼女から盗もうとするのではないかと恐れていた。だから、誰も信用しなかった。彼女の態度のせいで、他の人は彼女を助けたいと思わなくなった。もしいい性格だったら、それだけで既に助けになる。ブスッとした不機嫌な人だったら、誰も助けたいと思わないでしょう。

これはちょっと言い過ぎではないかと思わせるワトソンの答えである。しかし、ワトソンは彼女の能力を見抜いていたのかもしれない。

𠮷成…しかし、非常に微妙な線ですよね。競争には勝ちたい。だからフランクリンの競争心をあらわにした態度や自己防衛的な態度というものも、ある程度わかる気もするのですが。

J.W…彼女は自分が最も他人の助けを必要としていた時に、他人を寄せ付けなかった。彼女は他の人の助けなしには絶対にDNA構造解明に成功しない。だから実際成功しなかった。それだけのことです。成功とはある意味、「情熱」にかかっている。何がその人を突き動かす動機となっているのか。ロザリンドの場合、「成功すること」そのものが目的だったわれわれは「答えを知ること」が目的だった。われわれは答えを知りたい一心で仕事をしていた。彼女は生物学のトレーニングを受けていなかったので、その知識が全く欠けていたから、もうほとんど諦めかけていたんです。

𠮷成…ロザリンド・フランクリンはX線結晶構造解析写真を8か月あまり自分で所有していましたが、その意味を理解することが出来なかったのに対し、あなたとクリックは、写真を見るなりすぐにその意味を解釈することができた。彼女はDNAモデルを作ることにも興味がなかったのでしょうか。

J.W…全くない。ハッキリ言って、彼女はノーベル賞に値しない。ノーベル賞は敗者には与えられない。誰も彼女から賞を奪ってなどいない。彼女には何カ月も自分で問題を解く時間があったのに、どうやって解釈していいかわからなかった。どうやって勝つか、つまりどうやって目的を達するかということを知らなかった

いかにも、あけすけな言い方である。これが事実であるかどうかはわからない。だが、その反感を買うような物言いを、穏当な言い方にすれば、「基礎知識を身につけ、得られた知識を共有し、真実を追究すること」とでもなろうか。

 

ロザリンド・フランクリンの半生を描いた舞台劇「Photograph 51」が映画化されるという。http://cue.ms/news/photograph-51-movie/

それが「他者に名誉を奪われてしまった女性研究者の悲劇」というような古くさい視点からではなく、「演繹的な思考を旨とする人間と帰納的な思考を旨とする人間」を対比的に描くというようなものであれば、興味深いものとなるかもしれない。

 

武田邦彦の話を聞いてみよう。武田の名前を聞いただけで「トンデモ学者」だと決めつけないで、一学者がこんな発言をしていると思って聞いてみよう。主張におかしな点があれば、それを批判すればよい。

www.youtube.com

 

武田の「着想」と「測定」について、そして「データ」の取り扱いについての話は興味深い。…「測定データ」は誰のものなのか。「科学」はどうあるべきなのか。

問題となった「DNA構造のX線結晶構造解析写真」は、研究開発成果物に含まれるべきものか。そうだとしたら、職務上得られた研究開発成果物はどこに帰属するのか。秘密保持はどうなっていたのか。法律や当該研究機関のルールはどうなっていたのか。それらは妥当なルールだったのか。…これらの検討無しに、「盗用」だとか、「無断で」「未発表データ」を使ったからダメとか、そういう感情的な反発をしてもはじまらないだろう。

武田の発言を「盗んでも良い」と言っていると表面的な理解をして非難するのではなく、「知的財産を共有しよう」というメッセージとして受け取るべきではなかろうか。(排他的な権利として、つまりカネのための知的財産を、科学者は望んでいるのだろうか

 

ワトソンは、著作のタイトルを『二重らせん』とは別のものを考えていた、という。

J.W…『正直ジム』という題を思いついた。『正直ジム』という題は、「はたしてジムは正直か」という問いかけを喚起する。「正直ジム」というのは中古車のディーラーを呼ぶときに使うような言葉なわけです(笑い)。だからとても良い題だった。それまでにも二冊有名な本があって、英国の作家キングズリー・エイミスによる『ラッキー・ジム』と、ジョセフ・コンラッドによる素晴らしい話『ロード・ジム』です。『ラッキー・ジム』はラッキーではなかったし、『ロード・ジム』もロード(君主)ではなかった。ですから、本当に良い題でした。しかし結局、出版社が躊躇したわけです。アメリカ人は十分に洗練されていないので、「私は果たして正直だったか」という問題提起をしているとは受け取らずに、題を文字通りにとって、自分は全く正直なんだと言っていると受け取るということで、その題は使われませんでした。

ジムは、ジェームズの略称である。

日本人はアメリカ人以上に洗練されていないかもしれない。

私は、ふと小保方晴子の第2作目は、「正直ハルコ」が良いかなと思った。

 

今回で、吉成真由美『知の逆転』の読書ノートを終わります。

*1:分子生物学者、著書『生物と無生物のあいだ』で有名。