浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

アブダクション

木下清一郎『心の起源』(6)

今回から、第2章 心の原点をたずねる である。どういう内容か。

  1. 循環を止めねば先へ進めない
  2. 生物体は要請する
  3. なぜ神経系のみに心の座を求めるのか
  4. 記憶の成立
  5. 生物的情報から自発的行動へ
  6. 負の記憶・空白の記憶・正の記憶

 

循環を止めねば先へ進めない

心の始まりをたずねようとして、まず真っ先に出逢うのが、心が何であるかを知らずに心の始まりをたずねられるか、という循環の難問である。ここから抜け出すには、論理的に言えばまったくの逆立ちとも言える態度をとらねばならない。すなわち、心について何らかの前提を置いて、循環を振り切るよりほかはない。一つの前提を置き、その前提から導かれる命題に進み、その命題が首肯されるか否かを十分に検証したのち、さらに次の新しい命題へと進むというふうに、鎖をつなげていくほかに道はないのである。これは演繹でもなく、帰納でもでもなく、かつてパースによってアブダクション(仮説的推論)と名づけられた態度であろう。…生物学から心の問題に入っていこうとすると、その第1歩は次のようになるであろう。すなわち、「心とはある種の働きである」、さらに「生物体のみに見られる働きである」、もう一歩踏み込んで「神経系を十分に発達させた生物体のみに見られる働きである」と。…生物学はなぜこのように心を見るのか。また、このようにしか心を見ないのか。実は「生物体」や「神経系」という言葉そのものが、その理由を語ってくれている。

 木下は「論理的に言えばまったくの逆立ちとも言える態度」と言っているが、決してそんなことはない。「一つの前提を置き、その前提から導かれる命題に進み、その命題が首肯されるか否かを十分に検証したのち、さらに次の新しい命題へと進む」、この方法は至極まっとうな方法であると思う。

この方法はアブダクションと呼ばれるそうなので、これについて少し見ておこう。

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http://www.turingfinance.com/wp-content/uploads/2015/10/Black-and-White-Swan.jpg

 

 次の解説がわかりやすい。

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アブダクションでは、まず「仮説」を立て、その仮説から予想される「データ」を想定する(上図①)。次に、実際に実験などを行い、得られた「データ」と「想定」とを比較する。実際のデータが想定と異なれば、最初に立てた「仮説」を修正し、再検討する。予想通りのデータが取れた場合は「仮説」は確からしいと言える(上図②)。(http://blog.livedoor.jp/keloinwell/archives/1806540.html

アブダクションは、「仮説的推論」というのが正確なのかもしれないが、「仮説形成」と理解すれば分かりやすいように思う。上の説明では、いきなり「まず仮説を立てる」から始まるが、まず目の前に「説明(分析)されるべき状況(現象、事実、データ)」がある。その状況を説明する仮説を立てるのである。

木下は、恐らく「心に関連すると思われるさまざまな現象、事実、データ」を念頭においている。そこでそれらを説明する仮説を立てようというのである。

米盛裕二は、アブダクションを次のように説明している。(http://web.sfc.keio.ac.jp/~iba/sb/log/eid438.htmlより)

ある意外な事実変則性の観察から出発して、その事実や変則性がなぜ起こったかについて説明を与える『説明仮説』(explanatory hypothesis)を形成する思惟または推論。(米盛)

私は、「意外な事実」や「変則性」に限定する必要はないと思う。ある主題(例えば、心)に関し、雑多な現象、事実、データがあるとき、それは説明されるべきものだろう。

 

しかし、このアブダクションには欠点がある。

上図②で「確からしい」と"らしい"を付けて言ったのには、実は理由がある。それはアブダクションには論理上の大きな欠点があるからだ。

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この図が示すように、同じ結論を導く複数の仮説があった場合、結論からどの仮説が正しいかを判定することができない。…このように、アブダクティブな推論は論理学の用語でいうと、「後件肯定」という形式的な誤謬になっている。(http://blog.livedoor.jp/keloinwell/archives/1806540.html

では、「後件肯定」を排除するにはどうしたらいいのか、について興味のある方は、引用元の記事を参照願いたい。

 

「演繹」や「帰納」や「アブダクション」を、教科書的に理解していても、何の役にも立たないと思う。

実際に、自分が「説明したい(理解したい)」と思う現実(状況)に直面しアブダクションを実践してみなければ、体得出来ないだろう。