浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

福井中2自殺 教師による「教育(指導)」と言う名の「虐待」

ハラスメント(1)

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https://www.ktv.jp/yakusoku/index.html

 

(空にいる息子へ) :如月 2017年05月17日

あなたの誕生日に、ロックがかかって開けれなかったスマホが開けられました。

4千回以上のパスワードを入れ続け、やっと見れたスマホには

未送信のメールの中に

母宛てに、「ゴメンよ」の一言

 

最後の、たった一言を、受け止められないよ。

(http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kanasimi/page=41)

 

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 2017年3月14日、福井県今立郡池田町立池田中学校2年生の男子生徒が、校舎3階から転落し死亡した。本事案について、事故の客観的・公正な調査、審議及び結果報告、是正策の助言等を目的として、池田町学校事故等調査委員会設置要綱に基づき、2017年4月27日に「池田町学校事故等調査委員会」が設置された。委員長は、松木健一福井大大学院教授。他のメンバーは不明。

2017年9月13日までに合計16回の会議が開催された。「調査報告書」がマスコミ関係者に公表されたようだが、一般には、現在、調査報告書(全文)も調査報告書(要約)も公開されていない。何月何日付けの報告書かも分からない(9月13日か?)。池田町のHPには、当初「調査報告書(要約)」が掲載されていたが、現在は「遺族の申し出により」(これが何を意味するのか後で考えてみたい)掲載されていない。(調査報告書(要約)は、「森の人」のブログで、読める)。

調査報告書の内容については、NHKの紹介記事がある。この紹介記事と調査報告書(要約)から事実経過をみると、次のようであった。

  • 「優しい子」という評判
  • 1回目の登校渋り(2016年5月)←副担任の指導(宿題未提出)
  • 身震いするほど怒られる(2016年10月)←担任の指導(マラソン大会での準備遅れ)
  • 土下座しようとする(2016年11月)←副担任の指導(宿題未提出)
  • 担任「お前辞めてもいいよ」と叱責(2017年1月or 2月)←担任の指導(生徒会活動)
  • 忘れ物で怒られる(2017年2月)←担任の指導(卒業生を送る会)
  • 2回目の登校渋り(2017年2月21日)←副担任、担任の指導(宿題、提出物)
  • 早退を申し出「学校で嫌なことあった」(2017年3月6日)←担任の指導(課題未提出)
  • 3回目の登校渋り(2017年3月7日)←担任の指導(卒業生を送る会)
  • 過呼吸を訴えるも、担任は放置(2017年3月13日)←副担任の指導(課題未提出)
  • 転落死(2017年3月14日)

調査報告書(要約)は、自死*1の原因について、次のように述べている。

本生徒は、中学校2年の10月[2016/10]以降、課題提出の遅れや生徒会の活動の準備の遅れなどを理由に担任や副担任から厳しい指導叱責を受けるようになり、教員の指導に対する不満を募らせていった。叱責を受け、課題の遅れなどに適切に対処できない日々が続く中で、精神面における外傷的な体験をし、自己評価や自尊感情を損ない、事故直前の3月6日以降、担任から生徒会をやめるようにとの叱責や、副担任から弁解を許さない理詰めの叱責など、関わりの深い担任、副担任の両教員から立て続けに強い叱責を受け、精神的なストレスが大きく高まった。一方で、指導叱責について家族に相談したが、事態が好転せず、絶望感が深まり、自死を選択したものと考えられる。いじめについては、いじめを疑われる事実がいくつか指摘されたが、具体的ないじめを認定する資料は得られなかった。事実経過からみて、本生徒の悩みは担任、副担任の指導叱責にあり、いじめによる自死ではないと判断した。家庭については、本生徒と家族との関係は良好であり、軋轢をうかがわせる事実は見当たらなかった

また、自死に関する事項として、次のようにも述べている。

本生徒の状況をよく観察すれば、本生徒の課題未提出や生徒会活動の準備等に対し、厳しい指導叱責が不適切であることに気づくことはできた。しかし、担任、副担任とも、本生徒の性格や行動の特性、気持ちを理解しないまま、宿題等の課題提出や生徒会活動の準備の遅れを理由に、担任は大声で叱責するなどし、副担任は執拗な指導を繰り返した。これらの指導叱責は、本生徒にとっては困難を強いられ、大きな精神的負担となるものであった。副担任の指導に対し、土下座しようとしたり、過呼吸を訴えたことなどは、本生徒の追い詰められた気持ちを示すものである。また、本生徒は、再三登校を嫌がり、家族に担任や副担任の指導に対する不満を訴え、家族は担任に本生徒の気持ちを訴え、担任も対応を約束していた。しかし、担任は本生徒の指導について副担任と協議したり、上司、同僚に詳しい事情を報告するなどの問題解決に向けた適切な行動をとらず、副担任と共に厳しい指導叱責を繰り返した。その結果、本生徒は、担任、副担任の双方から厳しい指導叱責を受けるという逃げ場のない状況に置かれ、追い詰められた。

家庭訪問の事実等を知っていた校長、教頭等の管理職、担任、副担任の指導叱責を目撃したり、相談を受けて事情を知っていた他の教員も、本生徒の気持ちを理解し、適切に対応することはなかった。土下座しようとした件も過呼吸様の症状を訴えた件も家族には知らされなかった。担任、副担任の厳しい指導叱責に晒され続けた本生徒は、孤立感、絶望感を深め、遂に自死するに至った。学校内での自死という、あってはならない重大な事態を招いたことについては、学校の対応に問題があったと言わざるを得ない

この調査報告書の事実認定に関して学校関係者の異議申し立てがなかったのであれば、これを認めたものとしてよいだろう。

自死に至るほどの厳しい指導叱責」を何と表現するか考えてみたが、それは本記事のタイトルにしたように、教育(指導)と言う名の「虐待」が適切であろう。教師本人は、もちろん「虐待」の意識は無いであろうが、被害者(生徒)視点に立てば、虐待と言って良い。もちろん、被害者の個性により、受け止め方は多様であるが、そういった個性をみようともしない指導が、教師としての資質を著しく欠如したものであると言わなければならない。

校長・教頭等の管理職や他の教員の責任については簡単にふれているが、この点について次のような記事がある。

15日[2017年10月15日]に公表した調査報告書要約版で、担任、副担任の責任が厳しく記述される一方、(松木委員長は、)報告書全文にあった管理職の責任に関する記述が大幅に割愛されている点について、意図的でないとした上で「校長の方が(担任と副担任より)責任は重い」と述べた。…松木委員長は、事実関係の説明のため現場の担任、副担任の記述が多いのはやむを得ないとの認識を示した。その上で、責任については「校長の方が重い」と強調した。…報告書の記述で、校長と教頭が「担任が亡くなった生徒を大声で叱責する場面は見ていない」と一部否定していることについては、「校長は(調査委に対し)はっきり(見た)と答えていない」としたが「全体的な経過から知っていると判断した。知らないということ自体が問題」と語気を強めた。(2017/10/20、福井新聞http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/251098

校長、教頭等の管理職の管理責任があるのは言うまでもない。

ここでちょっと気になるのは、教育委員会についてふれていないことである。教育委員会がどういう位置づけにあるかと言えば、

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http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo1/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2013/07/29/1338051_01.pdf

市町村立小・中学校等の教職員の身分は市町村の職員であるが、任命権は「都道府県教育委員会」にある(市町村をこえた人事により、教職員の適正配置と人事交流を図る)。即ち、「都道府県教育委員会」には「任命責任」がある。また、「市町村教育委員会」には、教職員の服務監督責任がある。調査報告書(全文)でふれているのかどうかわからないが、教育委員会がこれらの責任を免れることはありえないだろう。(その上には「文部科学大臣」がいる)

上図を見れば、事故調査を誰がどのように行うべきなのか、考えさせられる。

 

調査報告書(要約)の非公開化について

池田町のHPには、当初「調査報告書(要約)」が掲載されていたが、現在は「遺族の申し出により」掲載されていない。何故なのか。これは私の全くの推測に過ぎないのだが、報告書の内容に問題があったからだと思われる。次のような記述がある。

専門機関での診察や検査を受けておらず断定はできないものの、本生徒には発達障害の可能性が想定される。本生徒の場合、小学校当時に比べ成長を見せていたことなどから判断は容易でなかったとは思われるが、その可能性を意識していれば、本生徒への対応は変わっていた。

発達障害については、刷り込み(2) 「発達障害」の原因は、「刷り込み」の障害にある? 参照。

報告書は、「発達障害の可能性」と慎重な言い回しをしているが、ここは微妙なところである。「発達障害」という言葉を使わなくても言いたいことは言えたのではなかろうか。この報告書が非公開となることは望ましいことであるとは思われない。

 

*1:

「自殺」と「自死…「全国自死遺族総合支援センター」の「自死・自殺」の表現に関するガイドライン(2013年9月作成)では、どちらか一方に統一するのではなく、関係性や状況に応じた丁寧な使い分けが重要であるとしている。

  1. 行為を表現するときは「自殺」を使う。
  2. 多くの自殺は「追い込まれた末の死」として、プロセスで起きていることを理解し、「自殺した」ではなく「自殺で亡くなった」と表現する。
  3. 遺族や遺児に関する表現は「自死」を使う

http://www.izoku-center.or.jp/guideline201310.pdf

 

このPDFの最後のほうに、南部節子の記事が掲載されているので、ぜひ読んでみて下さい。

自殺未遂をした人たちから「とてつもなく強く、黒く恐ろしいほどの大きな渦に飲み込まれるようだった。家族のことを考える余裕などまったくなかった。言葉にできない次元の瞬間だった」といった話を幾度となく聞いた。

このガイドラインに従えば、調査報告書は「自死」ではなく「自殺」という言葉を使うべきだったと考えられる。