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気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

青の時代(ピカソ)、キュビスム、未来派

アート 読書ノート

末永照和(監修)『20世紀の美術』(3)

 今回は、第2章 空間と時間の分析=総合 である。西洋美術史を辿ろうという気はないが、キュビスム未来派がどういうものか位は知っておきたい。

第1次大戦前の数年間に2つの前衛的な芸術運動が展開された。スペイン人とフランス人を中心としたキュビスム、イタリア人による未来派である。キュビスムは、ルネサンス以来西洋の美術を支配したリアリズムを批判し、現実の対象や空間に対する視覚と認識の仕方を問い直そうとした。未来派は、近代社会の変化と機械産業の活発化、とくに自動車や飛行機の速度が時間と空間を縮小していくダイナミズムに注目し、これを表現するためにも絵画という狭い領域を超えようとした。両者に共通するのは、われわれの空間と時間の意識におきた大きな変化に対応し、現実の分析=総合という方法によって、新しい創造の可能性を探ったことである。それは科学や哲学における新しい方法にも対応していた。

 

キュビスム

ピカソ*1とブラック*2が新しい絵画を模索し始めていた。現実の把握はひとつの見方でいいのだろうか。彼らはそう自問しながら、現実を単一焦点の遠近法によって錯覚的に再現するのではなく、複数視点から眺め、同時的に合成した図像として構成しようとする。絵画でしか表現できない空間の創造でもあった。

対象をあらゆる角度から把握すること(同時的視覚)と、見た通りにではなく考えたように構成すること(概念的構成)が彼らの脳裏にあった。

当時の詳しい状況をしらないで言うのだが、現実を「複数視点から眺める」ことなど目新しいことではない。ただ、「同時的に合成した図像として構成」することには新奇性があったかもしれない。しかしそのような「概念的構成」による実際の絵画が、どれほど人々の美意識を刺激したのだろうか。少なくとも私には、キュビスムなるものは、「稚拙な観念的作品」にしか見えない。むしろ、キュビスム以前のピカソの「青の時代」と称される1901-1904年の作品に魅力を感じる。次のような絵である。

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http://www.art-library.com/picasso/blue-period.html 

いずれも1903年の作品で、左から順に、(1) 人生 La Vie 、(2) 悲劇(海辺の貧しい家族)、(3) 老いたギター弾き である。

次のような解説がある。

青の時代の作品は、物乞い売春婦社会の底辺に押し込められた弱者たちに向けた視線を感傷的に描き出すピカソが自らの貧困を重ね合わせながら、人生の悲哀や絶望の中でも失われない尊厳を描き出した作品は、鑑賞者の共感を呼ばずにはいられない。(東京美術『もっと知りたいピカソ 生涯と作品』)

『青の時代』全体を支配するこの暗い抒情性を、青年期特有の感情の発露と捉えることは易しい。そして、たしかにそのような面があることは疑いないだろう。人は誰しも、特に鋭敏な感受性に恵まれていればいるほど、若い時に一度は人間の生き方について深刻な悩みを体験するものである。…しかし、『青の時代』がピカソに対して持っていた意味は、おそらくそれだけではない。…この時代は、彼がそれまでに習得した技術によって自己の内部で渦巻いている何かを表現できるかといういわば実験の場であった。(中央公論社『カンヴァス世界の名画 ピカソ』)

青い色彩で画面全体が陰鬱な雰囲気を湛える「青の時代」の代表作に、老いたギター弾き(1903)、悲劇(海辺の貧しい家族)(1903)、人生 La Vie(1903)がある。

http://www.art-library.com/picasso/blue-period.html

20代前半の若きピカソが、このような「物乞いや売春婦、社会の底辺に押し込められた弱者」に目を向け、「暗い抒情性」を持った作品を描いていたとは知らなかった。…上の3枚の絵を見比べてみると、(1),(2)はどうということもなく、(3)の「老いたギター弾き」が、「人生の悲哀」をそこそこに描いているように思う。

 

オルフィスム

キュビスムの新しい展開として、1911年末から透明な色彩と抽象的形体のみで純粋絵画をめざす傾向が「オルフィスム」と呼ばれた。名称は詩人アポリネールが「キュビスムの画家たち」であげた「オルフェウスキュビスム」に始まる。…オルフェウスギリシア神話で竪琴の名手。ドローネー*3の純粋な色彩的感動を音楽的感動にたとえたのである。

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http://www.theartstory.org/images20/works/delaunay_robert_4.jpg

オルフィスムもキュビスムなので、魅力的な作品はない。ドローネーの作品も、上の「パリ市」(1912)以外、惹きつけるものがない。

 

イタリア未来派

キュビスムよりもわずかに遅れて活動する未来派は、キュビスムの影響も受けたが、いくつもの点で異質の性格を持っていた。まず宣言によって自分たちの意図や方法を表明し、それを根拠に突進した。…未来派は、カリスマ的な指導者によって組織された、政治的で前衛的な意識を持った運動である。その発端となったのは、フランスの新聞「フィガロ」1909年2月20日付の第1面に発表されたマリネッティ*4の「未来派宣言」だった。…マリネッティは、芸術家に必要なのは勇気・大胆・反乱だと扇動する。何よりも新しい美は速度の美であり、爆風を発し散弾が炸裂するように走る自動車は「サモトラケのニケ*5 よりも美しい」として称え、汽船・機関車・飛行機を称え、しかもあらゆる戦い、軍国・愛国主義アナーキストの破壊的行動を称え、女性および女性賛美主義を軽蔑した。…(未来派の画家としての方法と目標は)運動するものを、空間を通過する物体の増殖・変形・連続と、その環境との相互浸透として捉えることだった。…「疾走する馬の脚は4本ではなく20本である」

 次の絵は、ボッチョーニ「決起する都市」(1910-11)である。

建設現場の前で、うねり狂った旋回運動をする巨大な赤い馬、翻弄される他の馬、なぎ倒されるような労働者たちが、光や色彩と激しくダイナミックに交錯する。狂奔する赤い馬は近代産業都市のエネルギーを象徴する。

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http://de.wahooart.com/@@/8XX73Z-Umberto-Boccioni-Die-Stadt-erhebt-sich

未来派が持っていた総合感覚は、絵画に限定されず、芸術諸分野を総合する意図をも示していた。ボッチョーニは彫刻、バッラは衣服や家具、ルッソロは音楽において宣言書を発表し、未来派的表現を創始したほか、この運動は文学・写真・建築・映画・ファッション・演劇の分野にまで及んだ。第1次大戦中に起きるダダ運動は、多くの点で未来派の遺産を受け継いでいる。だが未来派の芸術家たちはファシズム政治と戦争に加担し、志願兵として前線におもむき、戦死者、事故死者、重傷者を出した。

未来派の芸術家たちが、「ファシズム政治と戦争に加担」したからといって、彼らの作品が「それゆえに」否定されるべきものではない。画家と政治信条は別物である。…しかし、こういう情報がインプットされると考えさせられる。「速度/運動」礼賛は、一つの「(政治的)価値観」を表明するものになりはしないか。

*1:ピカソ(Pablo Ruiz y Picasso、1881-1973)…スペインの画家。主にフランスで活躍。表現主義的象徴性を特色とする青の時代、叙情性を加味したばら色の時代などを経て、ブラックとともにキュビスムを創始。その後も新境地を切り開き、20世紀の美術を先導した。陶芸・版画・彫刻・舞台美術なども制作。作「アビニョンの娘たち」「ゲルニカ」など。(デジタル大辞泉)  

*2:ブラック(Georges Braque、1882-1963)…フランスの画家。野獣派の画法で画壇に登場したが、1907年ピカソと知り合い、共同でキュビスム運動を創始する。第一次世界大戦に従軍後、キュビスムを離れ、新古典主義へ転向。代表作に「壜とコップ」、「カフェ=バー」など。(20世紀西洋人名事典)  

*3:ドローネー(Robert Delaunay、1885- 1941)…フランスの画家。独学で絵画を学び、早くから色彩に関心をもち、新印象主義キュビスムなどの影響を受ける。1910年ロシア出身のソニア・テルクと結婚し、1912年より「窓シリーズ」を制作し、アポリネールによってオルフィスムと名づけられ、賞賛された。さらに妻ソニアとともに1912〜14年には円環形の色面による絵画構成に達し、クレーに影響を与える。その後は1937年のパリ万国博覧会の鉄道館、航空館の壁画を制作するなど、抽象絵画の建築装飾への適用を試みた。(20世紀西洋人名事典)  

*4:マリネッティ(Filippo Tommaso Marinetti、1876-1944)…イタリアの詩人。未来主義の創始者。 1909年2月 20日,パリの『フィガロ』紙に「未来派宣言」を発表[33歳],機械とスピードの美を唱え,伝統の破壊を主張,戦争を「唯一の清掃機関」と呼んだ。

*5:サモトラケのニケギリシャ共和国サモトラケ島で発掘され、現在はルーヴル美術館に所蔵されている勝利の女神ニーケーの彫像。(wikipedia)