末永照和(監修)『20世紀の美術』(14)
今回とりあげるのは、彫刻家コンスタンティン・ブランクーシ(Constantin Brâncuşi、1876-1957)である。
彫刻といっても、(美術愛好家でなければ)あまり馴染みがないので、解説をみておこう。
木,石,金属,粘土,象牙,ろう,石膏,現代ではアルミニウム,プラスチック,ガラスなどを材料として図像を三次元的に表現する美術。石や木のように素材を彫り込んで形象を作る場合と粘土や石膏のように次第に肉づけして作る場合とがあり,狭義には前者を彫刻,後者を彫塑と呼ぶ。…表現される主題は古来より,神,人間,動物が主であるが,現在では非形象,幾何学的,抽象的なものも多い。(ブリタニカ国際大百科事典)
20世紀に入り、各種のオブジェ(objet)や構成物(construction)が出現するに及び、彫刻は字義を超えて、今日ではさらに配置や設置(installation)までも含むこととなり、その概念をますます拡張しつつある。したがって、これらをまとめてひと口に定義することはきわめて困難になってきており、彫刻とは素材を用いて三次元空間に立体形象を造形する芸術形式である、と緩やかに規定するのが妥当であろう。(三田村畯右、日本大百科全書)
彫刻の定義にインスタレーション(installation)まで含めるのが妥当かどうかというような議論はさておき、そこにつながるものであるということは理解しておきたい。
彫刻家コンスタンティン・ブランクーシとは、阿部祐太の解説によれば
コンスタンティン・ブランクーシはルーマニア人。20世紀を代表する彫刻家である。代表作としては《接吻》と《空間の鳥》両シリーズなどがある。現在、パリのポンピドゥー・センターで再現された彼のアトリエで作品を見ることができる。彫刻は大理石やブロンズなどであるが、素材感を消してしまうまで磨き上げられている。そしてフォルムは究極まで単純化されている。ブランクーシは、それまでの具象彫刻とは全く異なった作品を生み出し、現代彫刻の祖とされる。その後の多くのアーティストにも大きな影響を与えた。しかし、彼自身は「自分の作品は、抽象ではなく本質を表現した具象である」と語っている。周囲の解釈とは正反対なのである。そうした解釈も、彼にとって不要なものであり、削ぎ落とされるべきものだった。
(http://www.abeaxis.co.jp/yokihitobito-genealogy/brancusi/index.html)
<世界の始まり>
http://imagec.navi.com/images/templates/PARIS/1004952/b5d76d3b64a18aa4_S.jpg
<空間の烏>
http://4.bp.blogspot.com/-jNc9B2913lM/VOz0X_n3P7I/AAAAAAAAaUg/slYI23oTWXM/s1600/105075_sv.jpg
無限の柱
http://tokuhain.arukikata.co.jp/prague/assets_c/2013/04/%E6%9C%AC%E5%AE%B6-thumb-540x540-69694.jpg
<空間の烏>については、面白いエピソードがある。
飛翔する鳥のイメージが抽象的な概念に置き換えられている。しかし、そのイメージを読み取れない者には、磨き上げた金属製品にしか見えない。アメリカの税関は「空間の鳥」を芸術作品とは認めず、課税対象の金属製品としたため、1926-28年に作者との間で裁判が行われた。作者側が勝訴したが、徹底的に抽象化された彫刻が物体や材料の塊と同一視され、芸術とは何かが問われた一例である。(本書)
<無限の柱>について
代表作でもある『無限柱』シリーズは、単純なユニットの反復により構成され、本人が友人のマン・レイに語ったところでは、どこで切断しても無限の柱としての特性を失わないものとされる。この思想はカール・アンドレなどのミニマル・アートへ強い影響を与えた。(Wikipedia)
本来は、十五の菱形(算盤玉のような形態、鋳鉄製)と天地に続くふたつの半菱形かうなる大作であり、現代美術史家には「今世紀の彫刻史そのもののモニュメント」と目される作品である。
高層建築物を見慣れている現代人からすればそれほどでもない。しかしブランクーシは、無限の柱を表現したかった。
この無限柱をみる視点が二つある。一つは「下から見上げる」、もう一つは「遠方から、周囲の光景と共に見る」。
私は、反復ユニットには、<世界の始まり>の卵がふさわしいのではないかと思う。