気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

ダブルスタンダード 妊娠するアンドロイド

伊勢田哲治『哲学思考トレーニング』(16)

今回は、第4章 「価値観の壁」をどう乗り越えるか 第7節 妥当でない価値的推論 である。

価値的推論にも、他の論理的推論と同じように、妥当な推論もあれば妥当でない推論もある。実践的三段論法は妥当な価値的推論の典型といえるだろう。では逆にどういう推論が妥当でないのだろうか。これについてはいくつかよく知られた類型がある。

なお、以下に紹介する議論はどれも、適切に補完されるならば妥当な議論になる可能性がある。従って、以下のような推論を妥当でない推論として特定するのは、単に却下することが目的ではなく、よりよい価値的推論を組み立てる共同作業をするための通過点だと考えて欲しい。 

 「なお、~」以下の文章に注意。相手を議論で打ち負かすのではなく、「よりよい価値的推論を組み立てる共同作業をする」ためのものである。果物ナイフは、人を刺すものではなく、果物を切るためにある。

 

二重基準の過ち

実践的三段論法の大前提が妥当かどうかをいろいろな具体例にあてはめて考える、という手法を紹介したが、これは逆から見れば、二重基準ダブルスタンダード)の過ちを検出しようとしている、と理解することもできる。二重基準とは、「Aだから」という理由でBを非難しながら、同じ「Aだから」という理由の当てはまるCは非難しない、という態度のことである。

上の文章はたぶん誰でも理解できるだろう。では応用問題が出されたらどうか。…この二重基準について、少し考えてみたい。

 

次の菅実花の作品*1を材料とする。

f:id:shoyo3:20170701170622j:plain

https://twitter.com/387mika/media

 

ここでとりあげようとするのは、本作品のアートとしての評価ではなく、表現規制についてである。

Facebookでの展示案内が削除されたのである。

f:id:shoyo3:20170701170712j:plain

https://twitter.com/387mika/media

Facebookからの連絡が読みにくいが、次のように書かれている。

報告の詳細…あなたの写真に関する報告がありました(ヌード)。

Facebookからの返信…あなたの写真はFacebookコミュニティ規定に違反しているため削除されました。

 この削除について、Facebookは「アート」を理解できない野暮な人間で運営されているのかと非難しても、それは的外れだろう。次の動画を参照されたい。

The Making of Do Lovedolls Dream of Babies?

www.youtube.com

 

このラブドールを、写真ではなく、インスタレーション*2として展示したと想定した場合に、「これはアートである」と主張できるか。もし主張できないとしたら、Facebookの規定をどう考えるか。

Facebookコミュニティ規定とは、次のようなものである。

コミュニティ規定→礼儀正しい行動→ヌード…意識向上キャンペーンやアートプロジェクトなどのために、ヌードを含むコンテンツがシェアされる場合があります。弊社ではヌードの表示を制限しています。世界中のさまざまな人が利用する場である以上、人によっては――特に出身文化や年齢によっては配慮を要するコンテンツだからです。報告にすみやかに対応して公平な措置をとるためには、Facebookの担当チームがコンテンツを確認する際の判断基準は、世界中どこでも使えて判断のしやすいものであることが必要です。そのため柔軟な対応が難しい時もあり、合法的な目的でシェアされたコンテンツをやむなく制限させていただく場合があります。弊社では、こうしたコンテンツの評価や処遇にあたって、基準をより弾力的に運用できるよう取り組みを続けています。(https://ja-jp.facebook.com/communitystandards#nudity

Facebookは、アートであるか否かの判断をしていない。同じヌードでも、これはアートであるから〇、アートでないから×としているのではない。「世界中の人が利用する場」なので、「配慮を要するコンテンツ」は規制するというのである。これは常識的で、妥当な規定であると思われる。具体的な判断基準については、上記URLを参照願いたい。

このFacebookの規定を、「表現の自由」の観点から否定する立場の人がいるようだ。私は、表現の自由 二枚舌 角を矯めて牛を殺す において、ヘイトスピーチ規制反対の弁護士の意見を紹介した。要約すれば、「表現の自由」は民主主義を正常に運営するために欠かすことの出来ない自由である(反対意見が封殺されてはならない)。曖昧な定義で規制すれば、それは拡大解釈されて、取り締まりが横行し、表現の萎縮効果が起こる危険性がある。この意見を、今回の作品に適用すれば、Facebookの規定を妥当とするような人が増えれば、違反者は逮捕されるような事態が生じ、アート表現が制約される、という見解になるかもしれない。

表現の自由」を守るのか、守らないのか? 私は、こういう問題の立て方は非常にまずいと思う。ちょっと(極端な例を)考えてみれば分かるとおり、「いかなる表現でも構わない」と言う人はまずいないだろう。無制限な表現の自由はありえない。にも拘わらず、「表現の自由」を理由に、規制が拡大解釈される危険があるから、そのような規制をすべきではない、というのはおかしい。もしこの規制をしないということになれば、ヘイトスピーチは横行するであろうし、人としてどうかと思われるような表現(言動)も許されることになる。そうすると、どうなるか。ある考えを持った人(ex.ヘイトスピーチをする人)を擁護したい場合、「表現の自由」をたてに規制に反対する。また別の考えを持った人(ex.特定秘密保護法に反対する人)を排除したい場合、「公序良俗」等を理由に規制する。ということが生じる。二重基準ダブルスタンダード)である。二枚舌である。

菅実花の作品の例で言えば、写真を「表現の自由」で擁護し、インスタレーションを「公序良俗」等を理由に排除すれば、それは二重基準ダブルスタンダード)である。「表現の自由」は無制限ではない。では写真は何を根拠に擁護されるか。あるいはインスタレーションは何を根拠に擁護されるか。「他者に危害を及ぼすものではない」というのは有力な根拠となるだろう。しかし、子ども(精神年齢)に悪影響を及ぼすということであれば、その対策をとらなければならない。だから全く平凡な結論になるが、話し合って(議論して)、見直し条項を含めた具体的な判断基準を取り決めることになろう。「表現の自由」に限らず、「~の自由」と「自由」を掲げていればよい、などというものではない。

 

伊勢田は、二重基準について、次のように述べている。

これは意外に多くの人が侵す過ちで、結論が最初からあってその結論にたどり着くために後から理由をつけるような場合によく起きる。

伊勢田は、このように「結論が最初からあってその結論にたどり着くために後から理由をつける」ことが悪いことのように述べるが、具体的事象は非常に複雑なものであり(全く同じというものは一つもない)、既存のルールや通念で判断すれば、「妥当な結論」が得られないことがありうるので、「妥当な結論が最初からあって、その妥当な結論にたどり着くために後から理由をつける(ルールを解釈する)」ことは悪いこととは言えないだろう。このような法解釈の問題については、いま読み進めている『法哲学』で今後出てくるだろう。

いずれにせよ、二重基準ダブルスタンダード)になっていないかチェックすることは肝要である。かつ二重基準ダブルスタンダード)になっていると攻撃するのではなく、「よりよい価値的推論を組み立てる共同作業をする」ためのものであることを忘れないでおきたい。

 

(付録)未来の母としての「妊娠するアンドロイド」をめぐって(菅実花)

人類は古代より「人間を作り出したい」という欲求を抱いてきた。そこで生まれた発想は「人間の姿に似せた人工物を作り出す方法」と「人間の細胞を使って生命を生み出す方法」とに大別される。いわゆる人造人間を作り出す神話や人形に命が宿るという物語は紀元前から世界各地で見られ、現在では人工知能を搭載したアンドロイド・ロボットの開発が進められている。高度生殖医療の分野では生命をより高度にコントロールする遺伝子操作の技術が日々研究され、人工子宮によって女性の身体を介さずに新たな生命を生み出すことも可能となりつつある。そしてこれら最先端科学における様々な試みは、人工知能と人工子宮を搭載した「妊娠するアンドロイド」の誕生を予見させる。「人間の姿に似せた人工物」が「人間の細胞を使って生命を生み出す」アンドロイド、それは「体外受精」「代理母」「デザイナーベイビー」などの生殖をめぐる新たな選択肢に直面する今日の私たちに「未来の母」の在り方を問いかける存在なのである。(http://imgandgen.exblog.jp/

ロボットは道具にすぎないとか、子どもを産めないとかいってすむ時代ではなくなっている。

少子高齢化」が問題であるというなら、ロボット(妊娠するアンドロイド)に子どもを産ませれば良い!?

*1:菅実花:東京芸術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻博士後期課程(2016-)。[個展]The Future Mother(慶応義塾大学日吉キャンパス来往舎)(2016/10/25-29)

*2:インスタレーションについては、気になるアート(4) 沼倉真理(Mari Numakura)ブランクーシの彫刻 <抽象ではなく本質を表現した具象> を参照ください。今後もとりあげたいと思っています。…私は、菅実花は本当はインスタレーションとして展示したかったのではないかと勝手に想像している。