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気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

猥褻で下品な電脳空間 (?)

塚越健司『ハクティビズムとは何か』(8)

ハクティビズムとは、「ハック(hack)とアクティビズム(activism,積極行動主義)とを組み合わせた造語」である。ハクティビズムの活動家はときとしてハクティビスト(Hacktivist)と呼ばれる。

Hackは俗語で、「合理的で創造的な行為」という意味を持っています。1950年代にMIT(マサチューセッツ工科大学)の鉄道部の学生の間で使われ始めました。当初は電車を走らせる為の電子回路をより効率よく動かすことが「Hacking」と呼ばれていましたが、インターネットの登場によってコンピュータ関連の技術へその意味を広げていきました。Activismは活動、特に政治的な目的を達成するための活動を意味しています。

この二つの言葉、HackとActivismが合わさった言葉であるHacktivismは今日では、「何らかの政治的な意図を持って、自らのつくりだしたツールを利用し社会に影響を与えること」を意味するようになりました。 (前島恵、http://credo.asia/2014/03/22/hacktivism/

 

塚越は、こう述べる。

彼ら[ハクティビスト]は,政治的な意志を持ち、その意志を実際にツールの製作とその使用によって体現した。権力と戦い、社会をハック、つまり社会をよりよいものへとつくり変えようとしてきたハクティビズムの潮流が、1980年代から生じ始めた。

このハクティビズムの潮流とは、PGP、EFF、サイファーパンク、FSFである。(これらについては、これまでの記事を参照ください)

 

サイバースペース独立宣言-自律と自由

 1990年代になってから、インターネットの普及に比例しアメリカ政府はネットの規制を強化する。代表的なものとして1996年に改正された米電気通信法の一部として成立した、通信品位法がある。通信品位法は、インターネット上の「猥褻な」あるいは「下品な」ものを取り締まることを目的とし、そうした表現を作成、伝送することを禁じた法律である。しかし、猥褻や下品の定義はしばしば恣意的な解釈可能性を持つことから、人権擁護団体などから猛烈な批判を浴びる。それは警察の恣意的な法解釈による不当逮捕を許してしまうからである。この法律は猛反発を受けた後、合衆国憲法修正第1条の言論の自由に抵触するとして、翌97年に最高裁判所違憲判決が下された。

通信品位法CDA Communication Decency Act)とは、

CDAは、インターネットなどを用いて、猥褻な表現あるいは下品な表現を受信者が18歳以下の未成年であることを知りながら送信した者、明らかな不快な表現を18歳以下の特定の者に送信したり、18歳以下の者がアクセスできるように陳列した者を2年以下の禁固または罰金に処することを内容とする。

このCDAについては、猥褻な表現に係る部分以外の執行の差止めを求める訴訟が提起され、…連邦最高裁は、立法目的が未成年の保護というやむにやまれぬ利益であることは承認できるものの、達成手段については、1.下品な表現と明らかに不快な表現に定義がなく、両者の関係が不明確であること、2.年齢確認がうまく機能しないインターネット上の法規制は、下品な表現に対して、事実上、全面的な規制を課すものとなることに着目し、条文が曖昧及び過度に広汎であるとして違憲とした*1

猥褻あるいは下品なものを規制するという立法趣旨に反対する者はほとんどいないだろう。何が問題かと言えば、何をもって「猥褻あるいは下品なもの」と考えるかである。とりわけ「下品な表現」と「明らかに不快な表現」に条文上定義がないとすれば、「拡大解釈」の危険があり、言論または報道の自由を侵害する恐れがある。*2

なお、このことは猥褻あるいは下品なものを規制すべきではない、ということではない。

インターネットの安全な利用を促すための国際的な非営利団体である家庭オンライン安全協会(FOSI)もまた、法的センサーシップcensorshipとは、ソフトウェアを使用したスクリーニングやフィルタリング、または法律による取締りを称する)は子ども達をインターネットの危険から守るのに最善の方策ではないとして、2009年にアメリカにおける放送通信事業の規制監督機関であるFCCに対し、柔軟性に欠ける法的な取締りよりも、より高度のペアレンタル・コントロール[parental controls]やブロッキング・ソフトウェアを積極的に利用するよう保護者に促すことを奨励している。多くのアメリカ人は、保護者とインターネット業界による自主規制がより効果的であると考えている。未成年者をオンラインの有害コンテンツから完全に隔離することは、現実的に不可能であり、子どもがそれらに遭遇する前にインターネットの危険性(詐欺、いじめ、搾取等など)について警告し、安全な使用方法を啓蒙することが必要であるとして、子どもを対象としたインターネット教育が実施されている。*1

センサーシップとは、検閲のことである(内閣府は、検閲という言葉をセンシティブな言葉として避けているのかもしれない)。いまやインターネットの危険性(詐欺、いじめ、搾取等など)は周知のことであり、セキュリティ対策は常識となっているが、それはある意味「検閲」とも言える。詐欺・いじめ・搾取等を、表現の自由言論の自由の名のもとに擁護しようとする者はいないだろうが、もしそう言う者がいるとすれば「自由」の意味をはき違えていると言える。

 

通信品位法が可決された1996年当時、スイスのダボスにいたEFF[電子フロンティア財団]のバーローは、国家権力がサイバースペースに介入してきたことに怒り、すぐさま反対表明を「サイバースペース独立宣言」と題した文書にしたため公表した。この宣言の特徴は、イギリスからの独立を宣言した1776年7月4日の「アメリカ独立宣言」とサイバースペースを重ね、サイバースペースがアメリカをはじめとする諸国家から独立すると宣言することにある。

サイバースペースの意味を確認しておこう。

コンピューターやコンピューターネットワーク上の仮想的な空間。1984年にアメリカのSF作家ウィリアム・ギブソンの主著作「ニューロマンサー」で初めて使われた。◇「cybernetics(サイバネティックス)」と「space(空間)」の混成語。「電脳空間」「サイバー空間」ともいう。近年ではインターネット自体をサイバースペースととらえる向きもある。(IT用語がわかる辞典)

バーローの言うように、国家権力がサイバースペースに介入したのだろうか。それは、未成年者の保護のために、猥褻あるいは下品なものを規制しようとしたのではなかったか。規制の目的に合意できるなら、規制のやり方が妥当かどうかを議論すればよいのであり、「国家権力がサイバースペースに介入」などと拒絶反応を示して、結果的に、猥褻あるいは下品なものを野放しにすることが望ましいことなのかを考えてみる必要があるだろう。最高裁が通信品位法に違憲判決を下したところで、バーローの主張が支持されたわけではない。

 

バーローは、「サイバースペース独立宣言」で何を主張したのか。

バーローはサイバースペースを新たなフロンティアと定義し、かってのアメリカに対するイギリスがそうであったように、既存の国家の干渉を拒否する。サイバースペース物質のない精神で構成された空間であり、そこには政府や法は存在しないという。しかしサイバースペースは無秩序を意味しない。サイバースペースは住民たちの自律と自治をベースに、倫理や啓蒙された自己利益、そして公共の福祉から統治が生じるという。

サイバースペースが「物質のない精神で構成された空間」であったとしても、現実の空間(情報の保存と流通の場)であるかぎり、そこに情報の取扱いに関するルール(法)が当然に必要となるだろう。バーローが「サイバースペースは無秩序を意味しない」とし、「統治が生じる」というならば、それはまさしく「政府と法」の存在を意味しよう。そうだとすると、バーローの言うことは、「我が教団の自由を脅かすような国家の介入を拒否する」のように聞こえる。

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https://personalpages.manchester.ac.uk/staff/m.dodge/cybergeography/atlas/lumeta_large.jpg

 

さらにサイバースペースではあらゆるものがコピー可能であり、そこには所有権や、アイデンティティに関する法的概念も存在しない。しかしだからこそ、現実世界での人種や地位にとらわれることもなく、誰でも自由に発言ができる。これは初期MITハッカーたちがそうであったように、すべてのプログラミングが自由に公開され、すぐに皆のものとなっていた、古典的な意味での「自由と平等」を示している。

これらの理想的なサイバースペースに反して、アメリカは法によってサイバースペースの自由を汚しており…「われわれはサイバースペースの中に、精神文明を作り上げていくだろう。そしてその文明が、今までおまえたちが作ってきた政府よりもずっと公正で、人間的であることを祈りたい。」とバーローは言う。

塚越は、「バーローは初期MITハッカーたちの理想を追求し、ハッカー倫理を極限まで突き詰めた表現をしたと考えられる」と言うが果たしてそうだろうか。何か異質なものを感じる。

バーローの「サイバースペース独立宣言」を読んでみたが*3、彼の言う「サイバースペースの自由」とは、「内容空虚な自由を盲信する教団の自由」のように思える。彼(ら)は、サイバースペースで何をしようというのだろうか。

 

バーローはつまるところ、ネット上の住民はネット上で自発的に自治を成し遂げるという理由で、国家の介入を否定している。しかし、極端に数の少なかった初期MITのエリートハッカーたちと比べ、インターネット利用者の爆発的な増加と、それに伴うハッカー倫理の衰退、ティーン・エイジャーのいたずら、サイバー犯罪者の出現など、サイバースペース上の自治を自分たちで達成することは不可能と言わざるを得ない。

 サイバースペースに夢を見た人は数多いが、バーローもその一人だったのだろうか。

*1:平成25年度諸外国における有害環境への法規制及び非行防止対策等に関する実態調査研究報告書(H26/2 内閣府) http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/hikou/h25/2_05.html

*2:合衆国憲法修正第2条(信教・言論・出版・集会の自由、請願権)…合衆国議会は、国教を樹立、または宗教上の行為を自由に行なうことを禁止する法律、言論または報道の自由を制限する法律、ならびに、市民が平穏に集会しまた苦情の処理を求めて政府に対し請願する権利を侵害する法律を制定してはならない。(Wikipedia)

*3:http://museum.scenecritique.com/lib/defcon0/1st.htm