気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

yeah! yeah! ダダは何も意味しない!

末永照和(監修)『20世紀の美術』(8)

今回から、第4章 ダダ的反抗と夢の開拓 である。

ダダとは何か。次の説明が簡明である。

1916~22年頃ヨーロッパ,アメリカに起った反文明,反合理的な芸術運動。ダダイズムともいう。伝統的なヨーロッパ文明を否定し,既成のあらゆる社会的,道徳的束縛から精神を解放して,個人の真の根源的欲求に忠実であろうとした運動。(ブリタニカ国際大百科事典)

既成のあらゆる芸術的・社会的価値体系を否定し、極端な反理性・反道徳主義を唱えた。文学ではツァラ、美術ではデュシャンマン・レイなどが代表的。(デジタル大辞泉

 本書は、次のように解説している。

大戦のさなかの1916年2月、中立国スイスのチューリッヒでダダは始まる。ドイツの芸術家フーゴー・バルが開設した「キャバレー・ヴォルテール」の夜会に、社会や政治、倫理や文化などに不満を抱く若い芸術家たちが国境を越えて集まり、パフォーマンスやイヴェントを繰り広げた。バルの音声詩や詩人トリスタン・ツァラの偶然に組み合わされた言葉、詩人リヒヤルト・ヒュルゼンベックや画家マルセル・ヤンコもまじえた、無意味な詩の同時的朗読や、未来派にならった騒音主義の試みなど、言葉から意味を切り離して、音声やイメージの輝きを回復させようとした。独仏辞典で偶然拾った、フランス語で木馬(幼児語)、ルーマニア語で「そうだ、そうだ」を意味する「ダダ」という言葉が、活動の名称に選ばれたのである。

ダダ(dada)とは、「そうだ、そうだ」の意味だと言っている。ただ日本語の語感としては、いまいちかなという気がする。「わあ、わあ」(yeah! yeah!)というのはどうだろうか。

ダダの作品に魅力的なものはないのだが、これは面白そうなので、ちょっと調べてみることにした。

少し重複するところがあるが、野村太郎の解説を聞こう。

チューリヒに戦争を嫌って集まった若い芸術家たちは、現実への怒りを込めて否定と破壊の精神をアピールした。ルーマニア出身の詩人トリスタン・ツァラ(1896-1963)、ドイツの作家兼演出家フーゴ・バル(1886-1927)、同じく作家リヒャルト・ヒュルゼンベック(1892-1974)、美術家ジャン・アルプ(1886-1966)、ハンス・リヒター(1888-1976)らがそれで、彼らは1916年2月、展示場と小舞台をもつ芸術家クラブ「キャバレー・ボルテール」を開店し、ここを根城としていっさいの伝統的価値や因襲的形式や理性の優位に挑戦し、これらを愚弄し否定するデモやスキャンダルを巻き起こした。…このチューリヒ・ダダは、前衛美術展を開催したり、ツァラ編集の雑誌『ダダ』を発行して、そのなかで偶然のモチーフを利用した詩の新形式を開拓したりしているが、彼らの主目的は「なにものも意味しない」ダダの否定精神をつきつめ、芸術を白紙に還元することにあったと考えられる。そのアナーキー的な身ぶりの底に、彼らは芸術を実人生と同じ地平に置こうとする欲求を秘めていたのである。(日本大百科全書

「なにものも意味しない」とは、どういう意味か。

1918年になってようやくトリスタン・ツァラが『ダダ宣言1918』を発表。その思想は「ナンセンス」であり、チューリヒ・ダダの最大の攻撃目標は「言語」だった。「ダダは何も意味しない」、これがツァラたちのスローガンである。それは言語を作者がその意図を伝達するためのメッセージであることを拒否すること、ダダが主体としてまさに「何も意味しない」言語になることである。(山田視覚芸術研究室)

 まさに反理性である。1924年、詩人ツァラはこれまでの宣言をまとめ『7つのダダ宣言』を出版した。日本語訳(宮原庸太郎訳)も出ているので、この目次をみてみると、(

http://shoshiyamada.jp/cgi-bin/bookinfo.cgi?id=201002784&ids=new&sort_op=3&sold_op=0&ret=./new.html&revflag=1

アンチピリン氏の宣言

ダダ宣言 一九一八

独りよがりのない声明

AA 反哲学者氏の宣言

トリスタン・ツァラ

AA 反哲学者氏われわれにこの宣言を送る

弱い愛と苦い愛についてのダダ宣言

この帯には、次のように書かれている。

20世紀初頭になされた鮮烈な意思表明が、新たな混迷の世紀のもつれる端緒をたぐる私たちに、今一度の再考を迫る――ダダはなにも意味しない

ダダは兇暴な風 だダダはおのず から円環の軌道 を描いて走り透明な変 容をとげる―定量の生命だ ダダはバカモノダダは バカモノ創設のためいた るところで全力を尽して いるダダは純潔な黴菌だ ダダは未来に反対だダダは吼 えるだからおまえたちは みんなじきにク タバルの さ

 

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「ダダは何も意味しない」…思わせぶりなこの言葉は、何を意味するのか

築野友衣子の面白い論考がある。以下、http://mbbs.tv/u/read.php?id=tzara25&tid=2 より。

言葉が何も意味しないということは可能だろうか。詩人であったツァラは、数多くの詩作品を残している。彼の詩は言葉が無造作に切り刻まれ、つなぎ合わされ、まるでコラージュ作品のようである。別のダダ宣言「弱き恋と苦い愛についてのダダ宣言」の中では、ルイス・キャロルが「帽子の中の言葉」として発明した手法が、「ダダイストの詩を作るには」という、レシピのような一節にまとめられている。曰く「新聞をとりなさい、鋏をとりなさい……」。新聞から気に入った記事を選び、単語ごとに文節して、袋に入れ、ランダムに取り出した順に並べれば、ダダイストの詩が作れるというわけである。

なるほど、「帽子の中の言葉」という手法を使えば、コンピュータは詩を書けるわけだ。素晴らしい。もし、「こんなものは詩ではない」という者がいれば、「あなたはダダイストの詩をどう思いますか」と問えばよい。

ダダイズムそのものが、ユーモアであり、アイロニーだった。…(ダダに)イズムをくっつけたのは、当時アートシーンを座巻していたフュチュリズム(未来派)やキュビズムへのアイロニーだったのだそうだ。

ダダイズムとは、「わあわあ主義」と言ってよかろう。

ダダは何者であるか、と尋ねると、ダダイストたちは「僕らも知りません」とはぐらかす。…ダダは、なにかものすごいエネルギーのあるもの、ユーモアのあるもの、アイロニーの塊、名付けることは出来ないが、誰の中にも存在しうる、「なにか」であった。

ダダをキュビズムやシュルレアリズムと同じと考えてはならない。

ダダはモダンではありません」と、未来派キュビズム、シュルレアリズムとあくまでも一線を画したがったツァラ。…「ダダは一種の精神状態」で、「人は嬉しかったり、悲しかったりするのと同じように、ダダである」とまで、ツァラは言うのである。

ダダ宣言、特に「弱き恋と苦い愛についてのダダ宣言」の中で、繰り返し登場する言葉、それは「白痴(L'idiot)」である。「僕らに欠けているもの、興味をそそるもの、稀有な個人の持つ異常性、おおいなる反人間の自由な生気、ゆえに滅多に見られぬもの、それは 白痴だ。ダダは総力をあげて、いたるところで白痴の復権に努めるのだ。しかも意識的に、である。そしてみずからもますます白痴になろうと志向するのだ。」

築野は、坂口安吾の『白痴』を引いて、ツァラの「ダダ」と通底している気がすると言っている。

「なまじいに人間らしい分別が、なぜ必要であろうか。白痴の心の素直さを彼自身も亦もつことが人間の恥辱であろうか。俺にもこの白痴のような心、幼い、そして素直な心が何より必要だったのだ。俺はそれをどこかへ忘れ、ただあくせくした人間共の思考の中でうすぎたなく汚れ、虚妄の影を追い、ひどく疲れていただけだ。」(坂口安吾

ツァラは、「道徳性とは、すべての人間の血管にチョコレートを注入することだ」と言う。

考えるだに恐ろしい、ドロドロの血液、コレステロールに充ち満ちた、緩慢な赤血球の歩み。その意味するところは、魂の死である。なんて不健康だろう。健康に生きたい。みんな健康に生きたがっている。生きるとは、健康ということだ。すこやかにあれ。ダダイズムは、魂の健康を求めた運動であったと、私はここに言おう。否定と破壊の運動、などというから、妙な誤解が生まれたり、誤解のもとに妙なものが作られたりするのだ。そうではない。ダダイズムは健康のための運動だった。有名な「ダダ宣言1918」の締めの言葉、「自由、ダダ、ダダ、ダダ、それは痙攣する苦痛の叫喚、相互背反と、あらゆる矛盾と、グロテスクと、不条理の錯綜体、だ。」とあるように、ダダが最終的に持ってきたもの、何を否定しても最後まで守り通したものは、「生」であった。生とは、健康であることである。血管にチョコレートは詰まっていない。血液はサラサラと軽快に流れ、筋肉は酸素を機敏に呼吸し、体は朗らかに動く。それ即ち「活発な単純さ」。これである。…誰もが、白痴の女を押し入れに隠している。ダダはそれを解き放ったのだ。いきいきと生きるための、ダダ。澄んだ空気、ダダ。星々の煌めき、向かってくる流星、噴出するマグマ、あらゆるきらきらするものと、あらゆる強烈なものに、かろうじて名前を与えた、それがダダである

わあー わあー yeah! yeah! da! da!