浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

アースワーク (マイケル・ハイザー、ウォルター・デ・マリア)

 末永照和(監修)『20世紀の美術』(18)

今回は、第10章 視覚と認識の変革 のうち、「アースワーク」をとりあげる。

 

アースワーク

既存の芸術や社会体制から自由になろうとする欲求からパフォーマンスが生まれたのと相まって、「アースワーク」あるいは「ランド・アート」と呼ばれる作品傾向が、コンセプチュアル・アートと呼応しつつ、閉ざされた画廊空間や限られた都市空間から解放されたいという願望に基づいて1960年代後半から70年代にかけて生まれる。果てしない大地に立ってそれに人の手を加えるアースワークのプロジェクトは、巨大な規模でありながらいわばささやかで未完結な状態に留まり、その場から切り離されない性質や、すぐに消え去る非恒久的な性質を通して無限の時空と対話する。同時に、それらは大地の自然状態をずらして意識化する。その鳥瞰的な水平の構造は、屹立する伝統的な彫刻や壁面上の絵画における垂直の構造を相対化してもいる。さらにアースワークは、無限の時空との対話による存在論的な場という点で、古代文明の遺跡と共通していなくもない。

 「アースワーク」のなかなかうまい紹介ではある。アースワークの作家として、ロバート・スミッソン、マイケル・ハイザー、ウォルター・デ・マリア、リチャード・セラ、リチャード・ロング、クリストとジャンヌ=クロードの名前が挙がっている。どんな作品なのか、web検索してみたが、ほとんど魅力的な作品はない。何故だろうか。

考えてみれば、キャンバスを大地に置き換えただけではないか。しかも視点が不明瞭(上空から視ることを予定しているのだろうか?)なので、何かを訴えるような作品は期待できないように思われる。(大地に幾何学模様を描いたところで、ナスカの地上絵のようなものでしかない)。

それで「アースワーク」にこだわらず作品を眺めてみると、僅かながら面白そうな作品があったので、みておこう。

 

1.マイケル・ハイザー(Michael Heizer、1944-)

Levitated Mass(空中浮揚する塊)

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https://www.gagosian.com/__data/4c3ba7127deb3e8f70cfd26625a1925c.jpg

 

米ロサンゼルス郡立美術館に2012年6月24日、一風変わったアート作品がお目見えした。「Levitated Mass(浮遊する塊)」と名付けられたこの作品は、重さ340トンの巨大な岩。自然の素材を用いて作品を生み出すアート分野で活躍するマイケル・ハイザー氏(67)が手掛けたもので、公開初日は多くの来場者で賑わった。同作品は、両側を高さ6.4メートルの壁2枚に支えられるように設置されており、まるで宙に浮いているようにも見える。このため来場者は、作品の真下をくぐり抜けることができる。「Levitated Mass」は別の場所で制作され、美術館へは170キロの道のりを大型トレーラーを使って、ゆっくりしたスピードで少しずつ運ばれた。作品の運搬と設置にかかった費用は1000万ドル(約8億円)。

http://jp.reuters.com/article/tk0835112-art-levitatedmass-idJPTYE85O02I20120625

 ハイザーは何を表現したかったのだろうか。「しっかりと固定された Levitated Mass」を観たところで、「運搬と設置に1000万ドルもかかった、美術作品だそうだ」というのが、美術品の価値を知らぬ俗物(一般市民)*1の感想ではなかろうか。俗物に言わせれば、「ロサンゼルス・カウンティ(郡立)美術館」[LACMA]に展示されているからこそ「美術作品」なのである。

 

次の画像は、パロディだろう。

Floating Rock at LACMA  © Victor Raphael and David Jordan Williams

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https://www.culturalweekly.com/floating-rock-at-lacma/

 

LACMAの展示作品は、Levitated Massというタイトルである。Levitateは、「(超能力で)空中に浮揚する」という意味だそうだ。上の画像のタイトルは、Floating Rock at LACMAである。皮肉である。

 

2.ウォルター・デ・マリア(Walter De Maria、1935-2013)

The Lightning Field(稲妻の原野)

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http://www.telegraph.co.uk/content/dam/art/2016/06/03/walter-de-maria-lightning-xlarge_trans_NvBQzQNjv4Bq1murVpOlJNUt1X_6YLXrf3qH0cuE_qzze5A3wAZx3FY.jpg

 

本書の解説によれば、

平坦で広大な地面の上に400本のステンレス鋼の高い棒を立て、長時間にわたって観客に落雷を観察させようというプロジェクトで、半恒久的な装置である反面、アーティストの作為を超える偶発的で瞬間的な自然現象を作品に取り込み、見えざる宇宙の根源との交流を図る。

アースワークとしては最もまともかもしれない。現場で「音と光」を感受すれば、それなりの感動はあるかもしれない。しかし俗物としては、「一つの観光地」であるにすぎない。「宇宙の根源との交流」などない。

こんな作品よりも、次の作品が美術作品らしい。

 

Time/Timeless/No Time

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https://static1.squarespace.com/static/51b483f1e4b0c02e88c63ab1/t/5644e49de4b0be9b03748bac/1447355553169/Walter+De+Maria

 

視る角度によっては、下のようになる。

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http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/29095.jpg

 

この写真(画像)は素晴らしい。浮遊する球体、凝縮された空間、光と影のハーモニー…私は芸術を語る語彙力がないので、うまく言えないのだが、「この一点」*2から視た光景からのみ、Time/Timeless/No Time が立ち現れるように思われる。

*1:私のことである。

*2:「この一点」を外せば、美術館にある(陳腐な)一作品にとどまるように思われる。