気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

ふしだらな結合 カリフォルニアン・イデオロギー

塚越健司『ハクティビズムとは何か』(9)

カリフォルニアン・イデオロギー

東浩紀は1970年代から80年代にわたるハッカー文化の中に二面性を見出し、「ハッカーたちは、プログラミングのような専門技術の習得に大きな価値を置くが、同時にその技術は大衆と共有すべきものだと考えている。また彼らは、コンピュータの普及が従来の権力や社会体制を破壊するものだと信じながらも、同時に金銭的な成功を追及している」と主張する。即ち、MIT時代のエリート意識に支えられたハッカー意識と、大衆と共にコンピュータの可能性を共有しようとする意識、またそれによって社会を変革しようとしながらも、社会の中で金銭的な成功を求めるという、ともに矛盾した感情を持ち合わせているというのだ。

同一人物が「矛盾した感情を持ち合わせていた」のであれば、それは何故なのか。あるいは時の経過とともに意識の変化が生じたのか。また、同一人物でなければ、ハッカーと一括りにはできない。

 

こうした矛盾点は「サイバースペース独立宣言」にも見られると東は指摘する。バーローは自由やプライバシーを、基本的人権のためではなく公正な競争のためにこそ望んでいる。国家によるサイバースペース=フロンティアへの介入を拒むバーローは、その意味で誰もが平等な社会を見据えていると言えるが、その先の自由な空間においては、自分を守る法や政府はなく、すべての責任が自己責任となる。従って、誰もが自由で平等な世界が到来すれば、その先は完全な競争社会であり、コンピュータエリートであるハッカーたちにとっての天国は、大多数の非エリートである大衆にとっては格差と経済的貧困に苛まれる絶望的な世界となる。東は1990年代のハッカーたちの思想を「技術至上主義のリバタリアニズム=サイバーリバタリアニズム」と呼ぶ。

サイバースペース独立宣言*1(1996)は、全く幼稚な作文のようにみえる。こういう文章に鼓舞される者がいるのだろうか。これを読む限りでは、「公正な競争、平等な社会、自己責任」などを考えているとは読み取れなかった。ただサイバースペースという「夢想の自由空間」を賛美しているだけのようだ。「誰もが自由で平等な世界が到来すれば、その先は完全な競争社会であり、コンピュータエリートであるハッカーたちにとっての天国は、大多数の非エリートである大衆にとっては格差と経済的貧困に苛まれる絶望的な世界となる」というのも、全くわからない。バーローの描く世界は、客観的には、こういう世界になるよ、と分析しているつもりかもしれないが、私には、なぜそう言えるのか?という疑問だけが浮かぶ。

 

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ヒッピーは反権威を標榜し、その一部はコンピュータが自分たちを解放し、官僚主義に染まった現実からの逃避か、あるいは現実を超越する「真の自由」を追求していた。対するヤッピー*2(都市部の若きエリートビジネスマン)もまた、反権威主義を標榜し、官僚主義に染まる大企業と介入主義的な政府を嫌い、コンピュータをはじめとした新たなテクノロジーによって資本主義社会における成功を試みる。パーブルック&キャメロン[イギリスの社会学者]は、反権威を標榜するが故に一見すると相反する思想を持つ両者が合致すると考える。そして「合衆国西海岸出身の作家、ハッカー、資本家、アーティストたち」の緩やかな連合体は、「ヒッピーたちの奔放な精神と、ヤッピーたちの企業的野心とをふしだらに結びつけて」おり、それは「テクノロジー決定論と自由主義個人主義とのこのような矛盾した混合」であると述べ、その思想全体をカリフォルニアン・イデオロギーと呼ぶ。

私は、パーブルック&キャメロンのこの見方には違和感がある。ヒッピーとヤッピーが反権威で一致していたとしても、それでもって「連合体」を形成していたとは考えられない(これは「事実問題」だから、共同して活動していたのだとすると訂正しなければならないが)。そうではなく、コンピュータを巡って、ヒッピーとヤッピーというふうに特徴づけられる2つのグループがあったに過ぎないのではないかと思う。それを「ふしだらに結合した」のは、彼らの「解釈」ではなかろうか。もし、彼らが「ふしだらに結合して」何事かをなしたのだとすれば、それは具体的に何であり、それはどう評価されるのか。

 

カリフォルニアン・イデオローグたちは、コンピュータやインターネットの発展が、政府の大規模な投資なしに成立することは不可能だった点を考慮せずに政府批判を続けている。さらに、彼らの望みが叶ったとて、その先にある世界は彼らだけにとっての天国でしかない。なぜなら、彼らは情報技術を操る一部のエリートであり、彼らの希求する社会とは、政府の福祉政策や経済的貧困などを全く考慮しない、彼らにとってだけ都合のいいデタラメなものだからだ。…政府の援助に支えられたテクノロジーの進歩と自由市場の内部でのみ自由の追求が可能であり、ITバブル崩壊以後その影を潜めたということもあり、カリフォルニアン・イデオロギーはつまるところ流行思想であり、「コップの中の嵐」だったのだ。

カリフォルニアン・イデオローグとは誰のことか知らないが、彼らが自由至上主義者(リバタリアン)だったとしたら、その問題性は指摘されねばならないだろう。「政府の福祉政策や経済的貧困」の問題は、過去(有史以来?)から現代まで、連綿と続く問題でありつづけている。

*1:http://museum.scenecritique.com/lib/defcon0/1st.htm 

*2:ヤッピーとは「ヤング・アーバン・プロフェッショナルズ=Young Urban(都市・都市に住む・都市に慣れた) Professionals(職業の・職業に従事する・専門職の)」の頭文字「YUP(ヤップ)」に人化する接尾語「-ie(-ee)」を付けたもので、都市や都市周辺部を基盤とし、知的職業に従事する若者(主に30代後半~40代前半が対象)やサラリーマンの中でもエリートと呼ばれる若手のことである。なお、ヤッピーは1960~70年代にブームとなったヒッピー(Hippie)に対して出来た言葉で英語ではYuppieと書くカタカナ英語である。1980年代に流行語となったが、現在ほとんど使われなくなった死語である。(日本語俗語辞書)