今回は、第12章 貧しい人を助けるのは豊かな人の義務であるか である。しかし、本章で取り上げられるのは、「義務論」であって、「貧困問題」ではない。貧困問題は別途、ということで本書の義務論をみていこう。
加藤は最初にこう述べる。
約束を守るのは相互的な完全義務だが、慈善をするのは恩恵的な不完全義務だという考え方が、ミルの自由主義の背景になっている。カントは義務のこの二つのあり方に更に自分自身に対する義務と他人に対する義務という分類項目を導入して、四個の形について具体的に実例を挙げている。
続いて、加藤は「施しは義務であるか」、「二重の結果」という見出しで、いろいろな例をあげているがすべて省略する。…「完全義務と不完全義務」から始めよう。
児玉聡の解説が分かりやすい。
完全義務とは、約束の場合のように、義務を果たすべき相手に権利を生みだすもので、義務を果たさなければ、その当人の権利を侵害した、すなわち不正をなしたことになるような義務である。古典的には正義をなす義務 (特に、他人の所有権を尊重すること、約束や契約を守ること、恩を返すことなど)が完全義務とされる。
それに対して不完全義務とは、他人に親切にする場合のように、親切の義務をなんらかの形で果たすことは期待されているものの、だからといって特定の人に権利を生み出すわけではない義務である。権利を生み出さないので、義務を果たさないからといって誰かに不正をなしたことにはならない。古典的には慈善(charity, beneficence)をなす義務が不完全義務とされる。今日の行政用語では「努力義務」に当たるものと考えてよい。…以下は、よく引き合いに出されるカントの分類である。
完全義務
不完全義務
自分に対するもの
自殺しない
勤勉
他人に対するもの
約束を守る
親切にする
(https://plaza.umin.ac.jp/kodama/ethics/wordbook/perfect_duty.html)
https://mediastorm.com/clients/japans-disposable-workers-dumping-ground-for-pulitzer-center
加藤は、カントによる実例を紹介しているが、これも省略して、まとめと思われる部分だけ引用しよう。児玉の説明を[ ]内に書いておく。
①自己に対する完全義務 自殺(安楽死)を絶対にするな。[自殺しない]
②他者に対する完全義務 偽りの約束を絶対にするな。[約束を守る]
③自己に対する不完全義務 自己の向上にできれば努めよ。[勤勉]
④他者に対する不完全義務 困っている他人をできれば助けよ。[親切にする]
加藤はこの後、自殺について「カントのように自分と他人の区別が明確につくなら自殺をするだろう。自分と他人の区別が極限の状態ではつかないから自殺をしない」と述べ、「自己と他者の区別が明確にできるだろうと考えるのは軽率である」と言っている。それで、何が言いたいのだろうか?
Wikipediaの説明もみておこう。
完全義務…いかなる状況下でも従わなければならないもの。
不完全義務…通常従うべきだが事情によって従わないことが許容されるもの。努力義務ともいう。
これらの区別は、ただただ自己の理性によって区別され、一般的に前者は法律化や被行為者による何らかの対処が認められる。(wikipedia義務論)
義務について、法はどのような言い方をしているだろうか。服部高宏は、法規範を次の3つに区分し(法システムの構造と機能(1)法規範 参照)
- 義務賦課規範…一定の作為・不作為を義務付ける法規範、及びそれと従属的な関係にある法規範
- 権能付与規範…法的に有効な行為を行なう権能を付与する法規範
- 法性決定規範…一定のカテゴリーにどのような現象を帰属させるべきかを規定する規範
このうち、「義務賦課規範」は、4つの規範に区別していた。
1-1 命令規範…一定の作為を義務付ける。
1-2 禁止規範…一定の不作為を義務付ける。
1-3 免除規範…特定の場合に作為の義務を解除する。
1-4 許可規範…一般的な禁止を特定の場合に解除する。
この義務の分類は、先のカントの分類では、完全義務または不完全義務で、「他人に対するもの」に相当しよう。つまり、命令規範または禁止規範は完全義務に、免除規範または許可規範は不完全義務に相当しよう。そうだとすると、完全義務とか不完全義務という「わけの分からない言葉」ではなく、「命令規範、禁止規範、免除規範、許可規範」という言葉遣いで考えるのがはるかに明瞭である。
義務に関するこの4つの規範は、実際の法令ではどのような用語で規定されているのだろうか。*1
1-1 命令規範…一定の作為を義務付ける。(~しなければならない)
1-2 禁止規範…一定の不作為を義務付ける。(~してはならない)
1-3 免除規範…特定の場合に作為の義務を解除する。(この限りでない)
1-4 許可規範…一般的な禁止を特定の場合に解除する。(~することができる)
怖~いお茶汲み
- ~しなければならない(全27件)
第十五条 使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して賃金、労働時間その他の労働条件を明示しなければならない。この場合において、賃金及び労働時間に関する事項その他の厚生労働省令で定める事項については、厚生労働省令で定める方法により明示しなければならない。
- ~してはならない(全21件)
第四条 使用者は、労働者が女性であることを理由として、賃金について、男性と差別的取扱いをしてはならない。
- この限りでない(全10件)
第二十条 使用者は、労働者を解雇しようとする場合においては、少くとも三十日前にその予告をしなければならない。三十日前に予告をしない使用者は、三十日分以上の平均賃金を支払わなければならない。但し、天災事変その他やむを得ない事由のために事業の継続が不可能となつた場合又は労働者の責に帰すべき事由に基いて解雇する場合においては、この限りでない。
- ~することができる(全16件)
第百四条 事業場に、この法律又はこの法律に基いて発する命令に違反する事実がある場合においては、労働者は、その事実を行政官庁又は労働基準監督官に申告することができる。
※ ~するものとする(全1件)
第三十八条の四 第3項 厚生労働大臣は、対象業務に従事する労働者の適正な労働条件の確保を図るために、労働政策審議会の意見を聴いて、第一項各号に掲げる事項その他同項の委員会が決議する事項について指針を定め、これを公表するものとする。
「~するものとする」というのは、
通常は「しなければならない」よりも若干弱いニュアンスの義務付けを表します。一般的な原則や方針を示す規定の述語として使われます。この用例は、行政機関などに一定の拘束を与える場合の規定として多く使われています。(http://www.xn--w8jz01hk5ap9c448avia10fa.com/entry17.html)
以上、労働基準法でみたような義務賦課規範(命令、禁止、免除、許可)の是非を論じようとする場合、カントの完全義務がどうのこうのといった議論をすることに何の意味があるのだろうかと思ってしまう。例えば、第15条の「労働条件の明示」義務に関して言えば、「なぜ明示する必要があるのか」の理解が重要なのであり、決して義務概念を分類して終わりというものではない。…「なぜ明示する必要があるのか」を、「倫理道徳」(価値前提)に関連させる議論をしなければ、倫理学の義務論は机上の空論に終わってしまうように思われる。
*1:( )内は、私が補充したものであるが、以前の記事では、免除規範は「~しなくてもよい」としていた。今回は「この限りでない」としたが、これは法令の用語にあわせたもので、意味は同じである。(私は法律の専門家ではないので、誤りがあれば指摘してください。なお、http://www.xn--w8jz01hk5ap9c448avia10fa.com/entry17.html を参考にしました)
*2:法令データ提供システム/電子政府の総合窓口 e-Govで検索。件数カウントには「附則」を除いた。なお、「ただし」は38件、「但し」は5件あった。