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気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

不平等論(8) SDGsに合致しているかどうかを問うことが、政治や経済、生活のありようを変えていく糸口になります(国谷)

私たち 読書ノート

稲葉振一郎立岩真也『所有と国家のゆくえ』(13)

立岩 マルキシズムについては、ぼくはほとんど書いたことがないのだけれど、いくつか列挙します。一つ、搾取の議論をそのままで使わないというか使えないというのは出発点にあった。…そういう話をされて、まあそうだったよね、わかってました、と。

前回、稲葉はさかんに「搾取」の話をしていたが、立岩に「そんなこと、とっくに分かってましたよ」と軽くいなされた感じである。立岩ならずとも、こう言いたくなるだろう。

 

立岩 二つ目。マルクスの何がどれだけ人を引きつけたかって言えば、今のシステムはどういうシステムかっていう分析もさることながら、やっぱりこれがいいんじゃないのっていうことを言ったからだと思う。未来を具体的に語らないっていうある種の禁欲というか、ある種のズルさがあったと同時に、ぽろっとというか、言っている部分もある。ぼくは今までたぶん20年くらい文章を書いてきているが、マルクスに言及しているのは1回だけかもしれなくて、それは『ゴータ綱領批判』の「働ける人は働き、必要な人はとる」という、まあ簡単と言えば簡単な、しかし詰めていけばいろいろ面白い論点がたくさん出てくるアイディアです。それは基本的にぼくはオッケーだと思っていて、共感する部分はあったし、今でもある。これが三つ目。

「働ける人は働き、必要な人はとる」などと言えば、「夢想だ」と一蹴し(そう一蹴する権威に盲従し)、「詰めて考えようとしない」。「私はこうありたい」、「私たちはこうありたい」、という思いが現実になっていないとしたら、「それは何故なのか」、「どうしたら良いのだろうか」と何故考えないのだろうか。…私には、「~と何故考えないのだろうか」という問いも、考えるべき問いである。

しかし、「働ける人は働き、必要な人はとる」などという言葉に拘る必要はない。「私はこうありたい」、「私たちはこうありたい」という思いを、具体的に詰めていけば良い。

 

立岩 四つ目。人間改造思想に関して言えば、それに関しての懸念というか危惧というか危うさは受け止めつつ、そういうことを巡って、ああでもないこうでもないという、時にはトリッキーな[奇をてらった]議論をせざるをえなかったというか、してしまったというか、そのことの重みというか面白さがすでにほとんど忘れられているように思うので、そしてそういうことを一切抜きにしてフィージビリティ[実行可能性]というレベルでものを語るのが主流というかドミナント[優勢]になっている情勢下においては、なんであんな怪しいことを言っちゃったのか、考えたのか、というのをもう1回検証する必要があるだろうと思う。

 稲葉は、社会主義を「人間改造思想」だとして嫌悪(警戒、恐怖)している(不平等論(7) 赤ちゃんは、社会主義的人間である? 参照)。しかし社会主義を、「自分の利益になることだけを考え、他人を思いやる心を持たない人間になるのではなく、私たちみんながともに楽しく暮らしていけるような社会をめざす考え方」である、と理解した場合でも、それは嫌悪(警戒、恐怖)の対象になるだろうか。「社会主義だ」「人間改造だ」とレッテルを貼るのではなく、「私(たち)は、何を望んでいるのか。どうすれば、それが実現するか」を考えるべきである。…「働ける人は働き、必要な人はとる」などというのは夢想であり、実行可能性はない、などと切り捨てるのではなく、「働ける人は働き、必要な人はとる」の理念を、現実的に具体的な項目に分解して考えていくべきだろう。

 

立岩 五つ目。ではすごくトリッキーなことを言わないとどうにもこうにもならないのかというと、そうでもないんじゃないかと、ぼくは実は思っている。今ここで暮らしている私たちは、ほとんどそのままの私たちのままで、別の世界のあり方がよいと思っているはずだということですよ。

ちょっとでも自分自身のことを振り返ったり、社会のことを漠然とでもいいから考えてみれば、ほとんど誰もが、「こうなればいいんだがなあ」と思っているだろう。これが立岩の「別の世界のあり方がよいと思っているはずだ」の意味だろう。

立岩 ただ、例えば70年代、80年代というのは、今のこの社会はどうかなんないかな、というところが出発で、人によっては過去を見たり、人によっては別の地域、世界の別の場所に目を向けたりっていうようなものが流行りだった時期で、それもなんかなあと僕はずっと思い続けてきた。現在と未来がウソっぽいという中で、昔に行ったり遠い場所に行ったりしたわけですが、でもそんなことしか言えないんだろうか、という気持ちはずっとあって、いやそうでもないんじゃないかって。いま現に、確かに「こんなもんだろう」と思っている価値や欲望がありつつ、欲望は複数あって、複数あると言い切っていいはずで、そうでない、こんなもんだろうと思っているものと違う価値であるとか欲望であるとかは、いま現にあると言おうと思えば言えるということを、手を替え品を替え、言おうとしてきたし、まだ言えるだろうと思っている。

「今のこの社会はどうかなんないかな」とか、「現在と未来がウソっぽい」というのは、1970年代、1980年代だけの感覚ではなくて、現代の21世紀に入ってもなお続いている感覚ではないかと思う。もっと言えば、過去の全歴史を通じて、(主として若者たちが抱いてきた)感覚ではなかろうか。そしてそのように感じた若者たちが年老いていくにつれて、「この社会はどうにもならない」、「こんなもんだろう」という感覚に変わっていくというわけである。…このような状況で、必要なことは、「こんなもんだろうと思っているものと違う価値や欲望」を具体的に明確に提示することであるように思われる。

 

立岩 つまり僕はひねくれていて、人間こんなもんでしょって居直られると、悔しくて、昔の、乱暴な、人間は変わるっていう思想にだって見るべきものがあるんだと言いたくなる一方そんな難しいところを狙わなくても、いくつか間違えなければ、ほぼ今のままで、少なくとも僕が良いと思える程度の社会は可能だと言いたい。

立岩は、「いくつか間違えなければ、ほぼ今のままで、少なくとも僕が良いと思える程度の社会は可能だ」と言うが、それがどのような社会か、それをどのように達成するのかの道筋が示されていないので、「可能」かどうかは判断できない。

 

立岩 六つ目。国家については、マルキシズムとのからみで加えておけば、世界同時なんとかっていうのが昔流行ったんだが、ある種の国際主義はロジカルには当たっていると言わざるを得ないと今でも思っている。局所だけを変えるということの辛さっていうのはやっぱりあって、そういったときに全域をっていう発想はロジカルに正しい。そういう意味では、グローバリゼーション云々と言われているご時世で、「地域主義」の復権みたいなものがそれに対する対抗軸として出ていて、それも様々な意味で分かる話ではある。しかしその地域性とか固有性とかはもちろん無視すべきではないけれども、それと同時に、国際主義というか世界同時性とか世界主義みたいなところを少なくとも思考の目標というか参照点に置くべきではある。それはいかにも荒唐無稽に思われるんだけれども、しかし物事を考える参照点として、これよりこっちの方がいいはずだとすれば、現実の向かい方として、こっちとこっちがあるときにどっちのほうがより良いって言えるのか、という意味での参照点として使えると思う。

 国際主義と言えば、SDGs(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)が思い浮かぶ。世界同時革命とか、そんなレベルの話ではない。決して荒唐無稽の話ではない。SDGsについては、本ブログで取り上げたことがある。(グローバルなコミュニティーの責任ある一員となる(4)誰も置き去りにしない - 持続可能な開発目標(SDGs)参照)

 

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http://www.ugokuugokasu.jp/whatwedo/sdgs.html

 

SDGsとは何か。朝日新聞デジタルから引用しよう。

地球環境や経済活動、人々の暮らしなどを持続可能とするために、すべての国連加盟国が2030年までに取り組む行動計画。15年の国連総会で全会一致で採択された。「誰も置き去りにしない(leaving no one left behind)」を共通の理念に、平等な教育、気候変動への対策など17分野からなる。「各国の所得下位40%の人々に国内平均より高い所得の伸びを実現」といった具体的な目標は、169項目に及ぶ。国連は01年にも、貧困の削減などを目指す開発指針「ミレニアム開発目標」(MDGs)を策定。乳幼児死亡率の削減など、発展途上国が抱える問題を挙げ、解決策を探った。だが、その内容は先進国が決めており、途上国からは反発もあった。進展には地域の偏りなどの「見落とし」があったとも指摘された。その後継として策定されたSDGsは、目標作りから途上国が参画。グローバル化した世界では途上国への開発支援だけでは問題が解決しないとの認識のもと、先進国が国内で取り組む課題を新たに盛り込んだジェンダー平等の達成や、国内の不平等を減らすこと、効果的で責任ある包摂的な制度を構築すること、安全で働きがいのある仕事の提供など、日本も取り組むべき課題が入っている。日本政府は昨年5月、安倍晋三首相を本部長とする「SDGs推進本部」を発足。企業やNGO、有識者を招いた「円卓会議」の意見を集約した上で、昨年末に、実施計画を発表した。

 

地球維持する取り組み、伝えたい 国谷裕子*1さん

「地球は人間なしで存続できても、私たちは地球がなければ存続できない。先に消えるのは、私たちなのです」SDGsのとりまとめに奔走したナイジェリア出身のアミーナ・モハメッドさんから聞いたことばが忘れられません。先ごろ国連の副事務総長に抜擢されたアミーナさんは、故郷でチャド湖を見ながら育ちました。けれども、彼女が子どものころ海だと思っていた琵琶湖の40倍もある大きな湖は、今は温暖化と灌漑の影響で消滅の危機にあります。このままだと地球がもたない。その危機感から各国が共同で変革に取り組んでいくために産み出されたのが、SDGsです。2年半に及ぶ多国間交渉でようやくまとまった国際合意なのですが、私は2015年9月に国連総会で採択される直前まで知りませんでした。番組作りのためいろいろなアンテナを張って情報収集をしていたというのに、動きがあることすら知らなかった。とても恥ずかしく思いました。採択目前に取材に入ったニューヨーク。SDGsの合意形成に関わった人たちの間には、地球の限界が見えてしまっているという危機感が共有されていて、SDGsを手がかりに、世界を変えていくのだという強い思いを感じました。けれども日本では、SDGsは積極的に取り上げられませんでした。1年以上たった今も、よく知られていません。どこまでできるかわかりませんが、SDGsを伝えていく使命を感じています。ニュースキャスターとして16年3月まで23年間、日本社会の課題と世界の変化を追いながら、ありとあらゆるテーマに切り込みました。そうしたなかで、ひとつの問題に向き合って解決策だと思ったことが、別の問題を引き起こすことがあり、課題解決の難しさを実感することが多くなっていました。そんな私にとって、SDGsとの出会いは、とても新鮮でした。地球を維持していくための17の目標から逆算して、必要な行動を考える発想。互いに深いところでつながっている課題を解決するために、経済、社会、環境などをつなげてとらえ、統合的に解決していく手法かつてない意欲的な取り組みに、大きな可能性を感じていますSDGsに合致しているかどうかを問うことが、政治や経済、生活のありようを変えていく糸口になります。私たちは「新しいものさし」を、手に入れたのです。それを使いこなしていくことは、政府だけでなく、企業や市民にも求められています。目標の達成に向けて、日本が弱いと指摘されている分野があります。貧困やジェンダー、エネルギー、気候変動などです。一人ひとりの認識が変わらなければ、達成は遠のくばかりではないでしょうか。情報の発信と共有が必要です。私もメディアの一員として、SDGsを広めていくお手伝いができたらと思っています。(2017/1/31、朝日新聞デジタル)

http://www.asahi.com/articles/ASK1S7GH1K1SUPQJ00Q.html?iref=spe_sdgs_top

SDGs(Sustainable Development Goals)については、いずれ詳細を取り上げたいと思っているが、立岩の国家/国際主義の話との関連で、特に国谷の「SDGsに合致しているかどうかを問うことが、政治や経済、生活のありようを変えていく糸口になります」という言葉に注意しておきたい。

 

目標10は、「国内および国家間の不平等を是正する」である。ターゲットの一部を掲載する。国内と言っていることに留意したい。(http://ungcjn.org/gc/goal10.html

 

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ターゲット

10.1

2030年までに、各国の所得下位40%の所得成長率について、国内平均を上回る数値を漸進的に達成し、持続させる。

10.2

2030年までに、年齢、性別、障害、人種、民族、出自、宗教、あるいは経済的地位その他の状況に関わりなく、すべての人々のエンパワーメント、および社会的、経済的、および政治的な包含を促進する。

10.3

差別的な法律、政策、および慣行の撤廃、ならびに適切な関連法規、政策、行動の促進などを通じて、機会均等を確保し、成果の不平等を是正する。

10.4

税制、賃金、社会保障政策をはじめとする政策を導入し、平等の拡大を漸進的に達成する。

 

「国内および国家間の不平等を是正する」を目標に掲げ、「政治や経済、生活のありようを変えていく」活動は、決して荒唐無稽の夢物語ではなく、現実の活動である。私たちは、このことに合意したのである。

 

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https://www.thestar.com/content/dam/thestar/opinion/editorials/2015/06/29/education-may-not-reduce-inequality-editorial/grads.jpg.size.custom.crop.1086x724.jpg

 

ターゲット10.2に、エンパワーメントという言葉が出てきたので、どういう意味か確認しておこう。

広義のエンパワ-メント(湧活)とは、人びとに夢や希望を与え、勇気づけ、人が本来持っているすばらしい、生きる力を湧き出させることと定義される。

エンパワーメントの概念が焦点を絞っているのは、人間の潜在能力の発揮を可能にするよう平等で公平な社会を実現しようとするところに価値を見出す点であり、たんに個人や集団の自立を促す概念ではない。エンパワーメント概念の基礎を築いたジョン・フリードマンはエンパワーメントを育む資源として、生活空間、余暇時間、知識と技能、適正な情報、社会組織、社会ネットワーク、労働と生計を立てるための手段、資金を挙げ、それぞれの要素は独立しながらも相互依存関係にあるとしている。地方自治や弱者の地位向上など下から上にボトムアップする課題を克服していく上で、活動のネットワークが生み出す信頼、自覚、自信、責任等の関係資本を育むことが、エンパワーメント向上の大きな鍵とされている。(Wikipedia)

  

あなたは、エゴイズムではない「夢や希望」を持っていますか?

*1:国谷裕子(くにや・ひろこ)…1979年米ブラウン大卒。93年~2016年、NHK総合「クローズアップ現代」を担当し、98年に放送ウーマン賞、02年に菊池寛賞、11年日本記者クラブ賞などを受賞。